アイリス あいりす 

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ポツダム宣言 1945年 

2024-06-27 17:20:29 | 歴史

https://en.wikisource.org/wiki/Potsdam_Declaration より

ポツダム宣言 (1945年
 

(1)我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席及び英国首相は、数億の我が国民を代表して協議し、日本国にこの戦争を終結させる機会を与えることに同意する。

(2)アメリカ、イギリス帝国、中国の膨大な陸海空軍は、西側諸国の陸軍と航空艦隊によって何度も増強され、日本に最後の打撃を与える態勢を整えている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで日本との戦争を遂行するというすべての連合国の決意によって支えられ、鼓舞されている。

(3)世界の目覚めた自由人民の力に対するドイツの無益で無分別な抵抗の結果は、日本国民に対する恐ろしいほど明白な例である。現在日本に集中している力は、抵抗するナチスに適用されたときにドイツ国民全体の土地、産業、生活様式を必然的に破壊した力よりも計り知れないほど大きい。我々の決意に支えられた我々の軍事力の完全な適用は、日本軍の不可避かつ完全な壊滅と、同様に必然的に日本本土の完全な荒廃を意味する であろう。

(4)日本は、愚かな計算で日本帝国を滅亡の瀬戸際に追い込んだ、わがままな軍国主義顧問団に今後も支配されるのか、それとも理性の道を歩むのか、決断すべき時が来た。

(5)以下は我々の条件である。我々はこれらから逸脱しない。代替案はない。我々は遅延を許さない。

(6)日本国民を欺き、世界征服に乗り出すよう誤導した者たちの権威と影響力は永久に排除されなければならない。なぜなら、無責任な軍国主義が世界から駆逐されない限り、平和、安全、正義の新しい秩序は不可能であると我々は主張するからである。

(7)そのような新しい秩序が確立され日本の戦争遂行力が破壊されたという説得力のある証拠が得られるまで、連合国によって指定される日本領土内の地点は、我々がここに提示する基本目的の達成を確実にするために占領されるものとする。

(8)カイロ宣言の条項は履行され、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及び我々が決定するその他の小島嶼に限定される。

(9)日本軍は、完全に武装解除された後、平和で生産的な生活を送る機会を得て、各自の家庭に帰還することを許されるものとする。

(10)我々は、日本人を民族として奴隷化したり、国家として滅ぼそうとは考えていないが、我々の捕虜に残虐な行為を行った者を含め、すべての戦争犯罪者に対しては、厳正な処罰が下されるものとする。日本政府は、日本国民の間に民主主義的傾向を復活させ、強化するためのあらゆる障害を取り除くものとする。言論、宗教、思想の自由、および基本的人権の尊重を確立するものとする。

(11)日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の請求を可能にする産業を維持することが認められるが、戦争のために再軍備を可能にする産業は認められない。この目的のため、原材料へのアクセスは認められるが、原材料の管理は認められない。日本が世界貿易関係に参加することは最終的に認められる。

(12)連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向で責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする。

