中国3世紀の三国時代の文化財を展示する特別展「三国志」が7月9日から9月16日まで東京・上野の東京国立博物館(平成館)で開催されている。→こちらの中国の報道、Internet Museum
9月に入り、終了日も間地かでもあり、あわてて、行ってきた。
曹操(155~220)の墓「曹操高陵」の出土品などを中心に約160点の文化財が展示されており、半日で、すべてを細かく見ることは不可能だ。しかし、写真をたくさん撮ったので、順不同だが、できるだけ沢山、掲載しましょう。
会場はいくつかのブロックに分かれ、三国志に関連する遺物、NHKの人形劇「三国志」の人形(川本喜八郎さん制作)などがが展示されている。
プロローグ 伝説のなかの三国志 (1~9)
第一章 曹操・劉備・孫権―英傑たちのルーツ (10~16)
第二章 漢王朝の光と影 (17~38)
第三章 魏・蜀・呉―三国の鼎立 (39~69)
第四章 三国歴訪 (70~126)
第五章 曹操高陵と三国大墓 (127~157))
エピローグ 三国の終焉―天下は誰の手に (158~162)
また、河南省安陽市の曹操高陵の写真の展示と共に、墓の模型も作られており、河南省安陽市の曹操高陵から出土した曹操を示す「魏武王(ぎのぶおう)」の名が刻まれた石牌などの展示品は日本初公開となる。
世界最古と考えられる白い器面に透明なうわぐすりをかけ、高温で焼きあげた「白磁」も展示されていた。 この白磁は高さ13・4センチ、直径8・7センチ。周囲に四つの耳(環)をつけた「罐(かん)」と呼ばれる器で、2008年から発掘が始まった墓で、中央部の前室(棺を納めた主室の前にある部屋)から出土したと。
曹操の墓と認定された出土品=魏武王の名が刻まれた石碑
鼎 6口 (後漢~三国時代・魏・3世紀) 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院所蔵 漢の儀礼制度において、皇帝の葬儀の際は素焼きの土器で作った鼎を12口副葬するのがならわしと。
瑪瑙円盤(めのうえんばん)のようなキレイな、貴重だったと想定されるものが見つかっています。
ただ、これが何なのかはわからない。彼の薄葬令は実行に移されていると考える以上、見つかっているものの目的は?
圧巻は高さ約2mの青銅製の「関羽像」(青銅製 明時代・15~16世紀 新郷市博物館蔵)だ。
1級文物 獅子(山東省淄博市臨淄県学所旧蔵 後漢時代・2世紀 山東博物館)は 三国時代の前の後漢時代(25~220年)の都、洛陽で作られた石像で、ライオンの姿が写実的に表されており、この時代に作者がライオンを実際に見たことがあったと推察できる。
方格規矩鳥文鏡 (ほうかくきくちょうもんきょう 青銅製 後漢~三国時代(魏)・2~3世紀 1955年遼寧省遼陽市三道壕1号壁画墓出土 遼寧省博物館蔵)
紐を通すための穴が長方形を呈し、銘文には「同出余州(銅は徐州より出づ)」とある。また文様の最も外側に突線がめぐるなど、日本列島で出土する三角縁神獣鏡に認められる特徴をもっている。
1級文物 牛車 2006年南京市江寧区上坊1号墓出土 三国時代(呉)・3世紀 南京市博物総館
金製、貴石象嵌 後漢時代・2世紀 2009年、安徽省淮南市寿県寿春鎮古墓出土 寿県博物館蔵
体躯をくねらせた瑞獣を立体的にあしらい、随所に貴石を象嵌し、金粒細工を施す。魏の文帝もこうした豪奢な金具をつけた帯を欲したが、すでに作り手が絶えていたという
儀仗俑 (後漢時代・2~3世紀 1969年、甘粛省武威市雷台墓出土 甘粛省博物館蔵)は、青銅製で、涼州(現在の甘粛省)から出土した。
董卓(とうたく)と関連があったとされる有力武将「張将軍」の副葬品の一つ。「張将軍」は三国志には記述がないものの、青銅で丁寧に造られた武装した馬に乗る騎兵たちや、非常に精巧に作られた馬車・牛車の隊列から、当時相当有力な軍閥の有力者だったことが伺い知れる。なお、騎兵をよく見てみると、両足を固定する「あぶみ」を使っていません。三国時代の騎手は、相当に高い騎乗能力を持っていた。→銅馬車@西安 兵馬俑@西安
2世紀の耳杯。当時の人は、こうした器で酒を飲んだそうだ。張飛はこんな小さな杯ではなく、壺からそのまま呑んだのではないか?
「晋平呉天下大平 しんごをたいらげてんかたいへい 」磚 (せん) 西晋時代・280年 1985年、江蘇省南京市江寧区索墅磚瓦廠1号墓出土 南京市博物総館蔵
西晋時代の墓から見つかった磚に「晋、呉を平らげ天下大平」と刻印。三国志の時代の結末をもっとも端的に伝えている。
最後は、疲れたので、スタバで、コーヒーで休養。