創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

お笑い創価学会-24

2014-10-27 09:52:57 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈24〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 144
〔テキスト〕
絶対帰依の美しさのなかで    小田実
────────(中略)──────◇────────(~151頁)
 来賓は三人だった。三人とも政治家であり、自民党の政治家であり、他には社会党
、民社党の人も、「文化人」も、労働組合の代表者も、あるいは市民の代表者もいなか
った。(当時の)灘尾文部大臣、小林厚生大臣、東東京都知事。三人とも早朝に東京を発
つか、それとも昨夜から来ていたのだろう。主旨は三人とも似たりよったりで、現在
の生活は物質的にはめぐまれたものとなりつつあるが、精神面で欠けている、そこにお
いて、学会の果す役割は大きいというのであるが、ことに、小林厚生大臣は、学会が
発展していることは「厚生大臣として」よろこびにたえないとはっきりと述べて、わ
れわれは物の面、経済の面では国民生活の向上に多少のお手伝いをすることができる
が、心の面では何もできないという意味のことばをつけ加えた。東都知事は、彼の前
回の当選が学会の支持のおかげであったせいか、「お招き下さってありがとうござい
ます。」と何度となくおじぎをして、「日蓮正宗と創価学会のかぎりない発展を祈り
ます。」と彼の祝辞を結んだ。
 こうした祝辞の述べ方は、私の考えでは、憲法違反であろう。ことに小林厚生大臣
の場合はそうではないのか。しかし、それにもましてふしぎなのは、来賓が三人が三人
とも、自民党の現職政治家であったことだ。ほかに、日本人はいないのだろうか。
 そして、学会の人たちは、たいていの場合、自民党の腐敗を口をきわめて攻撃して
いるのではないか。それが私になにかスッキリしないものを感じさせた。
 その私の胸のつかえを一挙に解消させるためか、午後のパーティの半ばをすぎたとこ
ろで、「大客殿」のまえで、鼓笛隊その他による「軍楽隊」のはなやかなパレードが
くりひろげられた。色とりどりの大礼服みたいにアホらしくきらびやかな服装の若い
男女が、池田大作氏が見守るまえを、規律正しい足どりで次々に通りすぎて行く。
 「若さがいつばい」、「青春のエネルギーの爆発」、「彼らの澄んだ瞳」、「彼ら
の力強い足どり」、「日本の未来は彼らの肩に」──私は今これを書きながら、そう
いった常套文句を思い浮べる。
 しかし、私のアタマにより鲜明によみがえって来るのは、いつか『第三文明」とい
う学会の若いインテリの機関誌にのっていた鼓笛隊長の女の人の手記のなかのことば
だ。昨年の九月、青年部の体育大会が開かれ、千七百名の鼓笛隊が行進したあと、「終
了後、池田先生は『みんなよくやった。とくに鼓笛隊には一〇〇点をあげよう。鼓笛
隊も世界一になったね。』と申された。この先生の一言こそ私たち鼓笛隊員が……
つらい時も、苦しい時も、またどんなにきびしい訓練の時も、片時も忘れずに夢にえ
がき、願いつづけてきたおことばであった。」(『信心根本に世界一』白井房子)
 絶対帰依の美しさがそこには、たしかにあるのだろう。そして、それはたしかに甘
美な魅力をもつ。あの戦争が私に与えた最大のことは、疑いをもつということだった
が、それを生き方のよりどころとしょうとしている私のまえで、その美しさは一枚の
壁として立つ。
 しかし、私より年少の人たちにとっては、それはそうでもないのだろう。多くの若
者たちがその美しさに身をゆだねて行こうとする。『第三文明』にのせられている学
会の若きインテリの文章には、きわだった一つの特徴がある。それは何ごとを論じる
のであれ、最後のしめくくりとして、「池田大作先生のおことば」があることである。
 理路整然と述べられていたことが、突然、強引に「おことば」に結びつけられる。
あるいは、論理の破綻を「おことば」が救う──そういった例に、私はたびたびお目
にかかった。
「この先生の一言こそ」、すべてを救うものとして、「片時も忘れずに夢にえがき、
願いつづけてきたことば」であるのだろうか。
 私がこれまでに述べて来たことは、おそらく、いい意味でもわるい意味でも、創価
学会のもついくつかの特徴をあらわしているだろう。いや、これは、他の多くの新興
宗教にも多くの点で共通することかも知れない。