(13)我々は日本政府に対し、ただちに日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動に対する誠意を適切かつ十分に保証するよう求める。日本にとって、それ以外の選択肢は、迅速かつ完全な破壊である。

~~~~~~~~~~~~~~

ポツダム宣言または日本降伏条件を定める宣言(ポツダム協定と混同しないでください)は、1945 年 7 月 26 日にハリー S. トルーマン、ウィンストン チャーチル、蒋介石によって発表された声明であり、ポツダム会談で合意された日本の降伏条件を概説しています。この協定では、日本が降伏しない場合、「日本は即時かつ完全な破滅に直面する」と規定されています。

 ================

この作品は、地方政府または外国政府の勅令であるため、米国ではパブリック ドメインです。Compendium II: Copyright Office Practices の § 313.6(C)(2)を参照してください。このような文書には、「立法制定、司法判断、行政裁定、公布条例、または同様の種類の公式の法的資料」のほか、「公務員が職務の遂行中に作成した翻訳」が含まれます。

これらには、米州機構、国際連合、または国連の専門機関の著作物は含まれませ ん。Compendium III § 313.6(C)(2) および 17 USC 104(b)(5) を参照してください。

 

♫また日本語版のウィキにはこのように書かれています。日本語でも全く分かりませんね。これが支配者一族の意図です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

戦後79年も経つのに、これらを読むと未だに日本は変化していないこと、或いはこのころそのままの状態にあると言えます。


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其の2:元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。

2024-06-27 13:18:32 | 歴史

其の2:元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/884.html
投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 4 月 30 日 00:11:49

 

第5章:スターリンとジューコフ元帥の反乱

ユダヤから離れて暗殺されたスターリン

スターリンはその頃からユダヤ人のやり方に反発するようになった。スターリンの妻はカガノビッチの妹であり、その前のスターリンの2番目の妻も同じくユダヤ人だった。それにもかかわらず、スターリンはユダヤ人に対抗していった。戦争の勝利で自らのイメージが上がったこともあり、ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなって、反ユダヤの態度をとりはじめたのであった。1949年から亡くなる1953年までの間、スターリンは実際にそうした行動をとり続けていった。 

スターリンの身辺には常にベリヤがいた。ベリヤは国家保安省のリーダーであり、スターリンと同じくグルジア人だったが、ユダヤとのハーフであった。ベリヤは終始スターリンの見張りを怠らず、スターリンの行動をすべてカガノビッチに報告していた。そのため、スターリンはベリヤに隠れて密かに反ユダヤの陰謀を画策していった。◆

1952年、「医者事件」が起こった。「医者事件」とは、1948年、ユダヤ人の医者たちが多くのロシア人の新生児、それも男児を毒殺した事件である。そのときに殺された男児の数はかなりの数に上った。とくに大都会のレニングラード、モスクワ、キエフなどで多くの男児が殺された。

なぜユダヤ人たちはこのような暴挙をやるのか、このまま多くの男児が殺されるならば、いったいどのようなことになるのか──。

スターリンは1952年、この事件に関係した医者をすべて逮捕し、ユダヤ人自身がつくった収容所に送って、その半数を殺したのであった。◆

スターリンは更に大きな反ユダヤのプランをもっていた。シベリアの極東地方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からすべてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである。が、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953年3月のことであった。 

スターリンは自然死であるという説があるが、実際はそうではなかった。ユダヤ人による暗殺であった。ベリヤによってスターリンは殺されたのである。スターリンの息子ワシーリーは空軍の将校だったが、彼はこの事実をよく知っていた。彼は隣人にこの経緯をすべて話している。しかしワシーリーもまもなく暗殺されてしまった。 

ソ連の全権を握ったカガノビッチ

ユダヤ人は強大な力をもっている。彼らは世界的な規模で力をもっており、ユダヤ民族が不利な状態になったときには一致して攻撃に出ることができる。スターリンは強力な独裁者といわれたが、その実は彼らに操られたロボットであり、自ら独裁者ぶりを発揮したとたんにユダヤによって暗殺されたのである。◆

スターリンが亡くなって後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。カガノビッチはハザールの王であり、、この2人はスターリンが暗殺されてから130日間、実質的にロシアを支配していた。この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。それは、ソ連の分裂への策謀であった。ベリヤが逮捕されて後に、こうした計画のあったことが発覚している。 

今から40年前の1953年、カガノビッチは当時のソ連の全権を掌握した。このとき、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまったのである。

ロシアのユダヤ人とアメリカのユダヤ人たちはこうした事態を大いに喜んだ。なぜならば、ロシアのユダヤ人もアメリカのユダヤ人も、いずれもアシュケナジー・ユダヤ人という同胞であり、すっきりと手を組むことができるからだった。

ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。

その当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところにいた。そして、密告が制度として国民の義務となっていた。当時のロシア人は、こうしたユダヤのネットワークには、何らの抵抗するすべをもたなかった。

 ユダヤ権力を壊滅させたジューコフ元帥

しかし奇跡が起こった。第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収めたのである。

1953年7月27日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行なっていた。この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めたのである。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功することができたのであった。

