創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-5

2017-09-12 08:14:23 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P31)---(以下、本文)-------

小児病的“デマ”の流布
 さらに学会・公明党がその内部の混乱を防ごうとして放ったデマは、まことにデタラメで、卑劣で、およそ信仰を口にするものとはいえない劣悪なものであった。それはとくに共産党よび私個人に関するデマにおいて顕著であった。
 例えば、学会内部では--
 「共産党は、たんと卑劣なことをやる党だ。けさ、全戸に配られたチラシをみましたか。“言論出版に圧力と妨害を加える公明党”という大見出しで、ウチの悪口をさんざん書いている。 なんとかいうインチキ学者の本を引用してサ。こっちも反論しないでよいものだろうか」とか、
 「あの学者は来年(四十五年)二月、M大学をクビになるという話だ。それまでのカネもうけにあんな本を出版したんだろう。いまにご本尊さまのバチがあたるさ」とか、論じ合ったのである。(「サンケイ新聞」四四・一二・二四)

 こうしたデマは、上から意図的に流されたものであることは疑いない。学会・公明党の幹部は、自己の言論、出版の自由への抑圧には口を閉ざし、一方では自己の歴史の書替えをはかりながら、他方では、一般会員に共産党や私の批判を“デマ・中傷”と受取らせ、さらに学会内部にデマをばらまくという二重の悪質な罪をあえておかしたわけである。このやり方は、ヒットラーのユダヤ人攻擎などで示した手口と実によく似ている。
 さらに総選挙(四十四年十二月施行)を前にして、学会内部では--
「会長先生は見苦しい選挙をして勝つよりは、堂々と戦つて負けたほうがよいとおつしゃつたではありませんか。このおことばをもう一度かみしめて、きたないケンカは買うのはよそう。それよりこちらは正々堂々の改策を訴えていきましよう」「大勝利をおさめて池田会長先生に御報告致しましょう」(同上)など、宗教団体だか政党かわからない、まさに“政教一致”を地でゆく運動方針、絶対的権威者,池田大作会長の言のみを判断基準とする盲信的運動が、学会幹部のデマに踊らされて進められたわけである。
 言論出版抑圧問題を一般会員がいたずらに「きたないケン力」と受取る認識それ自体の中に学会幹部のデマの流布の仕方がありありとうかがわれるといえよう。

  ◆ 池田“猛省”講演の詭弁
 こうしたさまざまの準備をした後で、創価学会・公明党にとっては歴史的な池田“猛省”講演が行なわれたワケである。ところがこの池田講演なるものは、当人自身本当に反省をしているかどうか甚だしく疑問のシ口モノなのである。そこで彼は次のように述べているのだ。

 言論出版問題は「言論妨害というような陰険な意図は全くなかった」が、結果として、言論妨害と受取られたのはまったく残念である。国立戒壇とは民衆立ということであり、「国立戌壇イコール国教化ということは最初から否定して」きたが、「国立」という言葉からくるイメージが「誤解」を招いたのも止むを得ないかもしれない。だから「国立戒壇」という表現は使わないことにしよう。学会ははっきりと政教分離を目ざしていたが、学会と公明党とは「一体不二」という言葉を使ったので「誤解した受け取り方」をした向きがあったし、学会と公明党は「母と子の関係」にあるとみられても止むを得なかった。会長だけが終身制というのでは「カリスマス的支配」といわれても止むを得ない等々……

 実にインチキな論理を展開しているのだ。
 この池田講演は、私にいわせれば、外部からの批判はすべて『誤解』であるというふうに内外ともに印象づけ、そういう『誤解』を与えるような用語や言動は、われわれは今後心して使わないようにしょうではないかといっているにすぎないのだ。つまり、弁明し時には謝罪しているようなもっともらしい体裁を取りながら、学会には何も悪いところはないし、あとにもさきにも悪いことをしたこともその憶えもないと、逆に開き直っているのである。
 こうした開き直った発言をするいっぽうで、池田会長は「私は会長を辞めたい」、「猛省している」などと涙を流し、学会員の単純素朴な感情、心情をゆさぶり、そのまま会長のボストに居座ったのだ。池田会長はかって「創価学会を離れて公明党はありえない」と述べたことがある。

 そうであるならば、学会は政教分離をはっきりと目指していたが、学会と公明党は「一体不二」であるという言葉をつかったので、誤解した受取り方をした向きがあるなどといった言葉はどこを押せば出てくるのであろうか。会長はやわらかい言葉と涙で、学会員をたぶらかし、外部に対して反省しているというボーズを示したに過ぎないのである。
       ---------(35P)-------つづく--

