ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

麗しい男?の友情

2005年04月13日 | 日記
PHはフランスの大学を出てまずドイツはミュンヘンのホテルで働き始めた。その時に客としてホテルに来ていたのがR氏だった。R氏はPHを自分の息子のようにかわいがったようで後にPHとMがいっしょに住むようになってからも度々ミュンヘン郊外に住む二人を訪ねて来ていたらしい。Mにはフランスはブルゴーニュのムルソー村にひとりで住む母親がいたが、彼女は若いときから病気で晩年は車椅子の生活だったので、仕事を引退したR氏が5年くらい前にムルソーのMの家に住み始めMの母親の面倒を見ていた。3年前にMの母親が亡くなって1人暮らしになったR氏はめっきり弱り心臓も患い、自分のアパートの引き払いも出来ない状態だったので、2年前に彼がもうドイツのデュッセルドルフには戻らず本格的にムルソーに住むということになったときにはPHとMがミュンヘンから出てきてアパートの整理などの後始末をすべて引き受けた。亡くなったR氏は結局Mの母親の墓地の中に一緒に眠ることになったのだが、身寄りのないひとりの男を最後まで面倒みたPHとMの2人って何とやさしいのか・・私には不思議でならない。普通赤の他人に対してここまでしないでしょう?因みにR氏が彼らに財産を残したというわけでもないらしい。晩年の彼は、ボーヌ一のホテルのバーの常連でシャンペンにキャビアを楽しみレストランでも美食を重ねていたようで、とうとう銀行から差し押さえ寸前になったらしくMはひじょうに困っていたものだ。葬儀の参列者の中にはホテルバーのマスターやレストランの経営者などがいたのでR氏が如何に上客であったのかを物語っている。私がワインを扱っているMや飲み仲間になった日本人連中と知り合ったのも行きつけの鮨屋の紹介だったし・・・Mを通してR氏やPHと知り合って・・・何だか美食外交で友達の輪が広がっているみたいな。R氏のおかげでホテルバーのマスターやレストラン経営の夫婦と顔見知りになったのでこれからボーヌへ行ったときにはちゃんと顔を出して行きつけの場所にしようっと。それにしてもだ・・、いい男は何で皆ゲイなんだ?女にとって残念すぎる話だわ。