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「上品蓮台寺」(じょうぼんれんだいじ)

2009年08月07日 23時51分03秒 | 古都逍遥「京都篇」
 千本通鞍馬口を北大路の方に上がって行き、千本ゑんま堂を過ぎてほどないところに、手入れの行きとどいた清楚な門前が見える、ここが真言宗智山派「上品蓮台寺」である。正式名「蓮華金宝山九品三昧院」(くほんざんまいいん)と称する。
 寺伝によれば、当寺は、聖徳太子の創建と伝え、当初香隆寺と称したが、一説によれば天徳4年(960)宇多法皇の勅願により、寛空(882-970年)が創建したとも伝えられる。

 当時は、広大な寺域に伽藍が建ち並び壮大なものであったが、応仁の兵火により悉く焼失した。豊臣秀吉などの帰依を受け文禄年間(1592~96)性盛上人が復興し、当寺の外に12の支院を建立したことから、俗に12坊の名で呼ばれるようになった。現在支院は三院を残すのみである。観光的にはあまり知られていないが、京都有数の古刹である。船岡山の麓に立ち、千本通に面して長い築地塀が続いている。

 本堂には、村上天皇より賜った上品蓮台寺の勅額を掲げ、内部には、本尊延命地蔵菩薩像を安置している。現在、嵯峨清凉寺にある釈迦如来像は、永延元年(987)然(ちょうぜん)が唐から請来し当寺に安置されたもので、後に清涼寺に移されたという。寺宝の天平時代の「著色絵因果経」(国宝)は、京都最古の絵巻物(京都国立博物館に寄託中)だ。
 他に「著色文殊菩薩画像」「著色六地蔵画像」(ともに重要文化財)など、多くの文化財を蔵している。
 また境内に藤原期の代表的な仏師・定朝の墓(廬山寺にも有る)がある。寺の西側には東の鳥辺野(とりべの)、西の化野(あだしの)とならぶ葬送の地とされた蓮台野(れんだいの)が広がっている。

 五輪塔は、空海の母親である阿刀氏(あとし)の塔と伝えられている。墓所の北隅の大きな椋(むく)の木の下に蜘蛛塚という奇妙な塚があるが、「源頼光塚」とも称されている。源頼光の熱病の原因となった土蜘蛛が棲んでいたといわれる塚で、この老木を切り倒そうとした植木屋が、不思議な病にかかって死んだともいわれる。

 境内の枝垂れ桜が見事で、春ともなれば爛漫と咲き誇り、ピンクの雲のなか優雅な香りに包まれる。知る人ぞ知るの花見の穴場となっている。通常非公開寺院であるが、桜は自由に見てもいいようだ。

 所在地:京都市北区紫野十二坊町33-1。
 交通:JR京都駅から市バス205系統で、千本北大路下車、徒歩3分。
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