「風景の見方に洋の東西で違い・・米の大学が研究」なる読売新聞の記事を、今日のYahoo Japanで見つけた。
「相変わらずこんな研究してるのか」と思って読んでみれば、やはり・・私の出身校、ミシガン大学の研究者によるものだという。あああ。。。
ミシガンの心理学部に、こういう研究をせっせとしている人たちがいるのだよね。しかし、こんなしょーもないこと、いつまでやってるんだか。はっきりいって、怪しすぎるし、古すぎる。なぜ同じようなことを繰り返して、飽きないのだろうか?いい加減にしてくれ、といいたいよ。
この読売の短い記事を読むだけで、変なところがいっぱい!
1)「欧米人」っていったい誰のこと?
この「実験」とやらでは、「欧米人」は「欧州系アメリカ人」を指しているらしい。すなわち、先祖がヨーロッパから来た、一般的にいう「白人」のカテゴリーにはまる人たちなのだろう。
だが、「欧州系」と一言にいっても、「欧州」は北欧からロシア、イタリアやギリシャまで含む、広い地域だ。そして、「欧州系」と他の系統が混ざっている場合だって十分ありえるが、混ざった人たちは無視、なのだろうか。
そして、この記事では「欧州系アメリカ人」が「欧米人」となったり、あるいは「米国人」の代表とされたりしているようだが、「欧米人」だって「米国人」だって、白人以外の人ってすごーく多いのよねえ。その人たちは完全に無視か? はっきりいって、この研究デザインからして、人種差別的ではないのだろうか。
2)「アジア人」って誰?
同様に、「アジア人」のカテゴリーも謎である。「中国人」とか「日本人」とか、「国」の枠で人々をくくっていることがそもそもおかしいだろうし、一言に「中国」といっても広大な地域。様々な文化なり言語なりがあるはずだ。日本だって、民族/文化的には、「日本人」のみならず、アイヌ、沖縄の人々、在日の人たちなど、様々な人たちがいる多民族国家である。この系統の心理学の実験に参加したことが私もあるが、「日本人」の選択肢はあっても、日本の中のマイノリティに関する選択肢はほとんどの場合なかった。この場合の「日本人」は単に国籍を指すのか、それとも民族なのか、謎である。
そして、「中国人」と「日本人」が「アジア人」の代表、的なくくられ方で語られているのも変だ。アジアはでかいのだ。インドだってパキスタンだって、中東だってアジアだぞ。
3)大学生と院生の比較?
論文自体を読んでいないので何ともいえない面はあるが、この読売の記事で見る限り、「米国人」に関しては「同大の欧州系米国人」、「アジア人」に関しては「中国人留学生の大学院生」を比較したようである。「米国人」がいまいちはっきりしないが、アメリカ大学における心理学の慣例からいえば、おそらく心理学入門講座を履修している大学1年生に、extra creditをあげるから(若干成績にャCントを上乗せするから)といって、実験対象になってもらう場合がほとんどである。もしこの実験が慣例に従ったと仮定するなら、大学1年生と、大学院生を比較していることになる。
大学院生のほうが、大学生より単に背景情報に注意を払う傾向があるから、この実験結果の差が出た、という可能性はないのだろうか?
そして、そもそも「欧米人」と「アジア人」という巨大カテゴリーにはいる人たちの研究として、階層的にも年齢的にも、地域的にも限定された一大学の大学生という人口を使っていいのか、という問題は、常にこのようにお手軽に被験者を探す事が多い心理学実験にはついてまわるだろう。
とくに「アジア人」。ミシガン大学にきている中国人の留学生といえば、政府から奨学金をもらって来ている、いわばスーパーエリートたちだ。彼らが果たして「アジア人」の代表といえるのかどうか? うーん、おかしすぎる。
4) 恐るべき推定
この研究チームの推定がまたすごい。『周囲のことをあまり気にしない欧米人と、調和を重んじるアジア人の行動傾向とも一致することから、研究チームは「かんがいや農作業を組織的に行う稲作など、歴史や文化と深い関係があり、両者の違いの始まりは2000年以上前にまでさかのぼるはず」と推定している。』んだそうだ。
「周囲のことをあまり気にしない欧米人」って、いったいどこから出てきたんだ?単なるステレオタイプに従っているんじゃないのか? 欧米人っていったって、いろいろな人がいて、周囲のことを気にしすぎるあまり精神を病んだりしている人がすごーく多いのもまたアメリカなんだぞ~。
「調和を重んじるアジア人」ってのもねえ。「菊と刀」の世界に戻ったかのような、恐るべき日本人論ぶり。理論的に古すぎだと思うが、こんなことをいつまでもやっていていいのか、心理学! そしてこの研究のコワいところは、それを「アジア人」にまで広げているところだ。「アジア人が調和を重んじる」わりには、日本だってdこだって、戦争は起こすし、民族紛争はあるし、テロだってあるわけだしねえ。
そして、原因を「稲作」に求めているところがまたすごい。広い広い中国全土で、稲作がありとあらゆるところで行われていたとは聞かない。日本だって、稲作やっていた地域もあるが、山中に住んでいる人だっていただろうし、漁業の人だっていたよね。北海道はまるで無視なのか? そして、チベットの人たちや、遊牧民のモンゴル民族などは、「アジア人」ではないというのだろうか?
