6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。
幼小中辻曲がりコースを短縮したコースを歩く。幼稚園、小学校、中学校下を通り緩やかな坂道を下り広い道に至る直前で左に折れて中道を通って帰る。1km弱は短くなっているが、時間はそれ程短縮されていない。犬の立ち止まりが頻繁だからだろう。天気はよく風はない。
犬が電柱の根元を丹念に嗅いだりして調べている時、土手の草に目が行った。小さな毛虫がカラスノエンドウの茎を歩いていた。シャクトリムシがハコベの茎にいた。小さなクモが小さな巣を張って中央にいた。
7時半に帰着。
昨夕の散歩について
4時前に散歩に出掛ける。昼前後、小雨が降るなどしたので、心配して降る前に如くはなしと早目に出た。結局、降らなかったが。
公園、グラウンド、海岸、浜、突堤の先といつものコースだが、距離にして2km強というところか。
一昨日出会ったあの猫がまたいた。今度は突堤の先ではなく突堤の根元に。
関係はこの前と殆ど変わらない。
2回目の対面で私も少し客観的に見ることが出来た。
一見、犬が恐ろしい勢いで迫り、猫は立ち竦み背中を高く持ち上げ怯えている。体は大きさで4,5倍、体重で10倍以上の圧倒的な差がある。強者が弱者を脅かしている。そう見える。高架道路を建設している人もこちらを見ていた。人は見たいように見るし、思いたいように思う。ステレオタイプなものの見方になってしまうのだ。その方がエネルギーを消費しなくて済むからだ。理の当然である。
しかし、仔細に観察してみると事はそんなに一方的な単純な図式では片付けられないと思った。
特に犬の様子を注意深く見ていると、お近づきになりたいがどうしたら良いのか分からないというもどかしさが全身に表れている。体を低めて細めて尻尾をちぎれんばかりに振り回している。飼い主の僻目かもしれないが。犬は単純、直情的で猫はしたたかで計算高い。尤もこれがステレオタイプの典型か。
猫はその様子を冷静に見極めているようにも思える。
実際、この犬が猫を噛み殺して美味しそうに食べる姿は想像すら出来ない。そんなことをするはずがない。この犬に限って。しかし、突然、ある事実を思い出した。
去年の夏の始めだったか、朝の散歩の時に犬はブロックの上にいたコフキコガネをバリバリと食べてしまったのだ。一瞬のことだった。
しかし、あれは虫だろう。この犬はハチなどが大嫌いのようで執拗に攻撃的になる。刺されたことがあるのか。
猫は虫から哺乳類まで何でも捕食する。食べなくともなぶり殺しにする。庭にネズミの赤ちゃんが息も絶え絶えにいるのは猫の仕業に違いない。他に誰がするだろう。あれはネズミの赤ちゃんとしか思えないのだが、ネズミ自体を最近見たことはない。
この犬とあの猫の関係に戻るが、猫はリードの意味を理解し始めているようだった。自分自身の安全は保障されていることは分かっているようだ。ここまでは大丈夫という境界線の存在と意識は貴重だ。
それから何も進展しなかった。可能性として犬と猫が仲良くなって一緒に過ごすことが出来れば良いなとの希望はかすかに持っているが時間を要すかもしれない。時間を要すとは時を経れば状況が変わり不可能、無理ということを婉曲的に述べたことになるかも知れない。
犬は突堤を離れてもしきりに後ろを振り返っていた。猫の姿が見えていたのだろうか。
5時15分前に帰着。