創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

さらば池田大作-22

2017-09-04 09:28:58 | Weblog

さらば池田大作-消えた「上御一人」の跡  野田峯雄 (2016/11・第三書館)
 ------(135P)---(以下、本文)-------

池田創価学会は『成長』していなかった
 94年1月に衆院選を“ひとつの選挙区で3~4人の議員を選ぶ中選挙区制”から“小選挙区・比例代表並立制”へ変える法案が成立する。池田たちはひどくうろたえた。新制度だと衆院公明党の議員が数人に激減するだろう。それをしのぐにはどうしたらいいのか。
  いったん「公明党」というカンバンを隠して新進党にもぐりこむ(94年12月=公明党解散・新進党結成)。
 池田大作たちはそれでなくても深い悩みを抱えていた。

 前述の「成長の限界」である。もっともたいせつなしくみ、すなわち人集めなカネ集めな票集めのサイクルが空回りしていたのである。
 まず、衆院選中選挙区制による公明党得票数の推移を見よう。76年に618万票を達成する。
 しかし以降は、小選挙区制のカべ(小選挙区・比例代表並立制選挙の初実施は96年10月)にぶつかる前の93年7月選挙まで500万票ゾーンを浮沈し、とくに86年総選挙=570万票、90年総選挙=524万票、93年総選挙=511万票というふうに下降一途で、400万台突入すら予測される苦しい状態になっていた。しかもそこに小選挙区制がかぶさってきたのだった。
 同時期(70年代~90年代初め)の参院選得票数の推移も覗いておく (71~80年=全国区、83~92年=比例代表)。その間の最多数は86年の744万票である。だが、こちらも700万ラインを上回ったり下回ったりのありさま。ひどくよろめいている。
 ようするに、みかけは膨れたようにみえた、けれど実態は70年前後の状況と似たり寄ったり。
 もはや「成長」とはかなり無縁になっていたのだ。彼らは、粉飾数字のかたまりと言うべき公称学会員数すら、たとえば70年代なかば(約760万人)から90年前後(約800万人)まで年間3万人くらいしか増やせていない、トレンドは“ほぼ横這い”である。

  ところで、ひとまず新進党に寄生した創価グループだが、池田大作たちはしだいに本性(私欲)をあらわした。いわば宿主をついに食いちぎってしまう(新進党分解=97年12月)。
 彼らは並行して自民党にすり寄っていき99年10月、同党と完全に結託する。この池田大作たち特有の、私欲を充満させた方法は、もっと正確に言うと「国民を視野に置く政治的信念を欠如させたしがみつき延命工作」は、さしあたって、じつにうまくいった。

化けの皮が剥がれたとき
 再び公明党得票数(比例区)の推移に戻ろう。
 自民党との結託直後の00年総選挙は776万票。
 03年総選挙は、自民党立候補者から彼らが後生大事に抱えている支援者名簿を取り上げたりして、前回00年に97万票も上積みする873万票。
  そして05年総選挙で、前回03年に25万票上積みした899万票の高みに到達する。
  参院選のほうも、01年=819万票、04年=862万票と絶好調だった。
 しかし水面に浮かんだ枯れ葉は水位が下がると、当然、いっしょに沈む。
 以下は国政選挙を年次的に追うので衆参が交互になるけれど「流れ」を汲み取ってほしい。
 07年参院選は、安倍晋三内閣(第1次)のもと、政治とカネの問題やずさんきわまりない年金問題などが焦点となり、自民党が沈む。すると、そもそも政治的な主張とは別のところ(私欲)に依拠する、実態に即して言い換えれば私欲充足以外に主体的かつ自立性的な興味や思考をまったく持たない「枯れ葉たち」も同じ運命。前回862万票から777万票へ下降する。

  次はこの2年後(09年8月)の衆院選。麻生太郎首相自身が激しい無知蒙昧をさらけ出して展開した「がけっぶち追い込まれ選挙」ゆえ、自民党が安倍のときよりさらに沈みこんで、政権を民主党へ渡すハメに。公明党の同選挙得票数は前回からいっきょに93万票減の805万票である。
  このあと民主党政権のもとの10年参院選となり公明党の得票数はまたもや減少する。前回(07年参院選)から2万票減の764万票である。
  12年12月総選挙はなんとも奇妙なことに。
  民主党が「腰の定まらない政権運営」を衝かれて大敗北し、自民党が跳ねまわって政権を握りしめる(第2次安倍晋三内閣の成立)。投票率は戦後最低の59.32%だった。としたら“ほんらい”なら固い組織票を誇る創価チーム (公明党)もまた大量得票してあたりまえ。にもかかわらず、彼らの得票数は逆に前回09年総選挙を94万票も減らした712万票。このどことなくヘンな現象をどうとらえるべきか。自民党(保守層)との関係で言えば、いわば池田大作の用意した化けの皮が剥がれてきた、もしくは池田大作の案出した隠れミノ効果がかなり消えてきたと推定される。とともに、内的な要因「池田大作欠落の効果」を、前述した創価組織の激しい弛緩状況を、はっきりと凝視しておく必要がある。

14年総選挙で公明党が「増加」した理由
  そして迎えた14年12月総選挙。これは安倍晋三の“ほぼ病に近いのぼせあがり選挙”だった。
 安倍晋三の、安倍晋三による、安倍晋三のための選挙だった。だから投票率は戦後最低を更新して52.66%。国民の約半数がそっぽを向く。
 さて、公明党の得票数は。731万票である。前回(12年12月)より20万票増えている。
 けれど安倍の“のぼせ勝利”(自民党の比例得票数と同得票率は12年=1662万票=27.62%→14年=1766万票=33.1%)といっしょにもっと浮上してもけっして不思議ではなかった。おまけに最悪の低投票率だ。いわゆる国民力が衰弱すれば創価浮上の“定式”によると、比例区の当選者数が、やはりもっと増えてもけっして不思議ではなかったのである(公明党の比例得票率と同当選者数は12年=11,8%=22人→14年=13.7%=26人)。
  つまり、20万票はかぎりなくオマケっぼい数値だったのである。
 いっぼう創価組織の内部の崩落に歯止めがかかっていない。とすれば次の疑問が。
 得票数が減少せず増加したのはなぜか。
 ひどく浮気な保守票が惰性で流れ込んだからと推定される。安倍の吹かせた風によっていわゆる化けの皮が再び部分的に張り付き創価自身の減少を覆い隠したのだ。

この組織にはもうリビドーがなかった
 では、化けの皮を剥いだとき、そこに現われる創価学会票はどれくらいなのか。
 衆院選だと、99年自公結託の前の得票数(70~90年代)を参考にすれば、500~550万票。
 参院選の場合は得票数の増減が非常に激しいので推計しづらい。でも、あえて、70~90年代の得票数の平均値を出すと約670万票になる。
 ここには大量の「みかつ(未活動家)」の票や「F(フレンド)」の票などが積み重なっていた。いまそれらが、ゆっくりと、しかし確実に縮小している。また“活動家”とみなされた者たちすら活動をおっくうがる。そんな動きを衆院選500~550万票(参院選約670万票)に重ねると遠からず500万ラインを下回ってしまう可能性が浮かぶ。これは推測される活動家数250万人が“外”から最少1人を引っ張り込むカタチである。つまり60年代への回帰である。
  いずれにしろ、この組織はすでに成長の限界に達していて、もう前進拡大するのに必要なリビドー(強い内的衝動)がなかったのだ。
  池田大作には、しかし、たとえば先に概観した日蓮正宗総本山(大石寺)に対する数々の違背演技とか、さらに新進党の一件や自民党との結託といったリビドー消失をカムフラージュし続けるズバ抜けた狡知とカリスマ性があった。
 池田大作エピゴーネン(摸倣者)のつくる集団指導本制に、そうした「生きている池田大作の作業」を期待できるだろうか。かなり難しい。
       ---------(141P)-------つづく--

コメント
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