ひとみさんのおうちごはん 「よろしゅうおあがり」

自然の恵みをいただいて、こころとからだが心地いい暮らし

夏が終わる

2011年08月16日 | 日々のこと

 

お盆も今日で終わり・・・というのは関西の感覚なのでしょうか。
東京ではひと月前の7月に「お盆ですね」という話も聞いたし、でも、隣の川崎は今がお盆だ・・・と酒屋のおばちゃん言ってたし、そしたらやっぱりこの8月の今全国共通なのは「お盆休み」・・・ということだけなのかしらね。
 
 
京都で生まれ育った私は、8月13日から今日16日の期間がお盆だったし、昨日もそう書いたのですが、人の感覚は故郷によって形作られるんだなあ・・・と実感しています。
ここ数日、テレビのニュースや新聞では京都の大文字五山の送り火の話題が盛んに報道されていましたが、無事に点火されたようで、私の知る送り火が見れたのだなあと想像しています。
 
 
何事もいい悪いで判断できないこと、当事者でしかわからないことってあると思います。
だから、関東にいてニュースを見るだけではよくわからないし、京都の友人知人にも特に何も聞かなかったけど、きっと心を痛めている人はたくさんいるだろうなあと思って見ていました。
 
 
 
「京都・五山の送り火」は、他の地域の方からは「大文字焼き」とか言われることが多く、祇園祭と同じような感覚で観光のひとつとして捉えられている部分も大きいと思いますが、まさに送り火、お盆の伝統的な行事です。
もちろん、祇園祭も八坂神社のお祭りなので、観光客のためのイベントとは根本的には違いますが・・・お祭りってそういうものですよね・・・、大文字(「大文字焼き」とちがいますえ ^^)はまたそれとはちがう重さを持った行事だと思います。
 
平たく書けば、「お盆に帰ってきたはったご先祖さんの霊を、送り出す行事」なのだと思います。
よく見えるスポットはあるし、全国ネットのテレビで映るのはそういう場所から見る人たちの様子が多いと思いますが、基本はそれぞれの家や近くから見て手を合わすものではないかしら。
 
私の実家の2階の物干し場からは「大」の字が見えました。
20時前になると両親と一緒に私たちも物干し場に上がって待ち、ぼおっと点火し始めるのを見つめ、手を合わせ、また消えて見えなくなるまで見守る、そして、今年の夏が終わることをかみしめるのが常でした。
もし、まだ両親がいたら、今年も同じようにして過ごしていただろうなあと思います。                                                                                                                                                                         
 そういえば、数年前飲みに行ったお店で隣り合わせた方は、「大文字保存会」の方でした。(たまたまちょっとね ^^;) 
彼はどうしているだろうか・・・ここ数日そんなことを思っていました。
 
 
 
 
ほんとは今日は、また「青春の思い出」を書こうと思ってました。
また高校生の時ですけど、男の子と「よく見えるスポット」に大文字を見に行ったことがあります。
もちろん浴衣着て、「たくさん見えるところに行こう」って(^^)。
5つ全部見るのはなかなか難しくて、4つ見える出町柳あたりで混み混みの中でぎゅうぎゅう押されながら、またはぐれないように手をつないで。
それでも、それぞれの送り火が点火されたら手を合わせていたなあ。高校生なりの心をこめた祈りだったのでしょう。
 
夏の夜のむせかえる暑さと空気は、あの頃のせつない気持ちをふぅっと運んでくるかのようです。
 
 
 
祇園祭で始まった京都の夏は、大文字とともに終わっていく・・・きっと今もそうなのではないでしょうか。                                                                                 
                                                                     
私の夏ももうすぐ終わりです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友だち

2011年08月16日 | 日々のこと

昨晩は少し気持ちが下向きのようなことを書いてしまいました(^^;)

でも、けっして落ち込んでいるとかじゃなく、昨日も昼間は打ち合わせに出かけ、初めてお会いした方といろいろな話ができ、充実した一日でした。

 

人って、いろんな顔を持っていると思います。

以前、「そのいろいろな顔をたくさん持っている方が、魅力的な人間になる」と言われたことがあります。

どうとらえるかにもよるけど、相手に合わせてころころ顔を付け替えるようなのもそうだし、自分の心の中のいろんな声から現れてくる顔も、どんなことに興味を持ち、どんなところに所属しているかとか、それも顔のひとつだと思います。

私は・・・、うーん、模索中!!(^^;)

 

 

これから、友だちに会ってきます。数年ぶりに会います。

彼女と私が友だちっていうと、たぶん100人が100人びっくりするんじゃないかな、いや99人くらいかな、ってくらい、たぶん、普段の顔はちがいすぎるでしょう。

でも、友だちです。きっとずっと友だちです。

 

「一番の友だちってなんだろう」・・・以前、子どもが悩んでました。

「自分には友だちがいない」・・・そう言った人もいました。

難しいな、うん、ほんとに難しい。

でも、相手がどうであれ、男でも女でも、自分が友だちって思ったら友だち。それでいいんじゃないかな。

なんか、そんな気がします。

 

