前回 その3 2011-12-15 21:27:00
いやぁぁ、お恥ずかしいっ・・・・”その啓示(87章)は、当時(1835)、公表が制限されていた。カートランドで、オリバー・カウドリ他によって編集された時に、彼ら、幹部たちは、世に公表することは、知恵にかなわないと判断したわけで。オリバーのプライベイトの机の引き出しに保管されたままだった。当時、幹部たちは、この国や他の国々での、アフリカ人種の奴隷制度に関し、様々な考えをめぐらしていて、公表しないことにした”と、ヤング管長、1860年5月20日の説教で言ってましたぁ。
http://fairwiki.org/One_Nation_Under_Gods/Use_of_sources/Attitude_of_Saints_to_Civil_War_prophecy
カートランドで、というのは、35年版の『教義と聖約』ですね。他は、ジョセフ、シドニー・リグドン、フレデリック・G・ウィリアムズですかぁぁ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Doctrine_and_Covenants
たまWEB,前回の記事で(その3)、87章(戦争の予言)の啓示について、
”・・・・リチャーズは、当然、この啓示の史料を持っていた、知っていたんだと、知らなかったはずはないだろうと、そして、ブリガムも、何らかの隠された理由で、これを含めないようとしてた、そう指示していた、知らしむべからずだったんだと解するわけです。
”
”何故、抹消しようとしたのか?? 英国の介在を指し示してるがために?? はてまた、他に、実際消されてしまった啓示、幾つかあるのかもっす??・・・・はぁぁ~、闇は深し。
”
等と書いとったわけですが、
たまWEBの勘と思い込み、当たりませんでしたねぇぇ、がっくんこ・・・・
教会歴史書庫に保管されてる史料なんですけど、書庫に入った学者さんらによって筆跡鑑定が行われ、20人ほどの記録者、判明してるということです。たまWEB的には、87章の史料が、いつ誰の手で書かれ、そして、いつ教会歴史家の手元に入ってきたのか等というのがわかると、面白いんだけどねぇぇ・・・
筆跡鑑定で判明した『教会歴史』のおもだった歴史書記:
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Church
まぁ、でも、87章のジョセフの予言に関して、ネットでいろいろ見れますです。
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