スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(戦争と人間第1部)

2024-01-28 16:17:19 | 日記
1月27日(土)
 「第25回人権を映画で観る」会で、「戦争と人間」の第1部を見た。来場者は殆どが(私を含めて)死にかけの爺さん婆さんであった。私は半世紀前になるが、第1部と第2部の合同上映会で、この映画を見た事がある。場所が何処だったかはもう思い出せない。第1部より第2部の方が良かったとの記憶がある。
 今回も時代考証が素晴らしいと改めて感心した。勿論私は旧満州の建物とか景色に詳しい訳ではないが、初めて映画を見た時から50年も経っているのだ、その間多少は支那時代の風景写真も見ている。だが全く違和感が起きない。素人目だがよく出来た映画だと改めて思い直した。
 記憶違いをしていた部分もあった。標(兄)が戦死する場面で、敵弾が鉄兜を貫いて、頭から血を流して死んだと記憶していたが、実際は軍帽を被っていた。満州事変当時はまだ鉄兜ではなかったようだ。映画では日本軍の全員が軍帽である。それなのに鉄兜を敵弾が貫いたと覚えていたのは、全くの記憶の変容である。人間は記憶を変えるとは聞いてはいたが、わが身で体験するのは、二度目で(以前にもう一回記憶違いを体験した)ある。おそらくタイムマシンみたいなのがあって自分の過去を映画みたいに回想出来たら、記憶違いは山ほど出てくるのではないか。
 このように時代考証に優れた映画だが、今回は明らかな間違い(意図的な演出というべきか)の所を、二か所発見した。一つは張作霖が乗った車列が満鉄の陸橋をくぐる場面である。どの本にも列車はその時歩くようなスピードであったと書いてある。だから起爆手は何列車目かの張作霖の専用車の上で、爆発させることが出来たのだ。二つ目は柳条湖事件の描写である。これは直後に急行列車が何の支障もなく通過している事から分かるように、爆発の轟音を響かせることを狙ったものである。それなのに映画では列車を脱線させている。
 この事から分かるように「戦争と人間」は、歴史の嘘の上に成り立った左翼映画だと分る。滝沢修が勘九郎の訴えに頷いて、「灰山の絵のように貧しい人は確かに居る、灰山はそれが世の中の全てだと思っているかも知れないが、自分のような資本家だって居る、世の中の全部を理解するのが重要だ」とかの科白や、標(兄)が女に振られたらしいことを悟って弟に「人を信用するな、その人の言葉ではなく何をしたかを見ろ、絶対に自分で信じれるようになるまでは行動するな、行動の遅い事は恥ではない」と言う場面などに嵌め込まれた、実生活の真実に行動を止められたであろう左翼シンパの老人たちを取り込んで、劇場に足を運ばせる位はする、映画なのだと感じた。
 映画の根本テーマは日本は朝鮮満州を侵略したというものである。軍人が外交官や言論人を圧迫して、日本を侵略戦争に駆り立てたというものである。それだけだとプロパガンダ映画になって観客が入らないので、多少は世の中の真実を入れ、多少は女性の裸を入れるという、映画監督の腕を見せるのが山本薩男なのであろう。
 しかし根本は、日本は悪い、という映画である。そして歴史的事実は間違ったり断片的に入れるのみなのに、時代考証が優れているから素人は、これは事実を描いていると騙されて、もう俺は1票を入れるくらいしか出来ないがせめて選挙ではアベガーを貫きたい、そういう思いを死に際老人に改めて決心させる映画である。
 私は50年前見た時には日本近代史を全く知らなかったので、この映画は日本の歴史を描いていると思ったものだ。この種の映画から歴史を知ろうと思ったくらいだ。しかし今回見ればその歴史記述はお粗末なものである。まあ各事件の表題だけを入れたという程度のものである。
 しかし50年の時の経過というものはあると感じた。朝鮮人ゲリラが大正8年の3・1弾圧事件で朝鮮人が何百人も殺された、日本人が一人殺されたくらいが何だ、日本が酷い事をしなければ俺たちは何もしないと言う、くだりである。これで妻を殺された日本人(髙畠)は黙ってしまうのだが、50年経った今となると、日本人は、この朝鮮人ゲリラの発言を全面的に受け入れられるであろうか。日本人は何もしないのにレーダー照射されたではないか。条約を結び事は済んだ筈なのに、慰安婦や徴用工は、謝罪と賠償(最高裁判決でである)を要求され続けているではないか。又マスゴミは報道しないが日本を貶める対外活動は、これでもかというくらいに悪辣なものである。何もしなくても朝鮮人は日本人に悪事を働く、これが国民の実感になりつつある感じなのだ。
 また蒋介石軍が全員制服なのも、本当かと疑うのではないか。台湾に逃れてきた時の蒋介石軍の服装はてんでバラバラで、鍋釜を背負い天秤棒を担いでいたとは、私が台湾の古老から直接聞いた話である。おそらくもう数年したら「戦争と人間」のテーマは、偏った認識による時代遅れのものと、見なされるようになる気がする。まあ死に際老人がもう少し死んだら、賞味期限が終わるだろう。
 ペリー開港より苦闘の連続であった真の日本近代史観による映画を作らねばならないと感じた。昔「南京の真実」とか「プライド」など色々あったが、正直感動しなかった。大手映画会社に作らせねば人が呼べる映画は出来ない様な気がする。大手が十分な金と才能ある監督を使えば、真の近代史観板の「戦争と人間」制作は、可能のような気がする。アパ辺りがスポンサーになってやれないか。募金をしても良い。


 













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