より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

ビショップさんからのコメントへの返答

2012-12-04 13:34:36 | たまWEBやブログの紹介

一応、以下が、メールしましてね、その内容でございます。


お忙しい中、ブログご訪問いただき恐縮です。コメント読ませていただきました。
こちらからの返答としまして、ながながと、書いてしまいましたが、たまWEBが、理解できるように、同じ目線に立っていただいて、また、ブログのほうにでも、ご返事など頂ければ、ありがたいのですが。よろしくお願いいたします。なお、一応、ブログのほうにもですね、このメール内容、再掲したいですが、ご了解のほどを。

拝啓  **ワード、***ビショップさまへ       2012年12月4日(火)

今朝早くに、コメントあることに気づきまして(昨日、記事アップロードした時には、コメント欄に目は行きませんでした)、読みましたんですね、で、ちょっと面食らってしまって、なかなか、考えがまとまらない感じなんですが、一応、若干、不満というか、たまWEBの気持ち、感想、質問等をさせていただくということで、メール致しますです。

今回のコメント:≪”混乱の種 2012-11-14 12:21:08 | 教会歴史”のコメント欄≫

「あいかわらずですね (たまWEBのビショップ)  2012-12-03 12:42:00
あなたの一世一代の弁明も読みましたが、まったくふざけた調子ですね。そして、あいかわらず、教会を攻撃する人が書いたブログから翻訳・掲載していますね。あなたの態度が変わることを願っていますが、これ以上見過ごすわけにはいきません。悲しいことですが、やむを得ません。あなたが教会から受けているかけがえのない特権を差し止めさせていただきます。あなた自身が、この記事の中で、あなたがその特権を保つのにふさわしくないことを明白に述べています。

どの記事のどの引用が、教会を攻撃する人の書いたブログからの翻訳になるのか、具体的に指摘はしていただかないと たまWEBには、どれが、それに当たるのかわからなくて困っています。具体的指摘、是非ともお願いしたいのですが???ブログ・カテゴリーの”教会幹部”云々のところは、見れないようにしましたし、これまで、注意は払ってはきたつもりなんですが・・・・

”攻撃する”、”反対する”といったことの判断基準みたいなものは、どのようにするんでしょうか??? そのへんは、ブログを書く人の判断に委ねるということにはならないんでしょうか??

この記事の中で、その特権を保つのにふさわしくないことというのは、どの部分なんでしょうか???

こういったことを、たまWEBの理解なしで、予告なしで、特権を差し止められるというのは、寝耳に水というか・・・・・「11.わたしたちは,自分の良心の命じるとおりに全能の神を礼拝する特権があると主張し,またすべての人に同じ特権を認める。彼らがどのように,どこで,何を礼拝しようと,わたしたちはそれを妨げない。」と信仰箇条にあるわけですが、上から目線だけで、特権差し止めを決められてしまうというのは、一種の力ずくというか権力の濫用みたいなことにはならないんでしょうか??

たまWEBとしては、教会への批判的な意見などは、むしろ、信仰の肥やしになるのではと思うほうで・・・・ジョセフの名は、良くも悪くも語られると(ジョセフ・スミス歴史 1:33)にあるわけですが、たまWEBは、まぁ、勝手にとなりますか、ジョセフへの親しみみたいなものを持ってるほうではと思うわけですが・・・・分派、争い、ねたみを奨励するといった意図は、もちろん、無いわけでして、むしろ、いろんな批判にさらされてたほうが、”シオンの中ではすべてよし”に、ならなくてチェック機能にもなるのではとも思います。(”彼らは、「シオンの中では、すべてが良い。まことに、シオンは栄えており、すべてが良い」と言う。”第2ニーファイ書28:21)


前回初めてのコメント:≪”「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。・・・・」2012-08-10 09:44:55 | 教会 VS 富、世の権力、秘密結社”のコメント欄≫

