より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

ビショップさんからのコメントへの返答  その2

2012-12-05 06:21:48 | たまWEBやブログの紹介

前回   ビショップさんからのコメントへの返答   2012-12-04 13:34:36 

 

コメント/ご返事ありがとうございます。たまWEBのブログに時間とエネルギーをさいていただき恐縮、ありがとうございます。

≪”ビショップさんからのコメントへの返答 2012-12-04 13:34:36 | ブログの解説など” コメント欄より≫
「愛するたまWEB兄弟 (たまWEBのビショップ)  2012-12-04 19:02:39
どこが悪いかお分かりでないのですか?
昨日開いた箇所「混乱の種」のページの以下の箇所です。
「やはり、この最後の神権時代の予言者としての鍵は、ジョセフからは、誰にも渡されていないのでは??」
あなたは、現在の生ける預言者は神権の鍵を保持していないと言いたいのですよね。あるいはそのような主張をしている人の考えに共鳴しているのですよね。
それは、あなたが今教会から得ている特権を保持するのにふさわしくない立場です。そのような態度と、あなたが得ている特権を両方維持することはできません。
その尊い特権を保持するべきでない人に、その特権を許可するなら、わたしは自分の義務を果たしていないことになります。

えぇぇとですね、書き方が乱暴になってしまって、誤解のそしりが免れなかったわけですが、たまWEBの現在の理解はですね・・・・まず、この記事、”混乱の種 2012-11-14 12:21:08 | 教会歴史”の ”兎も角、教会を導き、全世界に建てて行く重荷は、使徒たちが背負うことになったと・・・・” に関して、充分、書いてなかったんですが、このブログを書いてて、数ヶ月に一度、或いは一年に一度あるかないかくらいの衝撃的なものだったんです、たまWEBにとって。「すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。」(第2コリント13:1)とありますが、このノーブーに戻りたかったけれどそうできなかった、80歳のホーン兄弟の話が、三番目の証人みたいな感じでですね、強い印象となって迫ってきたわけなんです。   

”1893年の、英国はランカシャー州ラムズボトム町在、80歳になるホーン兄弟の話に、それらしきこと・・・・すると、使徒たちに説いていたジョセフは言いましたんです。「この王国の重荷は、私がこれまで背負わされてきたけれど、私はそれをあなたがたの肩の上に掛けさせよう。そうすれば、神の王国は、引き続き、進み行くであろう」”

"I’ve always heard that Joseph Smith knew more about the kingdom of God than he could share. Because if he did, people in the church would want to kill him. Sound absurd? Robert Horne, while living in Nauvoo, heard the prophet speak in the Nauvoo Temple —

“On May 23, 1843, I listened to a discourse preached in the Nauvoo temple, which was then only partially finished. Brother Joseph was talking on the pre-existence of our spirits, and our relations to God in the spirit world, and our standing in the family circle of our Father. Now I am telling the truth, and I remember that while thus talking he suddenly turned around to the Apostles sitting on the stand and said in effect:

‘Brethren, if I were to tell you all I know of the kingdom of God, I do know that you would rise up and kill me.’

Brother Brigham arose and said, ‘Don’t tell me anything that I can’t bear, for I don’t want to apostatize.’

Brother Joseph, addressing the Apostles, then said: ‘The weight of this kingdom has been as a millstone around my neck, but I am going to roll it off on your shoulders, and then the kingdom of God will go on.’

There were eleven of the Apostles present at this time. Among them I saw Parley Pratt, Orson Pratt, Willard Richards, Geo. A. Smith, Brigham Young and John Taylor. I don’t remember the others.” (Robert Horne, “Reminiscences of the Church in Nauvoo,” Latter-Day Saints’ Millennial Star, Vol. 55, No. 36, Sept. 4, 1893, p. 585)

" "If I were to tell you all" • Eve Out of the Garden (deilataylor.com)

でですね、”現在の生ける預言者は神権の鍵を保持していないと言いたい”なんですが、そうではなくてですね、このへんを少し探ってみますと、まず、教義と聖約112:15「わたしが彼に授け、またあなたがたにも授けた鍵は、わたしが来るまで彼から取り去られることはない。 」からしますと、王国を導く鍵は、2箇所にあると、一つはジョセフの頭の上、もう一つは、十二使徒たちの上。予言者ジョセフは、神権時代の長として、その鍵を、アダム・オンダイ・アーマンの時まで、持ち続けると。
で、ジョセフが、「王国の重荷は・・・・あなたがたの肩の上に掛けさせよう。」といった時から、王国を導く鍵が、二つ、並立するようになったと考えていいと思います。そして、ジョセフが取り去られて、王国を導く鍵は、この地上では、十二使徒たちの上にある鍵だけになったと。まぁ、霊界のことも含めたら、未だ、二つ、同時に、並立してるわけですが・・・・
そこでですねぇ、教会歴史的になるのか、ジョセフは、自身の死後、ジョセフ同等の予言者が現れる、召されるであろうみたいなことは、何も言ってないというのが定説なんじゃないかと思うんですが、そのへん、どうなのか???
例えば、管長さんが、管長職に、按手聖任(或いは、任命?)される時、使徒たちが手を按いて、使徒会長が宣言するみたいなんだと思いますが、それも、使徒たちに与えられた鍵を通してなわけで。
ジョセフと同時代の人たちの間では、予言者といえば、ジョセフのことだけだったんですよね、で、その使徒たちの誰も、ジョセフから、自身の死後、あなたが、予言者になりますとかって言われた人はいなかったんでしょうと、あくまで、王国の鍵の下での使徒たちの一員・・・・’予言者’、’聖見者’というのは、単に称号なんだと、十二使徒たちもその称号を受けている、しかし、その’予言者’の称号で、管長を呼ぶことでさえも適切でないと、ジョセフ・F・スミス管長は言ってたんですけど(歴代管長ジョセフ・F・スミス 25章 p223)、そのへん、突き詰めると、管長には、やはり、未だ、称号だけで、鍵を持ってる予言者は、やはり、ジョセフだけなんだと・・・・現在、教会で、使われる”生ける予言者”ということば、称号なんですが、総大会で最初に言った人は、マリオン・G・ロムニー(1897-1988 51使徒)で、彼はそう話した時は使徒だったと、その称号は、管長や管長会が宣言したものではないんですよねぇぇ、なんとなく広まったみたいな・・・・出版物に頻繁に書かれ広まったとある教会歴史家が・・・・

この理解に立つと、’生ける予言者’は、実質、管長なんだと、で、管長は、’予言者’の称号を帯びているけれど、十二使徒たちの上に与えられた鍵の下にあるんだと・・・・’生ける予言者’が保持している鍵といった場合、それは、やはり、十二使徒たちの上に与えられた鍵であって、予言者ジョセフに与えられた鍵は、”わたしが来るまで彼から取り去られることはない”と。ということは、おそらく、予言者に与えられた鍵からは、使徒たちを召し、聖任できるけれど、十二使徒たちに与えられた鍵では、ジョセフ同等の予言者を召したりはできないのかも、或いは、ジョセフ同等の予言者を召す必要はない、何故なら、予言者ジョセフは、その鍵を持っていて、現在霊界で、働いているから・・・・霊界で働くためには、彼はその鍵を保持していなければならなかった・・・・或いは、予言者に与えられた鍵の下では、その予言者は、新たに、同等の予言者を召すことができるとして、しかし、ジョセフはそのことをしなかったと・・・・


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