ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

モンタナのメディア状況その3 商業ラジオ・テレビ編

2014-05-09 11:12:00 | メディア、テレビ
NHK放送文化研究所の方の取材に同行させていただいた3件目は、モンタナ放送事業者協会の会長の、デューイ・ブルースさんだった。協会は州都ヘレナにあるというので、最初は私が車を出してヘレナに行くつもりだったのだが、ブルースさん、「わざわざ日本のNHKからモンタナくんだりまでいらしていただいたのだから、自分がボーズマンに行くなんてたいしたことではないので行きますよ」と、私の大学のほうまでいらしてくださった。ブルースさんは商業ラジオ業界一筋のキャリアを誇り、現在は放送事業者協会の会長として、テレビについては回りの人にいろいろ聞いて勉強しつつやっているんだ、と言われていた。逆にラジオなら任せてくれ!という感じ。



モンタナには、19の商業テレビ曲、155のラジオ局があるとのこと。そして、ちょうどワシントンDCでの会議から帰ってきたばかりだったというブルースさんは、FCCによる周波数のオークション案に、地方の視点が欠けている、とくに、中継局に依存しており、出力も弱い小規模局にとっては生き残りがかかるという危機感を強くもっていた。この状況のために、モンタナの民主党上院議員ジョン・テスターと、ユタの共和党上院議員のオリン・ハッチが共同で超党派で呼びかけた、FCCへの手紙も紹介してくれたりなど、この問題に関して熱をいれて語ってくれた。

そうした問題のため、地方の、とくに小さな街のラジオ局やテレビ曲がいかにコミュニティにとって重要なのか、という視点からの話しを、事例とともにしてくれた。都会から離れた小さな街や集落にとって、とくに過疎化がすすんでいるところにおいて、地元の高校や大学のスメ[ツ中継やニュース、天気予報がいかに重要なものであるか。ラジオなど、全然儲からないけれど、好きだから、と地元民が自宅のリビングで放送したりして運営している局もある。また、全米最小のテレビマーケット、グレンダイブのテレビ局は、ガレージのようなところで5人ほどでやっている局だという。

田舎では、ケーブルを導入するのは難しい。衛星テレビはコストが高い。そうした状況で、地上波は非常に重要なのだが、田舎のことを考えずに都会の論理でオークションを実施すれば、中継局がなくなったり、田舎の局はつぶれてしまうかもしれない。カナダ国境近くの小さな孤立した街で、唯一中継局からはいってくるテレビ映像がなくなってしまったら、もしかしたらその地域では、アメリカにもかかわらず、カナダのテレビ放送しか入らなくなるかもしれない…と。

ラジオについて、「モンタナきて、キリスト教系のラジオ局が多いのにびっくりしたんですよね」と私が言ったら、実はキリスト教系ラジオがこれだけ増えたのは比較的最近の、私がモンタナに引っ越してきた7年前の前後以降のことらしい。なぜかと聞いたら、けっこうキリスト教系ラジオは、ほかにくらべてもうかるそうだ。

もう一つブルースさんのお話で興味深かったのは、現在のアメリカでのテレビ視聴の状況だった。「地上波返り」が起きているのだという。ケーブルもサテライトTVも、どんどん月々の利用料金が高騰化してしまった。結果、ケーブルやサテライトの契約をせず、地上波でローカルチャンネルのネットワークのTVをみて、その上にNetflixやApple TVなどと契約し、TVを見るというスタイルのほうが流行ってきているという。とくに若い世代にこの兆候が大きいと。

確かに私の授業で、学生たちに、テレビをどうやって見ているか聞いてみたら、圧涛I多数の学生がNetflixと契約して見ているといっていた。$7.99でストリーミング見放題のプランにはいっている学生が大多数。2つの授業で聞いたが、それぞれはいってない学生は2、3人程度だった。さすがにこの若い世代の間でのNetflix隆盛ぶりには、日本からの研究者の方も驚いたようだった。とはいえ、そのNetflixも値上げをするというので、今後どうなっていくだろう。

地域のテレビ、そしてラジオはとくに、生き残りをかけて、よりローカルのコミュニティにコミットするという流れになっているのだという。これは、新聞について、ボーズマン・デイリー・クロニクルの社長さんが言われていたこととも、またモンタナPBSのミッションとして説明されたこととも重なる。インターネット時代になって、地域により焦点をあてることで生き残りをかける地域のメディア、という状況が顕著なのだというのが、モンタナのいくつかのメディアについて聞く機会を得て、強く感じたことだった。

モンタナのローカルメディア状況 その2 新聞編

2014-05-07 01:32:00 | メディア、テレビ

3月にNHKの放送文化研究所の人がボーズマンにいらしたときに同行した、2件目の取材は地元紙の、Bozeman Daily Chronicle(ボーズマン・デイリー・クロニクル。以下クロニクルと略)だった。そこの社長のステファニー・プレスリーさんとのインタビュ―である。クロニクルは一時期はとっていたし、今でも時々ネットでは閲覧している、私にとってもおなじみの媒体。

 

クロニクルは、Big Sky Publishing LLC という企業体がもつ新聞。ボーズマンのほか、ほかの地域の街の新聞をいくつか発行している。そして、シアトルに本社をもち、ワシントン、オレゴン、アイダホ、モンタナなどの新聞を傘下にもつパイオニア・ニュースグループというグループに属する。社員は100人ほどで、そのうち75人ほどがフルタイム。25%くらいが記者や編集者で、あとは広告やセールス担当、経理などのビジネス関連担当者ら等とのこと。記者は、市役所担当、警察担当、経済・ビジネス担当、スメ[ツ担当、アウトドア担当、エンターテイメント担当、教育担当などがいるとのことだ。

こうした小さい街のローカルメディアは、記者にとっては大学やジャーナリズム系大学院等を卒業した直後の、エントリーレベルの仕事であることが多く、クロニクルの場合も、20代の記者が大部分らしい。こうした20代記者らの多くは、2≠R年もすれば、より大きな街の別の新聞へと転職していく。中にはボーズマンに根付いて長年記者活動をする記者もいるが、数少ないとのこと(大学を担当していて私も会ったことがある記者さんは、珍しいベテラン記者らしい)。編集者は3?0代が多いとのこと。

 

「新聞が死に絶えつつある」という評価がある中で、クロニクルは、ローカルのコミュニティのための新聞、という位置づけをより大きなものにしたのだという。これはクロニクルだけではなく、全米の新聞どこもそういう傾向があり、大都市圏の新聞でさえもそうだと思う、とプレスリー社長。そして、ローカルにコミットすればするほど、記者が足を使って動く必要もあるし、お金がかかる。AP通信などから配信される、ナショナルレベルの記事を掲載していたほうが楽だし安い。でも、インターネット時代になった今、ローカルにコミットしないと新聞は生き残れなくなっているので、ネット時代にはいってから、よりローカルの問題を深く扱う調査報道に重点をおくようになったとの説明だった。「コミュニティのための、コミュニティをうつしだす新聞(クロニクル)、コミュニティのための対話の場所づくりをを目指しています」と社長さんは言った。

 

「ボーズマン・デイリー・クロニクルのライバルの新聞はなんですか」と社長さんに聞いたところ、モンタナ最大の都市、ビリングスの新聞、Billings Gazetteかというお答え。ただ、新聞のウェブ版に関していえば、ほかの街の新聞よりもむしろライバルは地元のテレビ局のニュースサイトだ、とのことだった。発生したばかりのニュースを動画で取り上げ、刻々と最新情報を伝えるにはテレビ局のサイトはやはり強いということなのだろう。それとの差異化のためにも、新聞としては調査報道的な記事が重要ということらしい。

 

さて、このプレスリー社長、女性の社長さんである。新聞業界で女性の社長はわりとあることなのか、苦労は何かなど聞いてみた。プレスリーさんはずっと新聞の現場ではなく、経営側のほうの仕事を大学でてから渡り歩いてきたという。女性社長は以前は珍しかったが、今は少しずつでも増えているらしい。ただ、やはり仕事と家庭の両立は大変難しい仕事であり、プレスリーさんがフルタイムで社長業をする傍ら、現在は元記者の夫が主夫として、子育て、家事などをほぼ担当しているとのこと。

  
  プレスリー社長



お話を伺った後、社内の見学をさせてもらった。

 

建物の入り口すぐにあるスペース。経理、総務系の仕事をしている人たちがいるとのこと。


  ニューズルーム。記者、編集者などが働いている。

印刷所のほうも見せてもらった。ボーズマン・クロニクルは印刷も自社内で行っており、クロニクルのほか、地域の週刊の新聞、大学など学校の新聞の印刷も請け負っているとのこと。

 

ところで、時々Twitterで私がRTする、Bozeman Police Reportを流しているのも、このクロニクルである。ャ潟Xレメ[トは、この新聞随一の人気コンテンツだと聞いたこともあったりする。そして、お土産に、ボーズマンャ潟Xレメ[ト本と、ャ潟Xレメ[トTシャツ、そしてイエローストーンの写真集をいただいた。ャ潟Xレメ[ト本も買いたいと思っていたし、Tシャツもひそかに欲しいと思っていたので、嬉しい限り!ただ同行しただけの私までお土産のおこぼれに預かってしまい、そもそも同行者の立場のわりには、質問もけっこうしてしまったという。

 

このャ潟Xレメ[ト本、全国紙で紹介されたこともあり、すでに12000部の売り上げ。10万ドルの儲けになっているという。今出ているのは第二版だが、今後も出し続ける予定とのこと。


軽く一度で終わらせるはずのエントリが長引いてしまっているが、次回はモンタナの商業ラジオとテレビについて聞いたことをちょこっとまとめてみます。

 

 

 



モンタナのローカルメディア状況 その1

2014-05-06 04:20:00 | メディア、テレビ

またしばらく前のことになるが、3月にはNHK放送文化研究所の方がボーズマンを訪れた。モンタナのテレビをはじめとするローカル・メディア状況を調査するための訪問だった。

 

しかし、なぜモンタナなのか。視聴率調査のニールセンが毎年発表しているテレビ市

場のデータ、DMADesignated Market Area(全米1210位の市場をランク付け)

で、210位がいつもモンタナ州のグレンダイブという街なのだという。そして、ビリングス、ボーズマン、ミズーラなどのほかのモンタナの街も、ランクが低いとのこと。また、モンタナ州というのはPBS局ができた全米で最後の州でもあるとのこと。要するにTVマーケット的にひどく小さいらしく、そういう場所で調査をされたいということだった。

 

本当ならグレンダイブにも行かれたいところだったのではないかと思うが、何せグレンダイブ、ノースダコタとの州境近辺にある人口約5000人の小さな街。街に空港がないわけではないが、商業便にはほとんど使われていないようで、グレンダイブにいくためにいちばん近い空港は通常、ビリングスになるのだという。ビリングスからでも車で3時間。さすがに難しいとのことで、結局ボーズマンに集中して調査されることになった。


どこぞの小屋かみたいに見えるが、これがグレンダイブ空港のターミナル。空港サイトより。

そんなわけで、私は授業があったので全てではなかったものの、いくつかの取材に同行させていただいた。同行させていただいたのは、全然知らなかったが何と私の大学キャンパス内にあった、Montana PBSのpledge drive(視聴者に寄付をよびかける番組)の収録、地元新聞社Bozeman Daily Chronicleの社長ステファニー・プレスリーさんのインタビュ―、そして、モンタナ放送事業者協会 Montana Broadcasters’ AssociationのCEOの、デューイ・ブルースさんのインタビュ―だった。

 

プレッジドライブは、私はパブリックラジオやテレビでやっているのは知っていても、しっかり視聴したことなどなかったし、むしろプレッジをやっていたら「うわー今週はこれか」とがっかりして他の局に変えてしまったりしていた。なので、プレッジの番組を最初から最後までしっかり見たのも初めてだし、その収録の場(生放送)に行くなどというのも初めての経験。

 

この日はたまたま、プレッジドライブの電話受付のボランティアにきていたのが、ボーズマンのPFLAG (Parents, Friends and Family of Lesbians and Gays レズビアンとゲイの親・家族・友人の会)の人たち。こうして、地域で活動するグループが日替わりで電話受付ボランティアをするかわりに、自分たちの団体の活動について知らせる機会となっているらしい。

(PFLAGについては、マサキチトセさんのブログの、「米国LGBT家族・友人団体PFLAGと、「クィア」vs「それ以外」という分け方について」という記事で詳しく紹介されている。)

 

この日のプレッジドライブのゲストは、Montana PBS がつくった、Under the Big Stack: The Great Falls Smelter Rememberedという、グレートフォールズという街の製錬所の歴史に関するドキュメンタリー制作者と、グレートフォールズ歴史博物館の館長さん。その日にこの番組が放送され、プレッジドライブではこの番組の背景などを制作者らが語る合間に、寄付のお願い&受付を挟むというものだった。

 

Montana PBSで働く人たちは皆、モンタナ州立大学に雇用されているという形態らしい。Montana PBSのスタッフのエリック・ヒッパさん(この日のプレッジドライブのショーの司会)によれば、プレッジドライブで視聴者からの電話をうけることで、普段、放送を送る側でなかなか視聴者から直接の反応を得ることができない放送事業者側にとって、この上ない機会となる、とのこと。ネットを通じて、寄付を送る人も多いだろうが、スタジオに設置されていた、昔ながらのプッシュホンには、それなりに電話がかかってきていた。こうして、電話で会話をしながら寄付をする、といういわば昔ながらの形態も、番組を見ている側にとっても反応があることがわかるし、寄付する人にとっても感想など言う機会になるし、いい面もあるのだなと思った。そして、プレッジによって、けっこうな額の寄付が集まるらしい。ネットでも番組を流していることもあり、ボーズマンの場合、観光で訪れたり、あるいは別荘をもっていたり、親類が住んでいるなどの人もいるので、そうした州外の人から寄付がくることもあるという。

 

「日本のNHKは大きいし予算もあるし、プレッジなんてやる必要ないんですよねえ。でも、アメリカでのPBSのプレッジをやるのが嫌だということはなく、むしろこのために、視聴者の生の声を聴くことができて大きなプラスだと考えています」という、ヒッパさんの言葉が印象的だった。

 

この日の番組もそうだが、地方のPBSによる、地域の歴史を発掘し、記録するというドキュメンタリー番組の役割はひじょうに重要だと思った。これがなければ埋もれて、忘れられてしまう歴史も多々あることだろう。

 

長くなってきたので、地元新聞と商業ラジオ、テレビの話しはまた次の回に。

 

 

 



広瀬浩二郎さんモンタナご来訪と、障害学生サービスのオフィス訪問

2014-05-05 14:53:00 | 大学関係
もう2ヶ月以上前のことになってしまったが、2月に、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんがボーズマンを訪れた。広瀬さんは5年ほど前にも一度、ボーズマンにいらしたことがあり、何と2度目のご訪問である。
そのときのことを、広瀬さんが民博のサイトに書いていらっしゃった。
ミドルライフブルース<Vカゴの響き(15) 点字の嬉々と危機

上記記事で広瀬さんが触れている、障害者サービスのオフィスには私も同行したので、担当者の点字に関する発言はよく覚えている。視覚障害がある最近の学生たちは点字を使わず、学内情報はサイト情報を音声できくし、リーディングも音声で対応している、と。このオフィスについての点字パンフとかはないのですか?と広瀬さんがきくと、ウェブサイトで音声でわかるようにしてあるし...とのこと。業者に頼むと数千ドルとかかかって高いからつくっていないし(でも広瀬さんによれば、点字プリンターを一つ買えば簡単に解決する問題とのこと)、点字使う学生がほとんどいないからねえ、と。にもかかわらず、建物には点字の案内をつけるように大学はこだわっているのだ、という矛盾した答えでもあった。

記事の中で広瀬さんも書かれているように、もしかしたらなくなっていくのかもしれない点字の運命とともに、視覚障害がある人で、実は英語を母語としないとか、聴覚障害も抱えているなどして、聴き取りが難しいケースがある、ということは念頭から抜けているのではないか?と考えてしまった。そしてこうした状況のために、視覚障害をもつ学生が私の大学に留学しようとも思えない可能性もあるだろう。アメリカ人の学生にとっても、この大学に来たいとは思えない状況になってしまっているのでは、などといろいろ考えさせられた。

とはいえ、私の大学の障害者サービスのオフィスはユニークでもある。退役軍人オフィスと、障害者サービスのオフィスが一緒になっており、現実的に様々な障害を抱える退役軍人の学生も多い状況で、横断的なサービスが可能となっている。でも同時に、担当者によれば、実際は同じオフィスでも、障害者サービス用、退役軍人サービス用、と違う部屋を使っているのだそうだ。「一緒にされたくない、障害者あつかいされたくない」という退役軍人学生もいるからだ、ということだった。

この「一緒にされたくない」というのは、退役軍人学生側からの、障害者差別の視点の表れでもある。だが同時に、退役軍人学生側も、様々な差別を受けたり、スティグマを付与されたりしている。退役軍人ということで、何らかの障害をもっていると勝手に推測されるといったことも多いという。こういう経験を毎日のように積み重ねている学生たちが、「自分たちは別のオフィスが必要なのだ」と考えてしまうのもわからないではない。だが、現実には全員ではなくとも、何らかの障害を抱える退役軍人学生も多くいる。全く別のサービスを供給しているようにふるまいながら、実際には多くの場合、横断的なサービスを提供せねばならないというこのオフィスの難しさも垣間みた気がした。

ボーズマンご滞在中、広瀬さんには、パブリックトークに、私の2つの授業、別の日本文学の教員の授業とフル回転でトークをしていただいた。パブリックトークのプレスリリースも出してもらい、チラシサイズのカラーャXタ―も50枚ほど刷り、地元紙の記者にも連絡をとってイベント宣伝コーナーに情報を書いてもらうなど、短い準備期間だったができる限り宣伝も頑張った。とはいえ、私の授業のスケジュール上、このトークは夕方の5時という、私の大学的にはちょっと遅めの人が集まりづらい時間に組んだので、いったい何人くるか不安だった。部屋は50人くらいのところを押さえておいた。

で、蓋をあけたらびっくり!あっという間に部屋は満員になり、立ち見や床に座っている人もいるし、ドアの外で入れない人が待っているという状態。もっと大きい部屋を押さえるべきだった、、と後悔しまくったが時既に遅し、人があふれている状態の中で、広瀬さんのトークということになった。

「誰もがアクセスできる博物館」というテーマで、とくに広瀬さんが関わった「触る」展示の必要性についてのトーク。学生、教員に加え、地域の博物館のスタッフの人たちも数人来てくれたのは嬉しかった。

おそらく、この日、広瀬さんのお話を聞きにきた人たちの大多数は、日本への興味はとくにない人たちだったと思う。むしろ、「誰もがアクセスできる博物館」というテーマできれくれた人たちと、あとは人類学の授業のエクストラクレジットのためにきた学生たちもいたが、大部分が日本研究以外の人たちだった。広瀬さんが今までトークにいかれていたアメリカの大学は、トップレベルのリサーチ大学で日本研究が強い大学が多く、オーディエンスもかなりの人たちが日本語もわかる環境だったらしい。でも、モンタナではそうはいかない。そうした中でのトーク、臨機応変に内容も説明の仕方なども工夫する必要があるなど、いろいろ広瀬さんには大変だったかと思う。でも結果、大成功に終わった。

しかし、こんなに人がくるのだったら、誰か同僚に、会場設営やイントロダクションをするなどの助けを頼めばよかった、と、後悔したが後の祭り。通訳もつとめたため、それでかなり頭がいっぱい状態になり、イントロダクションの際にスャ塔Tーを紹介するのを忘れるという失敗。イベント関係の裏方はわりと慣れているし、小規模のイベントだから1人ですべてできるかと思っていたが、やっぱりこういうときは何でも1人でやろうとしちゃダメだ、と反省したのだった。


春の兆し?

2014-05-04 23:07:00 | 日々の出来事、雑感
数ヶ月に一度の更新ペースになっているブログ... そうこうしているうちに、学期が金曜で終わり、アカデミックイヤーが終わりました。坊主マンにもそろそろ春のきざし、ということで、世間ではタンャが咲き始め、木の芽もでてきはじめている時期です。とはいえ、例年6月に一度は雪が降る土地柄、油断はできないのですが。

そして、一週間後の月曜には、夏学期のオンラインコースが始まってしまう。。ということでまたシラバス作成したりと、いまいち休みにはいった気分ではありません。まあ実質休みじゃないのだけど。

4月の初めに恒例のロデオがキャンパスであったので、その時の会場近辺の写真などアップします。
会場はアリーナの中。わざわざロデオのために土を運び込み、終わったら運び出したりなどして、会場設営は毎年かなりおおがかりで大変そう。






ロデオがあるとそろそろ春の兆し、と思う坊主マンですが、つい先週にはこんな状況になったこともあり、まだまだ油断はできない。。