「Unknown (たまWEB兄弟のビショップ)  2012-08-12 22:14:59
愛するたまWEB兄弟,
今日はたまWEB兄弟と面接し,穏やかに率直に話し合うことができたことを心から感謝しています。
さて,面接のときにもお話ししましたが,わたしは最近このブログのことを知り,一部分を読まさせていただきました。
特に「教会幹部は大丈夫なのか?」というセンセーショナルなタイトルの項目を読んで,大きなショックと悲しみを覚えました。教会に反対する人が書いた記事を日本語に翻訳して,それに対する軽薄なコメントを書いておられたからです。
たまWEB兄弟は,今でも教会の指導者を支持しているし,神殿に参入する資格も保ちたいとおっしゃいました。しかし,面接のときに申しあげたように,そのような文章を翻訳して広めることは,たまWEB兄弟の神殿に参入する資格に影響を及ぼします。
たまWEB兄弟は,伝道と再活発化に役立つことを願ってこれらの記事を翻訳したとおっしゃいました。しかし,実際はこれらの記事からそのような肯定的な目的を達成することはできず,逆の結果を招いてしまいます。さらに,たまWEB兄弟自身の霊性に悪影響を及ぼします。
たまWEB兄弟は,面接の中で,わたしの言葉を理解し,ブログの中の不適切な部分の削除することに同意してくださいました。たまWEB兄弟の素直な態度を見て,わたしはほっとしました。
今後,このブログのタイトルである「より一層の知識と光を求めて」にふさわしいブログにするために,また,たまWEB兄弟がこのブログを通して達成したい結果を得るために,内容を一新していただくように,重ねてお願いいたします。
ガラテヤ人への手紙第5章19-23節にこうあります。「不品行,汚れ,偶像礼拝,まじない,敵意,争い,そねみ,怒り,党派心,分裂,分派,ねたみ,泥酔,宴楽,および,そのたぐいのもの……を行う者は,神の国をつぐことがない。しかし,御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制であて,これらを否定する律法はない」。
愛するたまWEB兄弟,繰り返しますが,不適切な内容をすべて削除しなければ,神殿に参入するにふさわしい会員とは認められません。どうぞ,すぐにブログの内容の改善に取り掛かり,一日も早く,完了させてください。
愛をこめて,
あなたのビショップより

うぅぅんんんとですねぇ、≪”たまWEB、一世一代の弁明??? 2012-08-13 20:28:28 | ブログの解説など”≫の記事では、何か書こうとしたんですが、弁明的なことは、ほとんど思いつかず、その日曜に受けた、ビショップさんからの面接のことを思い出してですね、その内容をずらずらっと書いただけなんでしたぁ・・・・”ふざけた調子”と言われますが、たまWEBの個性でしょうか、浅学非才、軽薄短小ではあっても、まぁ、ブログ内容全体の印象からしたら、自分から言うのもなんですが、バライティが適度にあって、情報の風通し、流通には貢献してるみたいな、そういったふうにですね、頭から否定というのではなく、ブログ内容全体を考慮したりですね、多少でも肯定的に見るという観点には立ってもらえないものなんでしょうか???

