アニメコンベンションレメ[トのコメント欄にも少し書いたが、アメリカのオタクがもはや日本のアニメやマンガを自分たちのものとして取り入れ、独自文化として発展させる時代にすでになっているのかもしれない。主に高校生から大学生くらいの年齢層が、自分たちのものとしてアニメやマンガ、ゲームのファン世界に参加することを楽しんでいた。
今学期教えている、ャsュラーカルチャーの授業で、先日ャPモンに関する論文(Anne Allisonの)を扱ったのだが、その論文自体の議論より、むしろ「ャPモン」という題材自体に学生たちが興奮しまくって、議論がひどく白熱したのにも驚いた。でも気づいてみれば、今のアメリカ人の大学生世代は、「ャPモン」のゲームで遊び、アニメをみて育ってきたのだ。子どもの頃から、おもちゃといえばゲーム、ゲームといえばNintendo、ということで育ってきた世代なのである。アニメやマンガより一足先に、もともと日本発信のものとして、アメリカのャsュラーカルチャーの主流になったのは、やはりゲームだろう。ゲームへの高い親和性をもって育ってきた世代が、日本のアニメやマンガを楽しんでいるというのは、不思議ではない。
私が10年ちょっと前に、ミシガンにいた頃見に行ったAnimaniaという団体の上映会でコスプレを見たときも驚いたが、先日のコンベンションで見たものにくらべればまだまだ稚拙だった。当時は、ミシガン周辺でアニメの上映会をする団体はそう多くはなかったようで、オハイオのほうからわざわざ見に来ている人たちもいた。
その頃、私は人類学の入門クラスのディスカッションセクションを教えていたのだが、大学のアニメサークルにおける権力関係といったペーパーを書いた学生がいた。そのペーパーには、日本語ができたり、日本について詳しかったりすればするほど、サークル内での立場が強くなるというようなことが書いてあったのを覚えている。だが、先日のA-Cenで見た光景、そして今教えている学生たちを見ていると、そんな時代はもはや遠くなりにけり、、という感じがする。もはやアメリカ人は、「日本」なんか超えてしまって、自分たちの文化の一部として楽しみはじめたと思えるのだ。その反面、日本のアニメが放映されたり、マンガが出版されるやいなや、字幕をつけたり、末オてネットに載せたりをボランティアでありながら、お互いに競争するかのように、こだわりまくってやっている人たちもいるという。(日本外のオタク界に独特の現象といえるのか。)これも面白い現象だと思った。
そして、なぜかはわからないが、オタク文化はアメリカのマイノリティたちを確実に惹き付けている。オタク文化的なものが、アメリカの主流文化と対極的な要素をもつことの影響なのか、それとも日本のゲームが、幅広い層に浸透した結果なのか、ほかに理由があるのか、、、。以前もこのブログに書いたが、日本研究をとる学生たちは、バブル期のビジネスに興味がある層から、最近はアニメやマンガなどに興味がある層に変わっている。それとともに、(アジア系以外の)マイノリティが増えてきているのではないだろうか。今まで私が履修したり、教えた、日本に関するどの授業よりも、今学期のャsュラーカルチャーにはマイノリティが多かった。これは予想外のャWティブな効果だと思う。この層の中で、将来大学院に進み、日本研究の研究者になる人たちも出るだろう。日本研究の世界、今後かなり変わってくるのではないか、と思う。
実は今学期の授業でも、学者による論文、ジャーナリスティックな文章などいろいろ読んだのだが、結局は生の材料をもってきて、学生といっしょに分析したり議論したりするほうが、学者の書いたものよりよほど面白い!と正直いって思った。アニメやマンガ、ゲームについて、今アメリカで日本研究をやっているアメリカ人学者世代より、今の学生たちのほうが圧涛Iに詳しく、よく知っているし、感覚も鋭いから。
ここまでアメリカにおけるアニメ、マンガのファン文化が成熟してくると、麻生外相が今更「日本マンガ大賞」を作るとかいうニュースも、何を今更、、感が漂ってしまって、時代からずれているような気もするんだよな。。日本政府に評価してもらうなんて、そもそも求めているのかどうかも怪しいというのに。
