「目借時(めかりどき)」というあまり聞き慣れない言葉に出会った。
「蛙の目借時(かわずのめかりどき)」ともいうらしい。つまり、「春眠暁を覚えず」と言われる春の眠気を催す様子や、朝方の布団から抜け出すときの辛さ」みたいなものを言うのだそうな。俳句の世界では春の季語で、一定の人気を得ているらしい。
春は陽気のせいか、ついうとうとしてしまうことがある。春に眠気をも よおす理由は、蛙が人の目を借りるためだという俗説が古くからあり、これ から出た季語だといわれいる。 居眠りの理由をていよく蛙のせいにしているとも言えるが、水ぬるむ頃、ぬるんだ水から覗く蛙の目を見ると、なんだか眠たくなる気がすることから、最初 に眠気を蛙のせいにした人の気持ちも分からないではない。
大きなる膝に蛙の目借時 服部くらら
目借時こんにゃくちぎる爪を立て 石川桂郎
現役のころは、それこそ来る日も来る日も早く起きて出かけ、夕方は割と遅く帰っていた。8時間の睡眠を標準と言うなら、万年睡眠不足の常習犯であった。その結果、睡眠負債は膨らむ一方であったような。土日の連休で負債を取り返せるほどの睡眠時間が確保出きればいいが、毎週毎週そうも言っていられない。知らず知らずのうちに睡眠不足は溜まっていった。
それでも、特に大きな病もなく定年を迎えた。今の小生は「サンデー毎日」。よほどの計画でもなければ朝早く起きて、ラッシュの道路を走ることもなくなった。
睡眠負債のストレスや体力消耗を、どこかで、何かで、補いを付けていたのであろう。何かは具体的にはよく分からない。
やや能天気気味に、あまり小さなことにくよくよしないよう、気持ちをコントロールする術を持っていたのかな~。
もうしばらく、あの頃を思い出して能天気に、と言いたいところだが、今は能天気などを意識しなくても、どうかすると物忘れがあったり、人から言われて気が付いたり。ま、それでもなんとか生きて行けるということか。
うとうとまどろむ春の快楽を楽しめる今は幸せということか。過去という踏み台のお陰さんで。