”「パーリー・P・プラット(1807-1857、1835 使徒に)は、幾人かの教会幹部の兄弟たちと神殿の日の栄えの部屋(当時、ノーブー神殿は、完成間近で、同年5月奉献、屋根裏部屋であったと)で、神権の職と教会における権威・権限について話した。彼の語った要点は以下の通り。
もしも十二使徒定員会が、何らかの理由で解散・崩壊(全員が、資格剥奪やら死亡)となれば、世界中のどこに教会があろうと、教会を管理する管長会としての権限、権威は、七十人たちの上に移行する。それでは、大祭司は、どうなのかと言えば、そのような事態になった場合、大祭司は、現状のままでの義務を果たすだけにとどまるが、一方、全教会に対する管長会としての権限、権威は、七十人たちに属することになる。さらには、たった一人を除いて、他のすべての七十人が次々と殺されていった等とした場合、その生き残った七十人は、その権威、権利を保持しているのであるから、教会の管長の立場にある者として、その義務を果たさねばならないことになる。
予言者ジョセフは、カートランドで、幹部たちに、この神権における秩序を確立すべく説いたが、大祭司たちの間に妬みの心が生じてしまい、彼らから反対された結果、ジョセフは未決議のままとした。
結局、七十人と大祭司との権威・権能における違いは何か: 大祭司は大祭司の神権を持つ、一方、七十人は、大祭司の神権を保持すると同時に(休止状態、未発動の)使徒職をも持っている。この使徒職は、地上において、また、教会内において、最高の権威・権限である。人は、予言者、聖見者であって、なおかつ、教会に所属していない、バプテスマをも受けていないということはあり得る。ジョセフ自身、バプテスマを受ける前に、どの神権を受ける以前、予言者、聖見者、啓示者であったわけで。が、しかし、彼は託された事柄に忠実であったために、神は彼をアロンの神権の祭司に聖任するため、バプテスマのヨハネを送り、しかるべき時に至って、全能者は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを送って、彼を教会で最高の権威であるところの使徒、教会の最初の長老に聖任した。
このお話での出席者は・・・・・、ヒーバー・C・キンボールは、同日午後、一般集会で、同じ様な内容のことを話した。」
1846年1月25日、日曜、ジョン・D・リー、記す。『七十人の記録』巻B
” ()内は、たまWEB。
さてと、パーリー・P・プラット長老は、予言者の塾で、塾長でもありましたが、たまWEB、彼のこの話の趣旨が、あるべき姿として全面的に正しいとみなしましてですね モルモン・ウィキの「七十人」等の説明と比較、参照しますれば、現況との違いがいくつか見られるのかな??と・・・・
1960年になって、七十人は、大祭司であるようにお達しがあった・・・・プラット使徒の言ってたことに近づいたととれるのかな??
「ブリガム・ヤングはこの問題を認知しており、彼が死ぬ前にこれを変更しようとしました。ジョン・テイラーがそのようにした形跡もあります。 」とありますが、このプラット使徒の話の事を指してるんでしょうか??
まぁ、これ大げさに言えば、当時の大祭司のグループが、プライドと嫉妬で、既得権者として?抵抗勢力になってしまったのが原因で、100年以上も過ぎてから、やっとジョセフの示したところに近づいてきたということなのか?? やはり、予言者は故郷では敬われない??
このへん、また、ネット情報、もうちょい仕入れてですね・・・・
http://www.millennialstar.org/priesthood-restoration-document-71/
http://www.mormonwiki.com/Seventy
http://ja.mormonwiki.com/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%BA
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