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七十人  VS  大祭司  その2

2011-11-19 21:00:00 | 教会の歴史 

教義と聖約107章36節に、”シオンのステークにおける常任高等評議会は、教会の諸事に関する彼らのすべての決議において、大管長会の定員会、あるいは巡回高等評議会と同等の権能を持つ定員会を構成する。 ”とありますが、この1835年、カートランドでの啓示では、少なくとも、管長会に次いで、巡回高等評議会(十二使徒定員会)と同じくらいの権限のあった常任・常駐高等評議会というのがあったわけですよね・・・・その後どうなったのか??
続きは、来週・・・・


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1 コメント

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Unknown (たまWEB)
2011-11-26 12:57:44
”続きは、来週・・・・”と書いたものの、内容、あんまりですが、一応・・・・

えぇぇと、”シオンのステークにおける常任高等評議会”(12人の評議員より構成される。別名 シオンの高等評議会、シオンにおける高等評議会。財政、人事、宗紀などの管理)が、最初に組織されたのは、1834年2月、カートランドで。

んで、ジョセフが、カートランドを去り、ミズーリ州ジャクソン郡へ移ると、ジャクソン郡ファーウエスト町で、組織された高等評議会が、常任高等評議会(シオンの高等評議会、管理高等評議会)となり、カートランドの評議会は、権限、権威において従属する立場になった。

諸所に、各ステークが組織されると、それらステーク内の高等評議会は、常任高等評議会(管理高等評議会)に従属。

で、巡回高等評議会(十二使徒定員会)も管理高等評議会であるが、ステーク外の伝道地と七十人が管理の対象であった。

全七十人からなる定員会は、巡回高等評議会(十二使徒定員会)と同等の権威・権限を持つとされ、全ステークからなる高等評議会の集まりは、常任高等評議会と同等と考えられた。そして、常任高等評議会と巡回高等評議会を合わせたのが、管長会と権威、権限で同等とみなされたということらしい。

ミズーリから追い出された後、ノーブーで、また、常任高等評議会が組織された。ジョセフが亡くなった時、分かれた別派で、それぞれ、常任高等評議会にあたるものが組織された。ブリガムの下では、十二使徒定員会が指導的立場に。

ソルトレークに入植後、一時期、常任高等評議会のミニチュア版の役割を、中央ソルト・レーク・ステークが持った。他のステークで、指導者を補充する場合、推薦された名簿を、中央ソルト・レークに送り、指示を待ったといったこと。1877年にブリガムの通達では、常任高等評議会は、消滅。

    http://en.wikipedia.org/wiki/Presiding_high_council


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