スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(天皇制⑤)

2019-04-20 17:08:13 | 日記
4月20日(土)
 天皇が神と人の絶対矛盾であるため国民は天皇を認識する手段として、神と人の論理的連関を考究する姿勢を捨てて、天皇が神の時は神として、人の時は人として割り切って接触する道を選んだ。この姿勢が現実活動の場において、さまざまに現象する社会事象の背後にあって、個々の社会事情の出現や変転を説明できる論理を探そうとせず、状況ごとに対症療法的に対処するという日本人の基本的姿勢を形作った。その非現実的というか脆弱な観察方法の為に、戦前は四国同盟という実現不可能な国策を求めて国を滅ぼし、戦後は中韓に譲歩すれば中韓は日本に悪く当たらないとの間違った思い込みから滅多やたらに譲歩を繰り返し、とうとう韓国はあとは武力行使を残すのみという所まで日本に敵対してきている有様だ。
 天皇制も戦前と戦後では大きく形を変えている。戦前は天皇が統治者であったため、国策の決定には天皇の決裁が必要であった。ところが実際は天皇は個人の意思を行使しなかったので、決裁は起案者の案文通りになされた。だから本来は個々の国策は起案者の頭の中にあったものの筈なのだが、それが天皇の手を経て返されてくると、触れることのできない大御心だとアンタッチャブルなものに変じてしまうのだ。起案者の手元にある儘なら状況の変化とか見落としの発見とかで、柔軟に変更して行くことが出来たであろう。しかし天皇による国策となればもはや変更など出来ない。東条の本心は、海軍が戦争はできないと言ってくれて、日米戦を回避する事だったように推測する。しかし対米戦を辞せずとの国策があって海軍は首相一任と逃げた。もしここで天皇という強烈な意思決定者がいなくて陸海軍だけで侃々諤々やれたのなら、案外海軍も本音を漏らして戦争回避になったのではないかと考える。天皇による決裁という形式が、個々の具体的国策を非常に硬直化したものにしたように思う。
 そして一番悪い事に、天皇の手を経た後は、その国策が裏目に出ようと責任は天皇にあって(憲法上天皇の責任という概念はないが)、起案者は輔弼の責を果たさなかったという一歩引いた責任しか問われない事であった。海軍も陸軍も日本国全体に幸あれと考えて行動するのではない。初歩的な動機はそうであっても国策がアンタッチャブルなものとなった以上、いかなる犠牲があってもその実行を図る事こそが、行動動機となるのである。陸海軍、又政府もそうであるが、本来日本全体を見通して考え判断すべき立場の人間が、一部門の担当者という狭い立場に縛られてしまい、そして建前上は日本全体を見通す筈の天皇はそれをしないから、結局、真の意味での国策遂行者がいないという無責任な制度、それが戦前の天皇制であったと思う。
 誰も望まなかったし誰も勝てると思わなかった日米戦に突っ込んだのは、伏流に耐えてきた攘夷思想の爆発だったとも言えようが、責任者がいないという戦前の天皇制の制度的欠陥も一枚噛んでいると思う。そしてソ連も中国もイギリスもアメリカも、表からもスパイを使った裏工作からも、最終責任のない人間たちに様々な働きかけをして、部門部門の国益追及が結果として日米戦となるように誘導をしたからでもあろう。

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