ツイッターより転載しました。
4/14読売新聞朝刊「人生相談」より 厳しく育てた息子がうつ病 「息子のためと思い、逆らうとたたいたり殴ったり厳しくしつけました。」「悪いことしたとは思っていません。」 息子さん…かわいそうです
◆ この相談者の方のような父親を知っています。自分の考えはすべて間違っていないと、自負しているのです。それは成績もよく大学を出て大企業に入って、ますます自負が頑固になっている人です。自分がエリートであり、そうなったことから、息子には自分よりも先を行くようなもっと才能と権力を持ってほしいとの願いが込められているのかもしれません。
子供らしさを、父親が忘れているのです。子供を持った時から、自分の思いどうりの人間にしなければ、育てなければという、脅迫のようなものもあると思います。競争社会が生み出した、まぎれもない勘違いの父親です。そして、このような母親もいるのです。このような両親はこれが愛情のあかしとさえ、勘違いしているのです。
わたしがもし相談されたら、息子さんと二人で、野宿をする1週間のあてのない旅にでてください。と進めます。そして、注意すべきことは、息子のすることを、なじらない、叱らない。自分の意見は相手にわかるように、話すことを、条件とします。
たぶんこのようなとんでもない状況になると、息子の方が若いだけあって、最初はぎこちないかもしれませんが、うまくことを進めたりすることができるのです。父親は子供の心を取り戻さないといけないのです。じっくりと息子をみつめて、息子の素顔を知ることが大切なんです。親子ですから、旅を終える頃には、きっと何かをわかって帰ると私はおもっています。
残念ながら専門家ではありません。参考にもなりませんか?
女性の場合も同じようにあります。両親が共働きで忙しくしていて、親としてはお金をかけて育てたつもりが、娘にしてみれば、話をきいてもらえていなかったり、気持ちを聞いてももらえず、忙しいことが口実となってしまったようです。年老いて病気がちの親が、娘を頼りにするころには、形成が逆転しています。娘は親のことに心を砕くことなどできない状態になっていました。うるさい親でしかなかった、こころの通う会話もなく、このような状態を作ってしまったのに親も気が付いていません。ですからますます心が離れてしまい、お互いに思いのたけをぶつけて本音をいう事もなく、心寂しい思いをしているのは今度は親なんです。
このような場合もやはり、自分の思いを紙に書いて渡して、互いに本心をぶつけることが一番いいのです。注意することは、書かれていることでさらに腹が立つようなことがあったら、そこには、赤い線をひいて、返すことです。そして、相手を理解しようと努力を続けるだけです。親子ですから、必ず分かり合えると私は確信しています。ほんのささいなことを見過ごしているだけですから。いがみ合うのは、わかってほしい気持ちの裏返しなのです。
そして歩みよるのは、どちらからでもいいですから、歩み寄られたらそれを受け入れることです。一番よくないのは、黙って相手に従うことです。そうしていくうちに爆発してしまうからです。
追記===========
私は共働きが悪いとは思っていません。上記のような親子関係は母親がお金の為に子供の教育の為に働いているという、気持ちがあるために、「働いているのは、貴方の為よ、だから我慢するのは、仕方ないでしょ。」と考えることにあるのです。「経済的にも恵まれているのに、何の文句があるというの。すべてあなたの為にとやってきたのに、感謝してほしい。」と母親は言うのです。
昔の母親は働かなくてはならない状態の時でさえ、母親は子供が寂しい思いをしているだろうという、気遣いをもって働いていたように思います。戦後の右肩上がりの成長時代には、お金があれば、お金さえあれば、と働きだしたことも理由の一つです。それ自体は悪いことではありませんが、子供に対する気遣いをすっかり忘れてしまったのです。日本中にこのような親があふれています。
働いてきたので、経済的に豊かにはなりましたが、子供に対する気遣いを忘れてきたためにこのようなことが起こっているのです。それは息子と父親の間でも同じことがいえるのです。父親と息子はキャッチボールをするといいのです。父親は子供と遊ぶことです。鬼コーチになるのは、ダメです。
子供は一緒に遊んでくれる父親が大好きになり、自然と父親を尊敬するでしょう。山登りが好きな父親は一緒に山へ連れていくだけでいいのです。カメラが好きなら、カメラをもって、一緒に出掛けるといいのです。企業戦士と言われた人たち(私の夫の世代)は日曜日はずっと寝て過ごしていたようにも思います。本当に惨いことでした。家族で健康的に過ごす時間をなくしているのですから。二親が揃っているのにですよ。悲しいことですよね。
寝ている夫を家に置いて、私と子供たちで、初夏の海に散策に出かけたこともあったし、おにぎりを持って近くの公園に出かけたりもしました。
私の父親は日曜大工が趣味でしたから、いつも「そこを、持ってって」と手伝わされていました。おかげで、棚も作れますし、大したものでもありませんが、自分で何かを作る楽しみを知っています。