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続・創価学会を斬る-4

2017-09-12 07:41:34 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P31)---(以下、本文)-------

変幻自在の“追従”態勢
 では、政治的な工作として公明党は何をしたか。まず社会、民社、共産三党にたたかれたことに対抗するため、権力を握っている自民党へのべッタリ媚態工作を始めたのだ。それはまず四十五年四月の京都府知事選挙に端的にあらわれた。この府知事選は、京都では“維新以来の政争”とまで評されたほどの血で血を洗うような激しい戦いであったが、ここでいわゆる“京都方式”なるものが生みだされた。
 この京都府知事選で、社共両党は現職知事の蜷川虎三の六選を期し共同推薦をした。これに対して自民党は、柴田護を立て、社共両党に対抗するために自民、公明、民社の“三党連合”をつくりあげたのである。これが“京都方式”なるものである。ところでこの三党を結びつけたものは何であったろうか。それは表向きは“反共”と“六選反対”ということであった。なるほど自民、民社両党は反共という点では完全に体質が合っている。
 だが公明党があえて自民党の柴田をつよく推し、これに全力投球した理由の第一は、“言論出版抑圧問題”で共産党に徹底的に批判、攻撃され、“共産党憎し”という怨念がつのりにつのっていたことがあげられる。
 第二には批判されガタガタになった公明党が、この危機を乗り切るため、自民党の権力のソデにかくれようとしたことがあげられる。そこにはいろいろお世話になり、迷惑もかけた自民党の田中角栄に恩返しをし、できれば恩を売る、という配慮があった。また田中だけではない。佐藤内閣がこの言論出版妨害問題で、事態の本質にまでメスを入れず、結局は公明党をかばったことが、公明党の自民党接近に一役かったことは否めない事実であろう。自民党は自民党で、公明党が反共の尖兵になってくれればという思惑もあったであろうし、将来東京都知事選挙その他で、いろいろと取引きをする可能性もあるという計算がチャンとあったのだ。
 公明党は京都府知事選まで、その立場を幾変転させている。公明党は宗教政党であり、したがってその本質からしても唯物史観をとる共産党や社会党労農派とは対立せざるをえない。したがって、口では“政界浄化”だの“中立”だのと、キレイがっていた三十六年の段階で、自民党系の東竜太郎と社会党系の阪本勝が東京都知事選を戦つたとき、両派とも票欲しさに学会に猛烈に働きかけたのに対し公明党(当時は公明政治連盟)は結局は東支持を打ちだしている。
 この時のウラ取引きについては黒いウワサがたちこめたものだが、ともかく清潔が売りものの公明党が推した東派が、前代未閒の悪どい選挙違反をしたのである。公明党はその違反を追及しなかったし、東派の違反の責任もとらず、自民党とのビッタリした癒着ぶりを示したものだ。
 公明党は、それ以後も、当時都議であった竹入義勝を先頭にして、社会党とはげしく対立している。都議会で多くの法案が自民党と公明党との取引きや妥協で成立していることが、それを立証するものだといえよう。
 その公明党が東派の選挙違反にこりたのと学会員の中に反自民的なものもふくんでいるため、四十二年の都知事選では独自侯補を立てた。そして自民党との対決を口にするようにもなったのだ。それは、自民党と社会、民社、共産三党との間にあって、キャスティングボートを握り、そこに、公明党の生き方を見だそうとしたからにほかならない。ところが、このことはそれでなくても弱い野党勢力を分散させ、保守独裁を助ける傍役的役割を演ずるということになったのである。そして他方では野党第二党をめざし、自民党を叩くことが票を集める手段だということを発見し、革新的ボーズをいよいよとるようになった。四十四年の暮れの総選挙では、公明党は自民党との対決を打ちだし大いに革新をぶって歩いた。ところが言論出版妨害で公明党はまた振り出しに戻った。それは、何とか困った事態をウヤムヤに葬ってしまうためであり、そのためにいとも簡単に自民党に接近したのである。自民党も党利党略のために、積極的に公明党懐柔工作をした。そして竹入委員長は自民党への点数をあげるため、大いにハッスルし、“共産党をつぶす”と、足をふみならしてヤクザもどきの発言までしたのである。危機打開と共産党憎しの一念、このために自民党に身をゆだねることになったのだ。
 まさにマキヤベリスティックな党利党略以外の何物でもなかった。しかし、結果は蜷川虎三の圧勝に終わり、自民、公明、民社三党連合は無惨な敗北を喫した。その理由はいろいろあろうが、言論問題がカゲの主役だったといえなくもない。自民、公明、民杜という不明朗な連合はその足元をすくわれ、自民党、民社党両党支持者の中の「反公明分子」を柴田から離反せしめたことが大きく響いたといわねばならない。まさしく “斬る”は奇妙な政治的役割を担ったといえるだろう。