しかし、こんな研究をニュースとして紹介する読売は・・さすが読売というべきか。
「アジア人」で、メンタリティーをくくろうという発想って、「大東亜共栄圏」につながりかねない発想じゃないかって思うのは、私だけじゃあないよねえ・・
「相変わらずこんな研究してるのか」と思って読んでみれば、やはり・・私の出身校、ミシガン大学の研究者によるものだという。あああ。。。
ミシガンの心理学部に、こういう研究をせっせとしている人たちがいるのだよね。しかし、こんなしょーもないこと、いつまでやってるんだか。はっきりいって、怪しすぎるし、古すぎる。なぜ同じようなことを繰り返して、飽きないのだろうか?いい加減にしてくれ、といいたいよ。
この読売の短い記事を読むだけで、変なところがいっぱい!
1)「欧米人」っていったい誰のこと?
この「実験」とやらでは、「欧米人」は「欧州系アメリカ人」を指しているらしい。すなわち、先祖がヨーロッパから来た、一般的にいう「白人」のカテゴリーにはまる人たちなのだろう。
だが、「欧州系」と一言にいっても、「欧州」は北欧からロシア、イタリアやギリシャまで含む、広い地域だ。そして、「欧州系」と他の系統が混ざっている場合だって十分ありえるが、混ざった人たちは無視、なのだろうか。
そして、この記事では「欧州系アメリカ人」が「欧米人」となったり、あるいは「米国人」の代表とされたりしているようだが、「欧米人」だって「米国人」だって、白人以外の人ってすごーく多いのよねえ。その人たちは完全に無視か? はっきりいって、この研究デザインからして、人種差別的ではないのだろうか。
2)「アジア人」って誰?
同様に、「アジア人」のカテゴリーも謎である。「中国人」とか「日本人」とか、「国」の枠で人々をくくっていることがそもそもおかしいだろうし、一言に「中国」といっても広大な地域。様々な文化なり言語なりがあるはずだ。日本だって、民族/文化的には、「日本人」のみならず、アイヌ、沖縄の人々、在日の人たちなど、様々な人たちがいる多民族国家である。この系統の心理学の実験に参加したことが私もあるが、「日本人」の選択肢はあっても、日本の中のマイノリティに関する選択肢はほとんどの場合なかった。この場合の「日本人」は単に国籍を指すのか、それとも民族なのか、謎である。
そして、「中国人」と「日本人」が「アジア人」の代表、的なくくられ方で語られているのも変だ。アジアはでかいのだ。インドだってパキスタンだって、中東だってアジアだぞ。
3)大学生と院生の比較?
論文自体を読んでいないので何ともいえない面はあるが、この読売の記事で見る限り、「米国人」に関しては「同大の欧州系米国人」、「アジア人」に関しては「中国人留学生の大学院生」を比較したようである。「米国人」がいまいちはっきりしないが、アメリカ大学における心理学の慣例からいえば、おそらく心理学入門講座を履修している大学1年生に、extra creditをあげるから(若干成績にャCントを上乗せするから)といって、実験対象になってもらう場合がほとんどである。もしこの実験が慣例に従ったと仮定するなら、大学1年生と、大学院生を比較していることになる。
大学院生のほうが、大学生より単に背景情報に注意を払う傾向があるから、この実験結果の差が出た、という可能性はないのだろうか?
そして、そもそも「欧米人」と「アジア人」という巨大カテゴリーにはいる人たちの研究として、階層的にも年齢的にも、地域的にも限定された一大学の大学生という人口を使っていいのか、という問題は、常にこのようにお手軽に被験者を探す事が多い心理学実験にはついてまわるだろう。
とくに「アジア人」。ミシガン大学にきている中国人の留学生といえば、政府から奨学金をもらって来ている、いわばスーパーエリートたちだ。彼らが果たして「アジア人」の代表といえるのかどうか? うーん、おかしすぎる。
4) 恐るべき推定
この研究チームの推定がまたすごい。『周囲のことをあまり気にしない欧米人と、調和を重んじるアジア人の行動傾向とも一致することから、研究チームは「かんがいや農作業を組織的に行う稲作など、歴史や文化と深い関係があり、両者の違いの始まりは2000年以上前にまでさかのぼるはず」と推定している。』んだそうだ。
「周囲のことをあまり気にしない欧米人」って、いったいどこから出てきたんだ?単なるステレオタイプに従っているんじゃないのか? 欧米人っていったって、いろいろな人がいて、周囲のことを気にしすぎるあまり精神を病んだりしている人がすごーく多いのもまたアメリカなんだぞ~。
「調和を重んじるアジア人」ってのもねえ。「菊と刀」の世界に戻ったかのような、恐るべき日本人論ぶり。理論的に古すぎだと思うが、こんなことをいつまでもやっていていいのか、心理学! そしてこの研究のコワいところは、それを「アジア人」にまで広げているところだ。「アジア人が調和を重んじる」わりには、日本だってdこだって、戦争は起こすし、民族紛争はあるし、テロだってあるわけだしねえ。
そして、原因を「稲作」に求めているところがまたすごい。広い広い中国全土で、稲作がありとあらゆるところで行われていたとは聞かない。日本だって、稲作やっていた地域もあるが、山中に住んでいる人だっていただろうし、漁業の人だっていたよね。北海道はまるで無視なのか? そして、チベットの人たちや、遊牧民のモンゴル民族などは、「アジア人」ではないというのだろうか?
しかし、こんな研究をニュースとして紹介する読売は・・さすが読売というべきか。
「アジア人」で、メンタリティーをくくろうという発想って、「大東亜共栄圏」につながりかねない発想じゃないかって思うのは、私だけじゃあないよねえ・・