「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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 「観音寺」(かんのんじ)

2009年06月23日 17時46分13秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京田辺市南部、同志社大学京田辺キャンパスが所在する丘陵の南側には普賢寺川が流れ、それに沿って東西にのびる小さな平野は普賢寺谷と呼ばれている。川の北側の京田辺市普賢寺下大門には大御堂観音寺があるが、そこには天平16年(744)に木芯乾漆「十一面観音菩薩立像」(国宝)が安置され、華やかな天平の息吹を今に伝えている。菩薩像は柔らかみのある女性的な顔立ちをしており、衣紋の線もしなやかに揺れているように見え、全体的に流美な印象である。
 また、輪光と呼ばれる輪が、肩にかけられているように広がる光背を負っていることも目を引きつける。

 木芯乾漆とは、木彫りで原型を造り、それに木屎漆などを厚く塗り盛り上げて形作る技法をいい、ここの菩薩像はその木心乾漆造りの代表例とも言える。
 観音寺は、今から約1300年前、天武天皇の勅願により義淵(ぎえん)僧正が開基し、天平年間(729~48)聖武天皇の命により良弁僧正が伽藍を増築、再興したと伝えられており、その後奈良の東大寺のお水取りを初めた実忠和尚が第一世として入寺したという。たびたび火災に遭ったが、奈良・興福寺の別院でもあったため藤原氏の援助によりその都度復興されたが、藤原氏の衰退とともに寺運も衰えた。

 説明によると、往時には諸堂13、僧坊20余りを数える大寺であったようだが、現在は本堂(大御堂)と繁栄を偲ばせる数個の礎石が残っているのみである。
 当寺で行われる「竹送り」が有名である。

 竹送りとは、二月堂の「お水取り」の用いる真竹を当寺から二月堂まで送り届ける行事で、当寺の南西500メートル周辺の竹藪から根付きの竹を7本掘り起こし、お水取りに使われる松明(たいまつ)として運ぶというもので、今年(09年)で31回目となる。お水取りには211本の松明を使用されるが、そのうちの7本をイベント的に届けている。他の竹は京都や奈良から密かに運ばれるそうだ。

 当寺から運ぶようになったのは、昭和52年に60年に一度と言う花枯病により真竹がなくなり、二月堂は四国や九州まで竹を集めたとのこと。それを聞いた人が、山城の村の藪に、まわりが20cm以上の真竹がある事が分かり、持ち主に聞いてみたところ、由緒ある行事に使われるのならということで、寄進する事になったとのこと。

 当寺は古代・中世には「普賢寺」と呼ばれており、のどかな里山の景観に溶け込んで佇んでいる。春は菜の花畑が前面に広がり、参道を囲む桜並木と溶け込んで、極楽浄土の世界を醸し出す。参拝者もこの時期は特別に多いが、カメラ愛好家たちも大勢訪れる。また、秋には紅葉も見られ、四季折々の美を堪能できる。

 所在地:京都府京田辺市普賢寺
 交通:近鉄三山木駅から奈良交通バス水取方面行き、普賢寺下車、徒歩5分。車だと、京奈和道田辺西ICから生駒方面へ向かい10分。
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