悪質極まる歴史の書替え
 このように政界で公明党が自民党権力との癒着工作を強める陰で、創価学会は公明党以上の悪質なことをやり始めた。それは、創価学会の歴史を書替えるためにさまざまの文献の抹殺をはかったことである。私や内藤国夫の本を抹殺できないと知ると、今度は一八〇度転換して自己の歴史書き替えを始めたのである。矢野書記長が接触を認めた頃から、いっせいに本屋から『池田会長全集』『戸田城聖全集』や古い『折伏教典』などが姿を消していった。『池田会長全集』は第一巻と第三卷が出ただけで絶版となり、『戸田城聖全集』は新本屋はもとよりのこと古本屋からも姿を消していった。『折伏教典』も初期のものは次第に本屋の店頭から消えていったのである。

 このことについて佐伯真光は「言論出版の自由を妨害したとして世論の攻撃にさらされたとき、創価学会が最初に、しかもひそかに取った処置が、批判の証拠となるような文献をカバーアップする作業であったことは興味ぶかい。
 創価学会では文証という言葉をさかんに使い、その教義が動かしがたい経典の文句にもとづいているという点を強調するが、その創価学会自体が、文証をかくさねばならぬ立場に追いこまれたのである。
 『戸田城聖全集』を批判者の目からかくす必要が生じたのは、第一卷にある王仏冥合論が国立戒壇建立の意図ある証拠とされるのをおそれたからであろう。池田大作氏の初期の発言のなかにもあげあしを取られそうな言葉が多い。『池田会長全集』が未完結のまま絶版になったことの意味は大きい」と述べている。〔「創価大学に学問の自由はあるか」『諸君』四六年一〇月号)
 創価学会はかって国立戒壇論を展開し「議会の議決によって戒壇を建て、本尊をまつろう、そうしたことが出来るように国会に進出し、多数の議席を獲得しょう」と呼び掛けた。ところがこの“政教一致”が批判されるや、四十七年に完成される予定の大石寺の正本堂にその戒壇を置く、しかしこれは国立の戒壇ではなく民衆立の戒壇であるというふうにいい方を変えていったのである。だが四十年に正本堂建立の資金集めをしたとき、辻学会副理事長は「会員の御供養はこれが最後です、づぎは国立戒壇でこれは国家予算ですから」と述べている。また池田会長は戸田城聖が病歿したときに、創価学会の目的である国立戎壇の建立を誓っているのである。(『聖教新聞』三三・四・四、日本共産党中央委員会出版局『創価学会教義と理念批判』一二ページによる)

 学会としては批判のホコ先を避けるために、こうした前後の言論の矛盾、つまりいい訳の成り立たない過去の文証を抹殺しょうとしたわけである。いったいこうしたことが、いやしくも宗教を口にするものとして許されることであろうか。何よりも真理と教義を重んずる宗教者のとるベき態度であろうか。
 そうしたことは他の集団でも皆無ではないというかもしれない。例えば共産党でもしばしば歴史の書き替えを行なっている。一例をあげれば、「獄中十八年」の輝ける闘士といわれた徳田球一や志賀義雄の党内外で果たした役剖などについて、過去においては、終讃されていたものが、今日ではわい小化されたり、非難されたり、抹殺されたりしているといった事例もある。これはおそらくイデオロギー的批判あるいは今日の路線を正当化するために行なわれたものであろう。こうしたことも理由はともあれ、共産党に対して批判されて然るベき間題点でである。

 しかし、その種の「書替え」や「歴史抹殺」が、かくも短時日で組織的に宗教団体自身によって行なわれているとしたらどうであろうか。それは状勢によって変転する政党が行なっている以上に大きな罪悪であるといわざるをえない。
 何故かなれば、それはその信仰を唯一絶対のものとしている多くの信者の純粋な気持を冒涜するものであり、信者をたぶらかすものにほかならないからである。外部に対するゴマ化し以上の罪を、何よりも七五五万世帯といわれる多数の学会員そのものに対して負わねぱならないからである。こうした卑劣なことがはたして宗教者として許されてよいのであろうか。それが信仰を口にするもののとるベき態度であろうか。
 そして学会は他方において、新しく“書替えられた本”を次から次へと出版し、過去の行動を隠蔽し、内外の人々をまんまとあざむこうとしている。その心情の卑劣、もって唾棄すべきものがある。
       ---------(76P)-------つづく--

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