6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。
大型の商業施設群の手前で北上し大きな川を渡って川沿いの道を下って帰る。全天曇りで東風がある。
6時過ぎに自分の朝食を済ませて、南の家から渡り廊下を通って北の玄関に行って犬に餌をやる。そして南に戻るのだが、大抵は犬は一緒に付いて来るのだが、この2,3日、北の家に留まって付いて来ない。
散歩が終わったら北の玄関に入れて私は南の玄関から入って渡り廊下を通って犬を迎えに行く。この時は今や遅しとばかりに恐ろしい位のスピードで駆ける。
考えてみればおかしな習慣だが昔は殆ど北の家に居させて、そこの玄関で食事を取らせていたし、外から帰って直ぐに南の家に入れるのも足に付いた泥などが部屋に上がるのが心配だからだ。
朝食後、北に留まって一緒に付いて来ない理由は多分、北の庭を嗅ぎたいからだろうと想像する。南の玄関から出ると門に直行して道である。
一方、北の玄関から出ると北の庭を一巡して南に行きそこでも庭を少し嗅ぐことが出来る。おそらくこれがために北の玄関から出たがるのだ。計画的な確信的な行動なのだ。
橋の手前と向こうに塩化カルシウムの袋が2つずつ置かれていた。もう、こんな季節なのだ。昨年もここで塩カルの袋をその年、初めて見た。
大きな川の簡易橋を渡っている時、東風が吹いて欄干が生き物の鳴くような叫ぶような音を立てた。夜だったらさぞや不気味なことであろう。
川の土手にハゼが紅葉していた。周囲が如何にあっても、何者にもたとえがたい独自の赤色をしている。ちょうどヒガンバナの赤がそうであるように。
高い電線に止まっている小鳥がツエーとかツイーと透明な声で力強くいつまでも鳴いていた。
7時10分に帰着。
昨夕の散歩について
4時5分に犬の散歩に出掛ける。
アオギリの大きな葉が道路に落ちて風で路面を擦って思わぬ程の大きな音を立てる。レコードのSP盤を思い出させた。
感覚については視覚は写真などで記録し、聴覚はレコードなどで記録しで終わっている。人間には第6感を除き、5つの感覚があったはずだが。後3つは嗅覚、味覚、触覚だったが、これらの記憶装置はないのだろうか。世間の狭い自分は寡聞にして知らない。
人間にとって視覚と聴覚とは特別な意味があるようである。
視覚と聴覚とには生存のための感覚を超えて快楽という第7感ともいうべき、後天的な属性が付属している。
特に人間にとって歴史的な経験や人為的な価値によって支配されているように思われる。
突堤にカラスやトビが降りきた。カラスがいるとトビがいる。トビがいるとカラスがいる。カラスとトビは相性が良いというか悪いというか、カラスとトビの本当の関係は知りようもないが、良いは悪い、悪いは良いとまるでマクベスだが、このカラスとトビは同じ時間を生きていて似ていて違っていて違っていて似ているのだろう。
上空を7,80羽のカラスの群れが舞っていた。いろいろなグループが合体している最中なのだろうか、乱舞のようにも見えた。どこに向かっているか方向が定かではないのだ。大抵は、この時間、南の塒に向かっているはずなのだが。
が、やがて合意が成立したのか皆、南に向かって飛んで行った。そして、間もなく群れの姿は小さくなり夕暮れに消えていった。
5時15分前に帰着。
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