マウンテン・メドウの虐殺(1857.9.11)、まぁ、陰謀説の観点からしたら、仕組まれてた、計画通りであったとしか言いようなしというのが、例の直感?諸々で、たまWEBの感想でっつ。
まぁさぁ、太平洋戦争では、日本人平民は、鬼畜米英相手に、兵隊として突撃して行ったわけですが、日本人貴族・中枢は、戦争を起こして世界統一を目指す国際陰謀グループの一員・協力者だったわけで(明治維新の時から、否、15,6世紀くらいから??或いは、もっと前??)・・・・同じような事が、このモルモン王国にも当てはまるんだと、モルモン王国を率いる者たちも、日本の貴族グループみたいなものだったんだと・・・・理解します。19世紀は、そういう時代なんなんでは・・・・19世紀のみならず、ずっと、そうか・・・・
当時のモルモン王国を率いるトップ3、ブリガム、キンボール、リチャーズのメイソンたち(正確には、第2副管長はダニエル・H・ウェルズ(1814-91))・・・・まぁね、普通、教会員にとって、とても信じられないところでは、あるんでしょうが、陰謀説的歴史理解としては、それしかないような・・・・虐殺事件は、ブリガムらによる、恐怖政治的、秘密警察的コントロールの表れ、強化でもあり、合衆国政府による裁判を通じて、法の下に服させ、モルモン対処、処分を可能に・・・・
戦意を高揚させ戦争に応じることは、後々、上意下達の支配強化に役立つことを見越していた・・・・それが、分割統治上、定番であった・・・・
この分割統治とは、単に領土や国を分割するという意味ではなくてぇぇ・・・・、裏に隠れてるより大きな力が二つに「分断」して「反目」させ合い「 征服」するみたいな・・・・英語だと、ディバイド・アンド・コンカー (Divide and Conquer)って・・・・明治維新の時は、薩長に英国フリーメイソンが、幕府にフランスのメイソンが・・・・この英仏メイソンが裏で画策してるのは、七年戦争(米国では、フレンチ・インディアン戦争)や、インドが植民地化する時も・・・・
鬼畜米英の裏側では・・・・
http://satehate.exblog.jp/17749871/
「一方のヤングはそれに勝る3000人の兵を集め、政府と対決する姿勢を示しました。この時、ヤングの腹心ヒーバー・C・キンボールがこう言って戦意を高揚しました。「私たちは迫害され財産を取られ続けて来た。今、私は体中の血が乾ききるまで戦う。そしてそれを支えてくれる『妻達』がいる」」
「マウンテンメドウの虐殺」
http://garyo.or.tv/kakure/meadows.htm
分割統治、ディバイド・アンド・コンカーとは??
「ディバイド・アンド・コンカー [近代史+ (欧米)]」
http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2009-06-22
「GHQによる日本の官僚支配」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=207186
「ユダヤを知るにはフェニキアの知識は欠かせない」
http://quill.to/qd_flare/a485308e8d
「日本と韓国は戦後、なぜ犬猿の仲になったのか」
http://blog.livedoor.jp/rukarisu5g/archives/52036301.html
「ディバイド・アンド・コンカーとは分割統治法といい英国が世界を支配した手法です。」
http://twitter.com/#!/akitsukidayori/statuses/22147885349
マウンテン・メドウの策略では、深慮遠謀、パーリー・P・プラット(1807-1857.5.13、12人の妻、30人の子)も都合よく、消されることも計画の内に含まれていたというのも、たまWEB、理解出来る感じっす・・・・
プラットが、アーカンサー州で殺害されたわけですが、その犯人は、12番目の妻エレノア・マクリーンの夫ヘクター・マクリーン・・・・
ま、結局のところ、たまWEBの理解は、福音は回復されましたが、教会はフリーメイソン化したというのが・・・・
管長会人事年表・・・・http://en.wikipedia.org/wiki/Chronology_of_the_First_Presidency_(LDS_Church)
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