”あいかわらず、教会を攻撃する人が書いたブログから翻訳・掲載していますね”なんですがぁ、うぅぅんんとですねぇ、このブログは約一年半になりますかぁぁ、旧モルモンの泉掲示板では、約5年ですかぁぁ、まぁ自己レスがほとんどでしたが、いろんな、おもに教会英語情報から、訳したりして、まぁ、自分の興味のある、例えば予言とかになりますかぁ、そういった過去の蓄積、流れ、たまWEB自身で獲得した学び、もちろん、掲示板では、投稿者の感想・意見にも影響されたこともあったんですが、まぁ、概してですね、教義と聖約58:28には、”人は自らの内に力があり、それによって自ら選択し行動する者だからである。そして、人は善を行うならば、決してその報いを失うことはない。”ともありますけれども、自ら、リスクをとってですね、孤独にもめげず、コツコツとですね、努力してきてですね、誰かに頼るということではなく、自らの信仰へのチャレンジみたいなものともいえるでしょうか、有象無象の、或いは知性の上回る多くの学者さんらの見解のあふれたような、まぁ、知的には、たまWEB、平均的まで行くといいんだけど、インターネットの世界に、たまWEB、デビューしてですね、いろいろ、新たな情報にもまれて、自分で理解できたと思われる範囲内に、もちろん、限られるわけですが、価値あると自ら判断したものを選び取ったりしてですね、それが基本的には善良なものであると信じたいわけですが、武者修行みたいなものともいえるでしょうか、たまWEBにとっては、たいへん貴重な信仰を増す経験だと感ずるわけなんですね、そういったふうにしてですね、たまWEBとしては、(インターネット)以前よりも、信仰が改善というか、強まったという感覚もあるわけでして、信仰というとですねぇ、まぁ、ジョセフ・スミスが予言者であったということと、モルモン書が、まぁ、創作だと言う教会員の方もいるようですが、そうじゃなくてですね、真実の書物だといった、この2点に集約されますかねぇぇ。祈り求めたことへの祝福、霊感みたいなことが強まった、そういった面があるわけなんですね。例えば、祈りはですね、”天のお父様、いま、モルモン書、読みますけれど、少しでも理解できるように、霊的に・聖霊のお助けがありますようにお願いします、御子イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン”といった感じでですね、毎回、モルモン書を読む時は、その直前に、へりくだって祈リ求めてるんですが、そうしないとですね、なんら心に響くものが得られないのではというのが、モルモン書なんだなぁとつくづく感ずるわけです。まぁ、一般学者さんとかからすれば、マーク・トウエインみたいに、問題外とみなされてしまうケースが多いんでしょうと・・・・

でですね。”あいかわらず”ということなんですが、一応、ブログ・カテゴリーの”教会幹部”云々のところは、見れないようにしましたし、これまで、注意は払ってはきたつもりなんですが・・・・

うぅぅんんと、”教会を攻撃する”という意味はどういうことになるのか???ということなんですが・・・・”批判をする”、”意見を述べる”、”要望する”、”質問する”等々、一切合切を、”教会を攻撃する”、”教会に反対する”と拡張解釈的に、ビショップさんは、理解している、それが、教会の指導方針だということなんでしょうか??? 具体的にブログ記事のどれを指して、それにあたるとしているのか??? 教会を批判してるような人でも、大きく見れば、一匹の迷い出た羊になるのでは??そういった人の意見にも耳を傾けてあげることも良いことなのでは??

例えば、ヒラ教会員が、インターネットから得られる、モルモン情報をブログに書く場合の、具体的なガイド・ラインを知らせる教会のサイトとかは、あるんでしょうか???  或いは、また、教会の指導方針としては、個別に、当該ブログ者の所属ワードのビショップさんに面接させ、ブログ内容を吟味させるとか、そういった方針なんでしょうかぁぁ??? ビショップさんの個人的見解をたまWEBに、さとしているということではないのではと思うんですが?? そのへん、オープンにしてはいただけないんでしょうか?? ビショップさんには、二人の副ビショップ・顧問さんが付いており、さらには、上のステークの組織から、高等評議員さん、ステーク会長会さんからアドバイス/指導など受けられてる中に、こういったブログに関することもあったりするんでしょうか??お仕事上では、教会管理本部の翻訳・通訳のほうにお勤めということで、教会の指導方針とか、詳しいのでは??? 今回の特権差し止めに至った経緯は、すべてビショップさん一個人の判断の結果であったんでしょうか、それとも、どなたかとの相談の上とか、上層からの指示とか、そのへんはどんな感じなのか、オープンに伝えてもらいたい気が??

この際、後学のためにも、単に、たまWEBと管轄ビショップさんとのやり取りに終わらせずに、第3者から見ても、はっきりとわかるような、この電脳空間においてですね、そういったものが必要だという気がするんですが、いかがなものでしょうか???


”この記事の中で、その特権を保つのにふさわしくないことというのは、どの・・・”なんですが、それは、

”まぁ、”すべての神権の鍵”、”使徒職に属するすべての鍵と力”とかって、ありますが、やはり、この最後の神権時代の予言者としての鍵は、ジョセフからは、誰にも渡されていないのでは??”  でしょうか??

