「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「乙訓寺」(おとくにでら)

2006年02月23日 23時07分19秒 | 古都逍遥「京都篇」
 ここのところ雨が多くなった。原稿仕上げで追われる週末、今日も雨。
 雨・・・、雨の寺もいいかな、と思い立ち、近くにある長岡京市の「乙訓寺」に出向いた。
 ここは牡丹の寺として名高く、奈良の長谷寺の牡丹を株分けしてこの地に植えた。
2千株にもなった色とりどりの牡丹は近隣をとわず全国からツアーで訪れるほどだ。寺院としては小さいが、長岡京造営以前は広大な寺院であったらしい。
 弘仁2年(811)、唐から帰朝した空海(弘法大師)が、同年11月に別当に任じられ、当寺の修理造営を行っている。空海は、翌年10月、高雄山に移ったが、この地に真言宗の由緒を築いた。
 また、早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉されたことでも知られている古刹である。
 中世には足利義満がこの寺を南禅寺院として再構築し、法皇寺の寺号も称した。5代将軍綱吉およびその生母桂昌院の信任が篤かった護持院隆光は、当時、南禅寺・金福院の兼帯地であった当寺を真言宗寺院としての乙訓寺を再興した。
 切妻造本瓦葺の表門は、元禄8年の頃に建立され、赤門として親しまれている。重要文化財の毘沙門天増、市指定文化財の十一面観音像が祀られている。
この寺を有名にしたのは、奈良の長谷寺と並び賞される「牡丹」が境内一帯に咲き誇る美しさからである。取材で訪ねた時節は、すでに牡丹は終わり、芍薬が数本、雨に打たれて可憐な花を咲かせていた。
 交通:阪急京都線、長岡京駅下車、徒歩20分。
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