ふぇみにすとの雑感

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マーシャル諸島で起きたことを今だから振り返る

2011-04-10 13:01:00 | 原爆・核・原発問題
前エントリで書いた大学での原子力問題フォーラム。私としてはカルッチ氏の報告でマーシャル諸島の具体例をつきつけられたことが印象に残ったので、簡単にまとめておきたい。

度重なる米軍による1948-62年に至るまでの核実験~とくに1952年のマイク・テストの結果、マーシャル諸島のうちのエニウェトク環礁の島のいくつかは破壊されるなどした(パワモナ写真をみせてくれたが、本当にいくつかの島が吹っ飛んでしまっていたのは衝撃)。エニウェトク環礁の住民たちは強制的に島を立退かざるをえなくなっており、実験が終わり、住民が島にようやく戻った。その時には5年ほどでまた元のような島になるよと言われていたのだが、放射能で汚染された土壌を除去したりした結果、もとのような環境には全然戻らず、主要な食料であり生産物であったヤシもほとんど大きくならず、最近はもうすっかり枯れてしまったヤシの木もあるとのことだった。

そして、その土地の農作物がなかなかとれないため、住民の食生活が激変。米国などからくる食料に頼らざるを得ず、その結果、糖尿病、心臓病などの病気にかかる率も非常に高くなったという。また、水爆実験から何年たって、どんなに測定し、「安全だ」と宣言したところで、「風評被害」が邪魔をして、その島でとれた農作物は売れなくなってしまった。

島の中で、プルトニウムなどで汚染された物質を集めてコンクリートのドームで覆ったのだが、すでにそのドームにはヒビもはいり、明らかに内部から漏れていると思われるような状況にもなっているという。美しい島にあるあまりに人工的なドーム写真への違和感、そしてそれがひび割れているという事実。どうしていいのか。そしてこの現実は、そもそも原因をつくったはずの米国本土の人たちにはほとんど知られていないわけだ。

日本の第五福竜丸の乗組員も被爆した、1954年のブラボーテストで死の灰が大量に降り被爆することになった、ロンゲラップ環礁の住民たち。一度は米国政府の「安全宣言」があり帰島したものの、再度の被害にあい、結局島を去らざるをえない状況に置かれている。また、その他にも忘れられた『ヒバクシャ』たちがマーシャル諸島にいることは、原水禁のサイトにも記述されている。

現在の福島の状況と全く違うコンテクストもあり、もちろんそのまま重ねるわけにはいかないが、それでもどうしてもこのマーシャル諸島の状況を聞くと、現在の日本で起きていることが私の中で重なってきてしまうのだった。




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