ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

原爆展関連の取材

2009-07-09 22:12:00 | 原爆・核・原発問題
私にしては珍しくも、取材する側ではなく、取材される側にまわる数日間がはじまる。全米原爆展および、今のアメリカでの核問題に関する市民たちの考えなどを取材するために、朝日新聞の記者さんが今日、明日と坊主マンを訪れ、明後日からはシカゴにいって、NHKラジオの取材というものを、シカゴベースで原爆問題を扱っている大学教員のひとたちといっしょに受けることになっている。(シカゴ、とくにシカゴ大学というのは、マンハッタンプロジェクトがはじまった場所でもある。偉そうに記念碑みたいなものもたっているのだ。)

とはいえ、取材される側と言い切れるものでもなくて、朝日の取材のためのアモニり活動を昨日は一日やっていたりして、取材にもすべて同行して通訳などやることになっているし、なんだか私自身の取材みたいな感じがしてきてもいる。自分自身も普段は取材屋さんなので、ほかの業界で、でも同じ取材屋さんをやっている人の取材ってのを間近にみられるのは、それはそれで興味深い面もあるのだが。

で、なぜ坊主マンか。こんなマイナーな田舎町なのに、あえて日本の全国紙の記者さんがやってくるわけは、もちろん、坊主マンで、原爆展への反発があって、しかもそれが表にでる形で起きたからだ。で、実は坊主マンは、反発が表立ってでてきたという面で、全米原爆展が開催された都市でも珍しい存在になってしまった。まったく喜ばしくない展開である。

具体的には、保守コラムニストの反発コラムが地元新聞に掲載されたり、某所で行った被爆体験トークが教育委員会で問題にされてしまったりということが起きた。本来は、地元新聞に反対意見の手紙を送るなどして対抗したいところだったが、その余波が別のところ(原爆問題トークの主催者)のほうへの反発となっていき(もともとの地元のぐちゃぐちゃした政治状況が背景で絡んでいたようだ)、主催者の職の維持が危ぶまれるという事態が危惧されることとなってしまったので、実際にトークにいらしたゲストや、私からの表立った反対がしづらい/できない状況になってしまった。バッシングが自分に直接くるなら対抗しようもあるけれど、他者にいってしまうと、とくにこういう小さいコミュニティでは表立って動けなくなってしまうということがあるというのを実感した。いかにも、保守的な田舎町ならではの展開だったかもしれない。そんなことがあり、地元では本当に残念ながら扱いづらい状態なのだが、いつかきちんとどこかで発表したり、取材してもらわないとと思っていた事案だったのだ。だから、取材には全面協力したいのだ。この、坊主マンでの原爆展をめぐる展開については、私自身もこのアカデミックイヤー中に何度かアメリカの学会やら集会にて発表をするつもりなのだが、そのうち自分でもきちんと書いてまとめたいと思っている。

今回は新聞記者さんからの取材依頼が急にきたので、アモニりもちょっと苦労があり、とくに今学校が休みの時期なので、街にいない人も多く、どこまで取材できるか未知数だ。今日もまた、いくつかアモニり活動をしなくてはいけない。そしてお昼には記者さん到着、明日までの取材同行がはじまる。そして明後日にはシカゴ。帰ってきてからすぐに、原爆展関連仕事モードにどっとはいっており、シカゴから帰ってくるまでは忙しい日々が続く。