各神権時代の長は、その鍵を持ち続けるのでは、アダム・オンダイ・アーマンの地で、各時代の長から、弓張りの腰のアダムに渡り、最後にキリストへと渡るのでは??・・・・次のようなのも書いてました・・・・

「超私的訳part2  ...WEB・・・ - 2007/03/23 18:12  

前に示現を受けているジョセフを見たことがあった。そして今度は彼が話す時、顔が白く輝き始めた。それは死人の血の気の無い白さではなく生き生きして輝くものだった。どこか遠くにあるものを眺めて集中しているようだった。彼は言った、'山々にある谷間を眺めている、雪を頂いた山々の美しいこと!、峡谷を縫ってくる、爽快にさせる冷たい流れ!'それから場所が変わったかのように別のほうを向くようにして'あぁ、この民が通って行く様子だ!死体があちこちに横たわっている!'それからまた、情景が変わったかのように別のほうを眺め言った'おぉ、兄弟達がかの地に着く前に背教が起る!しかし神権はあらゆる敵に打ち勝ち悪魔に勝利を収め地上に確立される、二度と倒れることはない!'…

ジョセフの姿の崇高さは言葉で言い尽くせるものではない、彼を覆っている神々しい霊感により、地上のものへの美しい形容の言葉や驚くべき予言の言葉を発する時。勢いと力にみなぎっている…ジョセフとハイラムの遺体はジョセフのマンションに運ばれ見に来たい人々のため置かれた。私は家族を連れて予言者と祝福師の遺体のビューイング・viewingに行った…三日目の夜、夢、示現を見た…私は一人で旅をしていて3エーカー程の広さの新しい土地に着いた。その真ん中に素敵なレンガ造りの家を見つけた、家のドアまで行くと、ジョセフが広間の真ん中に立っていた。飛んで行ってジョセフにしがみついた。彼を抱きしめキスをして言った、'ジョセフ、死んだと思っていた'彼は言った'その通り'、'でもあなたは確かにジョセフだ'、'そう、自分はジョセフだ、さあ、すわって全部話すから' 席に着いた時自分は親しくしている聖徒達の集会にいるのがわかった。'兄弟達、私はカーセージの牢獄で殺された。しかしあなた方は命じられたことを行うならなんら変わりはないのだ。これまで行って来たように私はこの王国を管理し統治する。王国の鍵は私に委ねられている、それを保ち世々限りなく持ち続ける。私は死んで、敵の力の及ばない所にいる、今や、あなた達のため良い事ができる。心配しないでいい、忠実勤勉で、命ぜられたことを行い、そして神の救いを見なさい'  アンソン・ランド自伝

或いは、”ブリガムらの深慮遠謀的、教会を弱めるべく時限爆弾的に、自らの子種で、混乱させる作戦だったのかぁぁ・”の部分でしょうか???

このへんは、陰謀説的感覚なんですが、ブリガムが、バプテスマ受ける頃には最初の妻がなくなって、まもなく再婚した女性が、ですね、まぁ、政略結婚的というか、ある種の有力家族のさしがねがあったのではと、まだ、多妻結婚が始まる前ですからぁ、陰謀が働いてたと想像してですね、日本の歴史では、戦国時代の政略結婚みたいなのを想像してもらってですね・・・・実際、使徒職にブリガムが召したその息子ら3人は、その妻との子供らなわけで・・・・こういったふうに見てみるのも、いかにも人間くさい、歴史の謎解きみたいで、興味をそそるのではと・・・・

敬具


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1 コメント

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愛するたまWEB兄弟 (たまWEBのビショップ)
2012-12-04 19:02:39
どこが悪いかお分かりでないのですか?
昨日開いた箇所「混乱の種」のページの以下の箇所です。

「やはり、この最後の神権時代の予言者としての鍵は、ジョセフからは、誰にも渡されていないのでは??」

あなたは、現在の生ける預言者は神権の鍵を保持していないと言いたいのですよね。あるいはそのような主張をしている人の考えに共鳴しているのですよね。

それは、あなたが今教会から得ている特権を保持するのにふさわしくない立場です。そのような態度と、あなたが得ている特権を両方維持することはできません。

その尊い特権を保持するべきでない人に、その特権を許可するなら、わたしは自分の義務を果たしていないことになります。
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