ちょっくら行ってきます♪

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆です。

2011年08月16日 | 日々のこと

お盆です。おばんです♪

 

前に関西出身の友だちに「おばんです」ってメールしたら、「誰がオバンやねん」って返信が来て、笑ってしまいました。

わかるかなあ・・・きっと、わかるの関西人だけだと思うけど、このセンス、ナイス!!って、それ以来、私、その友だち、ものすご尊敬しています(^^)

 

 

と、軽い書き出しになりましたが、本当は胸の奥をきしませながらお盆を迎えました。

今年のお盆はそれぞれいろんな思いで過ごされているんじゃないかと思います。

被災地の初盆を思うと本当に心が痛みます。

また、最近亡くなられた、身近な方の悲しい報せを、数日前に聞きました。病気でも事故でもなく、突然だったそう。つい2ケ月ほど前に会ったばかりなのにと思うと、信じられません。

まだ四十九日にもならないので、初盆にもならないとのこと。

いろいろな方への思いを馳せながら、お盆を過ごしています。

 

数年前まで、「お盆」といえばずっと、「里帰りするための楽しいお盆休み」のことでした。

それが、ここ数年で両親が亡くなり、去年7月、実家を手放したことで変わりました。生家がなくなるのはとても悲しいことでした。手放すまではわからなかったけれど。

少しそのことを書いてみます。

 

 

去年の夏、お盆を過ぎた8月の終わり、京都に行きました。

ある予定があったのでそのためでしたが、お盆に行けなかったお墓参りもしにいきました。

大好きな京都。

新幹線を降りて構内を歩いているときに、急にものすごい寂しさが襲ってきました。

以前なら、京都に着いたらすぐ両親に「ついたよ」と電話を入れていました。そして、実家に向かう、それがいつもの京都でした。

でも、あーもう私にはそうして「ついたよ」と電話をする相手も、出迎えてくれる、待っててくれる人も、帰る場所もないんだなあ・・・そう思うと、もう何もできなくなって、ただただ駅で立ち尽くしていました。

そして、私はひとりぼっちになったんだ・・・と思いました。

 

ひとりぼっち・・・っておかしいですよね。

そんなはずはないんです。

私には家族も、友だちも、親戚も、血を分けたきょうだいもいるのに。でも、その時はそうとしか思えなかった。

言葉では表現できない思いを抱えながら、両親のお墓、そして、先祖のお墓を参りました。

 

そして、それからの私は何だか気力を失ってしまい、横浜に帰ってからもずっとぼおっとして、自分が空っぽになってしまった気がして、でもそれでは毎日暮らせないから、何とか笑おうとして、でもうまくいかなくて、表向きには普通でいたかもしれないけど、どんどん内省していく、そんな毎日を送っていました。

ほんの一年前、ちょうど一年前のことです。

 

 

「明けない夜はない」・・・と言います。

それは、人に希望を与える言葉なのかもしれません。

でも、私にとっては、とても辛い響きでしかありませんでした。夜、布団に入るときに「このまま朝が来なければいい」・・・毎日そう思っていました。

朝が来て、目が覚めて、「あー、また新しい日が来てしまった。また一日を過ごさなくてはいけない」本当にそう思っていました。

何とか家事をこなし、人と普通に顔を合わせて用事もこなしていましたが、言い知れぬ不安がいつもありました。

ごはんの味もわからなくなって、何とか作ってはいましたが、「まずい。何、これ?」と言われることもしばしば。

私はどうなっていくのだろう・・・、本当にわからなかったです。

 

 

でも、今、私はこうして、毎日楽しく暮らしています。日々、楽しいことを見つけるのがおもしろく、人と会うこと、新しい出会いも、旧知を温め合うことも本当にうれしく、こうして思いを言葉にすることもできるようになりました。

ほんの数か月前までは考えられなかったことです。

やっと自分を取り戻した、そういう気がしています。

 

 

ただ、もしかしたら、またダメになるんじゃないか・・・そんな気持ちはまだ心のどこかにあります。

だから、このお盆は横浜でごく普通の日常を過ごしています。

今年もお盆にお墓参りできなくてごめんね・・・そう思いながら、行こうと思えば京都くらい日帰りでも行ける・・・そう思って。

 

京都のこと、両親のことも、母に教えてもらった料理や梅干しのことも、こうして書けるようになったけれど、実は土曜日、梅を梅酢に戻しながらボロボロ涙が溢れて止まりませんでした。今年はうまくいきそうやわ・・・そんなことをもう電話することもできないんだな、と思って。

 

やっぱり今年は横浜にいてよかった・・・そんな気がします。

 

おぼんです、おばんです、誰がオバンやねん・・・何だかこればかりを繰り返し、そんなしょーもないことをメールしてくる友のありがたさを思い、ここを読んでくれる人の顔を思い浮かべ、見知らぬ人にも思いを馳せ、あっちこっちに心が飛ぶ、そんな今年のお盆です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする