創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

お笑い創価学会-23

2014-10-25 10:12:14 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈18〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 144
〔テキスト〕
絶対帰依の美しさのなかで    小田実
 大石寺という名前は、現在の日本国民の約九割にとつては、まったく無縁の名前で
あり、おそらくきいたこともない名前だろうが、約一割の耳には、それはきわめて意
味深いものとして響く。たとえば、私の知人の一人は、一月に一度、苦心してそこへ
出かけることによつて、生気と元気を注入して帰って来る。つまり、そこは聖地であ
る。そこが聖地なら、私が住み彼が住む東京は、スモッグと汚職と堕落におおわれた
(おまけに、水までもない)「末法」の地ということになる。
 大石寺は、創価学会の聖地だった。学会の発表した数字を信用すれば、三七四万世
帯、約一千万人の日本人にとって、あるいは、たとえば「ヨコス力」に住む二百人の
アメリカ人にとってのメッカ。その数字は、現在のところ、日本の全人口の一割。し
かし、将来には。
 私に学会のえらい人が語ったことがある。
「いいですか、小田さん、全国で約一千万人というと、十人に一人は学会員だという
ことになります。その一人の学会員には、親類もいれば親しい友人も二、三人いるこ
とでしょう。
ということは、すくなくとも日本人が十人いれば、三人か四人は創価学会に敵意をも
っていないことになりますね。学会員の数を、十人のうち四人か五人にもっていきた
い。そうすると、今の計算で考えると、十人のうち八人か九人は学会に敵意をもたな
くなる。残った一人か二人など、これはもう問題になりませんよ。」
その世の中が来たとき、日本は救われるのだろうか。池田勇人氏は、「日本国内閣
総理大臣」の資格で、次のことばを学会によせている。「最近における創価学会の発
展は、まことにめざましいものがある。とくに、まじめな青年が、社会の繁栄、世界
平和を願って活躍している姿は、じつに頼もしい。どうか、曰本の将来のために、ま
すます堅実な発展をしていただきたいと思う。」
 いや、学会は、世界を、人類を救ってくれるのかも知れない。現総理大臣、当時の
衆議院議員佐藤栄作氏は、学会を「人間の危機」を救うものであると考える。また、
今日の政治家に必要なのは哲学だが、その点で創価学会の人たちの抱く信仰と学説は
大きなものをあたえてくれると述べる。
 あるいはまた、衆議院議員中曾根康弘氏は、かって日大講堂で行われた青年部の大
会を河野一郎氏とともに参観し、二人ともにあまりの感動に涙を流したと述べ、会長
池田大作氏の次のことばを感銘ぶかいものとして記録している。「フルシチョフやカ
ストロは、五時間、六時間の長広舌をやるが、われわれの間は、そんな長広舌はいら
ない。」そのことばのあと、池田氏はやにわに金扇をふって合唱の指揮をしたという
(以上、秋谷城永編『創価学会の理念と実践」による)。
 これは大変なことである。学会が日本を救い、世界、人類を救うことを、日本の政
治の中枢にある人たちが明言しているのである。私は考えてみなければならぬと思っ
た。ことに、たとえばフルシチョフやカストロのように「五時間、六時間の長広舌を
やる。」ことがべつにわるいことでもなく、いや、むしろ好ましいことだとかねがね
考え、同時に、指導者がやにわに金扇をふれば合唱の声たちまちあがるといつたこと
がそれほどすばらしいことでもなんでもなく、いや、むしろ危険なことだと考えてい
る私は、ここでとつくりと考えてみなければならない──と、その政治の中枢にいる
人々の意見は述べているかのようであった。
 しかし、私が大石寺へ行ったのは、直接には、学会が日本を救ってくれるのか、世
界、人類を救ってくれるのかを実地に聖地でたしかめてみるためではなかった。ひょ
んなことからだった。大石寺に「大客殿」という巨大な建物ができ、その記念式典に
招かれたからである。
 招待状は「各界の知名人士」 に対して出されたそうだから、彼らのうち、学会が
日本、世界、人類の救世主であることの信奉者、あるいは、少しばかり好奇心に富む
者は出かけて行ったにちがいない。「各界の知名人士」であるかどうかは知らないが
、好奇心なら私は人一倍もっている。
 私は出かけることにした。
「大客殿」は、巨大でなかなかモダンな建物であった。鉄筋コンクリート造り五階建
て。三階大広間には最高五千名の学会員が入ることができる。前会長戸田城聖氏の遺
志によってつくられたものらしいが、その遺志というのが「世界各国の名産を集めて
、総本山に大客殿をつくりなさい。」というのであったそうで、まず案内の女の子、
いや女子学会員はそのことを言い、ついで、「大客殿のまえの噴水はイタリア製(だ
ったと思う)でございます。大玄関の大理石はイタリア製、須弥壇の床はスェーデン
製の黒花崗岩の一枚岩……」と、かなりパス,ガイド的な口調で誇り顔に告げた。
 いろいろなところに気をくばって建てられた建物だった。たとえば、三階の大広間
に行つてみよう。そこで大声をあげれば、二重にも三重にも反響はつづく。そんなふ
うに建物はつくられているのだろう。それが五千人が入って、たとえば「南無妙法蓮
華経」と「お題目」をとなえ、あるいは、「第三文明の歌」をたからかに合唱すると
なると──私は、その日、午後の記念パーティだけに招待されていたのだが、特にた
のみ込んで、午前の大法要にももぐり込ませてもらったら、大広間いっぱいに人々が
坐っていた。あれはたしかに五千人だったのだろう。まず「南無妙法蓮華経」の大合
唱だった。それにつれて、中央の須弥壇の扉がしずかに自動的に開く。「ご本尊」が
拝めるのである。「南無妙法蓮華経」の声はさらに高くなる。それはさまざまな抑揚
をつけて、さまざまな調子でつづく。こちらにそれに抗するだけのものがなければ、
いつのまにか体ごと浮かび上って行くようなほどの迫力はある。甘美な魅力もある。
絶対帰依の魅力と言おうか。受身の魅力と言おうか。
 五千人は、ただの、なみの信者ではなかった。この記念すべき法要に参加するだけ
あって、「部隊長クラス」(?)以上の人たちであった。彼らは懸命にジュズをまさぐ
る。
老いも若きも必死に声をはり上げる。私一人がとり残される。その私をおおい包みか
くすようにして、「お題目」の大合唱はつづく。その大合唱は、はたして、日本、世
界、人類を救うのであるか。
 池田勇人氏、佐藤栄作氏はそれを信じ、また、中曽根氏は、この絶対帰依の大合唱
のなかで、涙を流したのか。いや、中曾根氏が涙を流したのは、たとえば「第三文明
の歌」、あるいは「広宣流布の歌」であったのかも知れない。
 法要の最後近く、それは池田大作氏ではなかったが、扇子をもった男が壇上に上り
、彼の音頭とりで、ふたたび大合唱が始まった。今度は、さっきの「お題目」の場合
とちがって、沈ウツな自己抑制のひびきはなかった。たからかな解放の叫びであっ
た。「お題目」によつていつたん内へむかった力が、内へむかうことによって凝集し
たあげく、その扇子の指示する方向にむかって爆発する──そういった感じだった。
ただ、その方向はどこへ向いているのか。私は気にかかった。
 法要の【演出」はかなりみごとだった。ことに、すべてが時間通りにてきばきと進
行していくことに、私は感心した。池田大作氏の演説は、これもみごとということば
をそこに冠してもよい。簡単で要を得ていた。今や戸田城聖先生の遺志は実現された。
苦難に苦難を重ねること三十年、今ここにようやく春が訪れた。しっかりやってくれ。
拍手がどよめいた。熱狂的な拍手だった。
 演説はもう一つあった。大石寺の坊さんの演説だった。それは長かった。池田氏の
をみじかく、事務的経過をふくめた坊さんのを長くしたのも、前者をきわだたせるた
めの「演出」であるのかもしれない。
 坊さんは語った。世界の平和について。第三文明について。その大上段の議論は、
突然、「大客殿」の話になる。前段と後段のつながりぐあいがはっきりしないうちに
話は進み、またしても、「イタリア製の大理石、スェーデン製の……」彼が演説をす
る頭上には、ゴーカなシャンデリアがきらめいているのだが、彼はそれについても、
ひとくさり述べなければならない。「これは池田先生がご外遊のみぎり、ウイーンで
お買い求めになったチヱコスロバキア製のシャンデリアで……」
 私ば微笑したくなる。皮肉の意味でなくそうしたくなる。戸田氏の「世界各国の名
産を集めて」云々のことばは、それはそれなりに世界にひろがる宗教たろうとする彼
の理想の表明であったのだろう。その理想が、いつのまにか、バス・ガイド的な自慢
話になってしまったこと、私はそれに興味をおぼえる。しかし、そうした列挙は、そ
れなりの効果を人々にあたえるのだろう。
 日本の各地からこれから何十万、何百万となくやって来る、おそらくこれまで西洋
とはなんのえんもゆかりもなかった人々にむかって、その「イタリア製」「スェーデ
ン製」「チェコスロバキア製」の何トカは無限の効果をもつものかも知れない。この
「大客殿」がまだ建築中だったとき、一人のオバチャンが叫んだのだという。「まあ
立派なものができるわ。あのなかにほんとに入って行けるのね。」
 坊さんは話をつづけた。……この「大客殿」は、ル・コルビュジェ先生のお考えに
なったピロティ建築です。池田大作先生の命によって私はョ— 口ツバに行かせてい
ただきました。
 そのル,コルビュジェ先生のおつくりになったマルセイユのァパートのピロティを
見ましたが、設計者の方の話によると、それよりもこの「大客殿」の方がよくできて
いるとのことでした。……
 神殿とアパートのピロティを比べることはばかげているというのは、これはここで
はあまりにも気の利きすぎた、ソフィストケイトされた意見なのだろう。すくなくと
も、そうした意見を、そんなふうに一蹴し去るだけの力が、坊さんと聴衆とのあいだ
の結びつきにはたしかにあった。あるいは、その聴衆を生み出して来た日本の社会の
土壌にあるのだと言ってもよい。
 その大広間に集まっている五千人の顔は、「部隊長クラス」の面々の顔は、一言に
して言えば、地域社会のオピニオン・リーダーの顔だった。真面目えいえいと働き、
独学で教養を身につけ、いささかかたよったかたちで身につけ、何かことあるときに
は、その地域でのたのもしいリーダーとなる。
 私は、戦争中、空襲のさなかに献身的に働いた防火班長や警防団の人々のなかに、
そうした顔を見たことがあるように思う。あるいは、戦後、小さな前近代的な会社で
労働組合をつくろうとして自分の身を犠牲にしてしまった知人の顔にそっくりの顔も
いる。彼も真面目だつた。働き者だった。そして、独学的な教養の持主で、いささか
偏狭であった。
────────(~151頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…“日顕憎し”“日顕ふみ絵・日顕打倒題目”…で50年

★創価学会法論大惨敗:無知との遭遇(真実版)2
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