スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30

2018-04-01 19:59:58 | 日記
4月1日(日)
 私の住む田舎町は名古屋から電車で30分ほどの所にある。南北に並行して丘陵が走り、その間の狭い場所が平地になっている。昔はそこが町だったが今は丘陵の天辺まで人家が建っている。平地の真ん中を川が流れていて、両岸の土手の上に桜並木が800メートルほど続いている。結構古木もあり、幹いっぱいに何の植物か緑に包まれ、その上を広く垂れた枝の豊満な桜が覆っている様は、横綱が不知火型でせり上げているようでなかなか風情のある姿である。
 今日は日曜日。満開の桜がやや散り始めている、絶好のお花見日和である。河川敷の桜の木陰には多くの人がシートを敷いて花を愛でていた。市役所の前あたりの所は広場様になっており、仮設トイレも設置されていて、多くの人が憩っていた。家庭用のテントが10張りばかり立っていた。そこではたいていバーベキューをやっていた。見かけるに半分くらいのグループが外人らしい。多分ブラジルかペルー人だ。
スーパーで頭をスカーフで巻いたマレーシア人らしい女の子の一団を良く見かけるが、彼女たちの姿はなかった。日本人の若者グループも混在し、皆大人しく、大声を出す者はなく聞こえるのは静かな笑い声だけである。それほど酒は飲んでいないようである。小さな子供がボール遊びをしている。川の流れを緩める置石のあたりで水遊びもしている。まあ流される心配はない所だ。お爺さんが一人階段状になった堰堤にきちんと座り、子犬を膝にのせて皆が楽しむ様をぼんやり見ていた。心の中では皆と一緒になっているのだろう。私はまだ歩けるが、数年後にはああなるのかもしれない。
 うろ覚えの知識だが戦前の東宝の有名な歌手で、蒋介石の台湾支配に抵抗してゲリラとなったが、陽明山で毒蛇に咬まれて死んだという、台湾独立の闘士の話を思い出した。彼は生きているとの伝説の人となり、李登輝が総統になって台湾民主化が実現したころに、台南の駅前に僧形の姿で不意に現れ、編み笠を上げて街々を満足そうに眺めた後、どこともなく消えたというのだ。日本は豊かで人々は幸せではないか。私も気分は老闘士然とし、土手の上から河川敷を見渡し、高揚した気分のまま家に帰って吟醸酒を一合ほど飲んだという訳だ。こんな芝居がかった感情も人生には、時に必要なのだ。

 日本人は何が不満で、アベ政治を許さないなどと言うのか。日本の社会をずっと見るにつけて、やはりどうしても、知識人と大衆に二分するしかない。そして知識人も二分される。日本を良くしようと努力する人たちと、外国に使嗾されて反日に走る人たちである。勿論これは極端な分け方であり実際は中間的存在ばかりであろうが、理解しやすいモデルであると考える。中国という巨大な敵と対決してゆくこれからは、日本は戦後70年と違って、戦う体質をつくらねばならない。例えると今までの中国は重さ5キロの米袋のようなものであった。5キロの米袋ならスマートな主婦でもなんとか持ち上げられる。しかし今や一俵の米俵である。成人男性でも体を鍛え、且つコツを掴まねば、担ぎ上げられない。そういう時代にアベ政治を許さないと言う人は、中国の手先か、手先に踊らされる大衆、つまり役に立つ馬鹿なのである。