 信者たちを生み出して来た土壌、その土壌を育成するための方法、土壌と宗教の強
い結びつき、あるいは、宗教と政治の握手の仕方、あるいはまた、青年層への働きか
け。たとえば巨大な前衛的な建物を建て、各国産の物を買い入れ、ハイカラと土俗的
なものを混合させ、西洋に負けないとの演説があり、保守派の政治家の来賓祝辞があ
り、はなやかなパレードがあり、若さがみちあふれ、……軍隊まがいの肩章をつけて
いるところもあった。ヒットラー・ユーゲントばりに、若者たちがリーダーのまえを
右手をあげて行進するところもあった。
 立派なグラフ雑誌などが出ているのは共通した現象だが、その表紙にリーダーのワ
イフがほほえみ、なかには、皇太子よろしく、何代目かの小学生の坊やの日常生活の
紹介の組写真があるのまであった。
 そこに共通するものは、たとえば「第三文明」という若きインテリの機関誌にまで
共通して見られることは、絶対者への絶対的な帰依だろう。そこにたとえ論理はあっ
ても、その論理は帰依の内部を動く。帰依を深化させる方向にだけ働き、その帰依自
体をもう一度根本的に疑ってみるという方向には働かない。
 たとえば、創価学会の生みの親牧口常三郎氏の『価値論』は、検討に値する書物な
のだが、その価値は。それがバイブルとなってしまったとき失われるのではないのか。
 『価値論』を今日に生かすためには、それをもう一度根本から疑ってみるという作
業が必要なのだろうが、学会員がときとして発する次のようなことばは、彼がその作
業をすませているかどうか、私に疑念を抱かせるのだ。
「信心しないから、判らないのですよ。」あるいはまた、「信心しているから、私た
ちはちゃんとしているのです。」
 私は、そのちゃんとしていると自分には思える自分をもう一度疑うことから、すべ
てを始めたいと思う。それは、過去の経験と歴史が導き出して来た私の思想なのだが、
そうしたことばを発する学会員もまた、そのような過程をたどって、その絶対的確信
に達したのだろうか。
 戦後の状況の一つの大きな特徴は、不安定ということだろう。たとえば、戦後の世界
では、物価はつねに上りつづけるものとしてある。政治についても、社会についても、
あるいは国際情勢についても、私たちは安定とはほど遠いところにいる。その不安定
は、私たちがもはや絶対者をもっていない、すくなくとも戦前に人々がもつていたほ
どの意味ではもつていないことと結びつくだろう。
 かっては、さまざまな絶対者があった。まず、天皇制、それを頂点にして日本人を
ガンジガラメに縛った社会の価値体系、それと強固に結びついた「国家」という絶対
者。こうした絶対者にたちむかうために、人々は、もう一方の極に絶対者をつくった。
 というよりは、状況が反対陣営の最有力の武器を絶対者にしたてあげたのだと言っ
たほうがよい。こうして、マルクス主義(あるいは、その具体的な実現である共産党)
は、一方の極の絶対者となり、人々の一切の思想と行動の原理がそこに求められるこ
ととなった。
 しかし、今、私たちは、そうした絶対者を、すくなくともかってのような絶対的な
意味ではもっていない。天皇制を頂点として価値体系は大きく崩れ去った。マルクス
主義の絶対者としての地位もかってほどではないだろう(日本共産党の無謬性の神話
は崩壊した)。
 戦前において、人は進歩にくみしようとするとき、マルクス主義に身を寄せるほか
はなかったのだが、今日では、戦闘的なリベラリズムを行動の基盤とすることもでき
れば、「混合経済」を経済体制の理想として考えることもできる。──
 不安定と絶対者がないことが結びつくとき、そこにもう一つ、繁栄からとり残され
て行くという状況が結びつくとき、人は新しい絶対者を待望するのだろう。年おいた
人たちは、それによって安心立命をねがい、若い元気のある若者たちは「なんとかし
なければ……」とふるい立つことだろう。
 ことに、その闘志は、さらに繁栄にとり残されて行く人々の数をふやして行くとい
うような現在の政治のまえで、さらに大きくふるい立つにちがいない。戦後十九年、
人々は喋りに喋った。しかし、喋ったところで、状態は一向によくなつていないでは
ないか。それよりは──そう考える若者のまえを、規律正しく「軍楽隊」の隊列が通
りすぎる。
────────────改頁──────(~157--引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…“日顕憎し”“日顕ふみ絵・日顕打倒題目”…で50年

創価の真相1/3
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