今学期教えている、ャsュラーカルチャーの授業で、先日ャPモンに関する論文(Anne Allisonの)を扱ったのだが、その論文自体の議論より、むしろ「ャPモン」という題材自体に学生たちが興奮しまくって、議論がひどく白熱したのにも驚いた。でも気づいてみれば、今のアメリカ人の大学生世代は、「ャPモン」のゲームで遊び、アニメをみて育ってきたのだ。子どもの頃から、おもちゃといえばゲーム、ゲームといえばNintendo、ということで育ってきた世代なのである。アニメやマンガより一足先に、もともと日本発信のものとして、アメリカのャsュラーカルチャーの主流になったのは、やはりゲームだろう。ゲームへの高い親和性をもって育ってきた世代が、日本のアニメやマンガを楽しんでいるというのは、不思議ではない。
私が10年ちょっと前に、ミシガンにいた頃見に行ったAnimaniaという団体の上映会でコスプレを見たときも驚いたが、先日のコンベンションで見たものにくらべればまだまだ稚拙だった。当時は、ミシガン周辺でアニメの上映会をする団体はそう多くはなかったようで、オハイオのほうからわざわざ見に来ている人たちもいた。
その頃、私は人類学の入門クラスのディスカッションセクションを教えていたのだが、大学のアニメサークルにおける権力関係といったペーパーを書いた学生がいた。そのペーパーには、日本語ができたり、日本について詳しかったりすればするほど、サークル内での立場が強くなるというようなことが書いてあったのを覚えている。だが、先日のA-Cenで見た光景、そして今教えている学生たちを見ていると、そんな時代はもはや遠くなりにけり、、という感じがする。もはやアメリカ人は、「日本」なんか超えてしまって、自分たちの文化の一部として楽しみはじめたと思えるのだ。その反面、日本のアニメが放映されたり、マンガが出版されるやいなや、字幕をつけたり、末オてネットに載せたりをボランティアでありながら、お互いに競争するかのように、こだわりまくってやっている人たちもいるという。(日本外のオタク界に独特の現象といえるのか。)これも面白い現象だと思った。
そして、なぜかはわからないが、オタク文化はアメリカのマイノリティたちを確実に惹き付けている。オタク文化的なものが、アメリカの主流文化と対極的な要素をもつことの影響なのか、それとも日本のゲームが、幅広い層に浸透した結果なのか、ほかに理由があるのか、、、。以前もこのブログに書いたが、日本研究をとる学生たちは、バブル期のビジネスに興味がある層から、最近はアニメやマンガなどに興味がある層に変わっている。それとともに、(アジア系以外の)マイノリティが増えてきているのではないだろうか。今まで私が履修したり、教えた、日本に関するどの授業よりも、今学期のャsュラーカルチャーにはマイノリティが多かった。これは予想外のャWティブな効果だと思う。この層の中で、将来大学院に進み、日本研究の研究者になる人たちも出るだろう。日本研究の世界、今後かなり変わってくるのではないか、と思う。
実は今学期の授業でも、学者による論文、ジャーナリスティックな文章などいろいろ読んだのだが、結局は生の材料をもってきて、学生といっしょに分析したり議論したりするほうが、学者の書いたものよりよほど面白い!と正直いって思った。アニメやマンガ、ゲームについて、今アメリカで日本研究をやっているアメリカ人学者世代より、今の学生たちのほうが圧涛Iに詳しく、よく知っているし、感覚も鋭いから。
ここまでアメリカにおけるアニメ、マンガのファン文化が成熟してくると、麻生外相が今更「日本マンガ大賞」を作るとかいうニュースも、何を今更、、感が漂ってしまって、時代からずれているような気もするんだよな。。日本政府に評価してもらうなんて、そもそも求めているのかどうかも怪しいというのに。
1と2は、このページのリンクから行けるようです。
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/05/daigacon3.html