納骨の後最後まで居残った我々日本人3人、R氏の面倒を見ていたMとPHの2人,彼らのドイツの家の隣人夫婦の合計7人で、ムルソーのMの家に集まり、皆でワインなど飲みながらR氏の思い出話をしましたが、とにかく葬儀に参列した誰ひとりとして彼の本当の生い立ちの詳細を知らないということでした。R氏の話は虚実混ぜ合わせた話で、どれが本当なのか誰もはっきり知らないらしいのですが、とりあえず大体わかったのは・・・ポーランド系ユダヤ人でもイギリス人でもなくて彼の本当の両親は純粋なドイツ人であったこと。父親が社会主義者であったためナチスに捕らえられ収容所で殺されたこと、また同じく社会主義活動家であった伯母さんが暴行されたりするのを見て大変傷つき、ドイツをさらに憎むようになったこと。青少年交換プログラムでイギリスに行っているときに、父親を殺したドイツには2度と帰りたくないということである女性の養子となりドイツ人からイギリス人になったらしいこと。この辺り、父親の死とイギリス行きの前後関係は不明。フランスはカーン(Caen)大学出身で、仕事でいろんな国に行っているが1976年からムルソーに越す2000年まではドイツのデュッセルドルフに住んでいたこと・・など。
おそらく父親っ子であったR氏は愛する父親を殺したナチスドイツを徹底的に憎んだらしく、他人が、自分の名前を養子先のイギリスの姓までちゃんと言わないと気分を害したらしい。何年か前、私はドイツ名・ドイツ姓+イギリス姓の順番に並んだ彼の名前が不思議で、もしかしたらイギリス女性と結婚して2重姓を名乗っているのかな・・と思って彼にそれとなく聞いたら、ポーランド系ユダヤ系イギリス人だからドイツっぽい名前なのだ・・・というようなことをぶつぶつ言っていたのでした。しかしそれも嘘だったようです。仕事の関係でずっとドイツに住んでいたR氏には結婚歴も不明、しかし、どうもゲイではないような・・・、PHを通じてMの古里ムルソーを知り、最後にはそこに引っ越してしまい2度とドイツにはもどらなかったわけです。ドイツを憎んだドイツ人R氏は、ブルゴーニュはムルソーのブドウ畑の真ん中にあるきれいな墓地の一角、しかし全く血縁関係のないMの母親の脇に永遠の安らぎの場所を見出したわけです。合掌・・。
偶然にも、本日ドイツのブッヘンバルトのナチスドイツ強制収容所の解放60周年記念式典がワイマールで開催されました。この収容所では主にナチスドイツに反対する政治犯が収容され殺されたそうです。式典には500人あまりの収容所生存者が出席しましたが、あと10年もすれば彼らもいなくなり、この歴史の悲劇の目撃者がいなくなってしまうことに彼らは危機感を抱いています。
おそらく父親っ子であったR氏は愛する父親を殺したナチスドイツを徹底的に憎んだらしく、他人が、自分の名前を養子先のイギリスの姓までちゃんと言わないと気分を害したらしい。何年か前、私はドイツ名・ドイツ姓+イギリス姓の順番に並んだ彼の名前が不思議で、もしかしたらイギリス女性と結婚して2重姓を名乗っているのかな・・と思って彼にそれとなく聞いたら、ポーランド系ユダヤ系イギリス人だからドイツっぽい名前なのだ・・・というようなことをぶつぶつ言っていたのでした。しかしそれも嘘だったようです。仕事の関係でずっとドイツに住んでいたR氏には結婚歴も不明、しかし、どうもゲイではないような・・・、PHを通じてMの古里ムルソーを知り、最後にはそこに引っ越してしまい2度とドイツにはもどらなかったわけです。ドイツを憎んだドイツ人R氏は、ブルゴーニュはムルソーのブドウ畑の真ん中にあるきれいな墓地の一角、しかし全く血縁関係のないMの母親の脇に永遠の安らぎの場所を見出したわけです。合掌・・。
偶然にも、本日ドイツのブッヘンバルトのナチスドイツ強制収容所の解放60周年記念式典がワイマールで開催されました。この収容所では主にナチスドイツに反対する政治犯が収容され殺されたそうです。式典には500人あまりの収容所生存者が出席しましたが、あと10年もすれば彼らもいなくなり、この歴史の悲劇の目撃者がいなくなってしまうことに彼らは危機感を抱いています。