 ジューコフ元帥はまずベリヤを逮捕した。そしてその次にカガノビッチらを逮捕した。これはまったく異例の事態であった。ロシア人の民族性からすると、こうした過激な反発行動に出ることはあり得ないことであった。しかしジューコフは、誰にも相談せずに、自らの判断で直ちに戦車部隊二個師団を動かし、モスクワに入って国家保安省本部を乗っ取ったのである。

そのときからロシアは新政府となり、ユダヤ人は国家保安省や軍隊の司令部を含めて、あらゆる組織から追放された。少なくとも1960年まで、ほとんどの政府機関からユダヤ人が一掃されたのである。

 ようやく、ロシアをロシア人が指導するところとなった。一時的にではあったものの、明らかにロシア人の勝利であった。このとき1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかったのである。ユダヤ人たちはそのままロシアに住んではいたが、もはやユダヤ人たちが国家内国家をつくるようなことはなかった。

ブレジネフの時代はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代であったといえる。ユダヤ人たちはこの時代を「停滞」時代という。革命が起きていなかったので、彼らにとっては「停滞」と呼ぶにふさわしい時代なのである。 


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 第6章:ソ連崩壊の舞台裏 (ロシア人とユダヤ人の対立)

1991年8月のクーデターは「ユダヤ第二革命」だった

共産主義体制崩壊後のロシアの政治を、日本では、改革派(民主系)と保守派(旧共産党系)の対立を軸にしたものとしてとらえ、そこに中間派系、民族派系などの諸派が絡んだ政争の流れとして見ている。しかし、本当の問題は民族闘争なのである。ロシア人とユダヤ人の対決、それがロシアで起きていることの根本にあることである。◆

1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わった。しかしその結果起きたことは、紛れもない革命だった。これはユダヤ人によるクーデターであり、「ユダヤ第二革命」と呼ぶべきものだった。過激派のユダヤ人たちは、穏健なゴルバチョフ政権を倒して自らが政権を握ろうとしたのである。クーデター失敗後、エリツィン・グループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがユダヤ人であった。

エリツィンはユダヤ人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。しかし彼は頭が悪く、しかもアルコール中毒である。彼は使われているロボットにすぎない。彼の補佐官は80%がユダヤ人であり、彼の補佐官の中には20人のアメリカ人がいた。そのアメリカ人の中でも指導的な役割を果たしているのは、ジェフリー・サックスというハーバード大学の教授であり、もちろんユダヤ人である。

 ロシア国内のユダヤ人たちは、8月クーデターでロシア政府内の実権を握ったことを幸いに、次に海外のユダヤ人と相呼応して、ロシア経済を支配下に置こうとした。そのため、欧米の、中でもアメリカのユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込むことになったのである。

エリツィンと取り巻きのユダヤ人たちは、8月クーデター以後、急進的な市場開放路線を議会で承認させると、ガイダル政権を発足させた。そして年末の連邦崩壊・CISの形成を経るや、一気に市場開放、価格自由化というショック療法を実行に移したのである。その結果ロシアでは、国際派ユダヤ人による猛烈な「ゴールド・ラッシュ」が起きた。1991年8月クーデター以後しばらくの間、ニューヨークからモスクワ行きの飛行機は、ほとんどユダヤ人たちに占められていた。

やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう

8月クーデターで、彼らユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろう。しかし、70年余年前の10月革命のときとは、その事態には根本的な違いがあることに彼らは気付いていない。

ユダヤ人たちは1917年10月革命当時には大きな力をもっていた。しかし今日のロシアのユダヤ人たちには力がない。彼らは二度目の革命を起こしたが、今日のロシア人は75年前のロシア人とは異なっている。当時のロシアは農業国家であった。多くの農民たちは読み書きができなかった。しかし今は違う。共産主義時代に受けた教育レベルは非常に高いものである。ロシア人の年輩者もそして若い人たちも、ますますユダヤ問題がわかってきている。そして愛国心の高まりとともに、ユダヤ人に反発する行動をとるようになり始めているのである。◆

ユダヤ人はモスクワやサンクト・ペテルブルグ、キエフなどの大都会では力があるが、農民や労働者の中にはユダヤ人は一人もいない。これは喜ばしいことである。さらに、ユダヤ人たちの影響はまだ地方にまでは及んでいない。ロシアの地方には本当のロシアが残っている。

ロシア人たちの反発は、ロシア人によるユダヤからの解放運動として、すでに地方に広がりはじめている。ロシア人たちは必ず自分たちのロシア人のリーダーを選ぶだろう。

以前ゴルバチョフはペレストロイカは地方からの革命ではなく「上からの革命」であると言った。しかしこれは「革命」というよりは反ロシア的な陰謀であった。決して下からの解放運動、革命ではなかった。

私たちロシア人はすでに革命の歴史をもっている。最初の10月革命、これは明らかにユダヤ革命だった。そしてまた、2年前の1991年8月にあった革命も、ユダヤ革命であった。ロシア人たちはユダヤ革命はもう十分だと思っている。我らはもうこれに我慢できない。ロシアのユダヤ人たちは、ロシアにおいて悪質なことをやってきたし、今もやっている。しかし彼らはすでにやりすぎている。

今後、ロシア人とユダヤ人との闘いは、もっと激しくなっていくにちがいない。やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。〈後略〉

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
http://www.gameou.com/~rendaico/marxismco/marxism_gissenriron_roshiakakumeiko_urashikan.htm

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【私のコメント】
ロシア革命もソ連崩壊もユダヤ人がロシアの政府を乗っ取るための革命であったというこの主張は陰謀論と笑い飛ばすには余りに説得力がありすぎる。スターリン後のソ連がユダヤ人からロシア人が権力を取り戻す過程であったのと同様に、プーチンのロシアもユダヤ人から権力を取り戻しつつあるという見方ができる。

ところで、1929年のウォール街発の世界恐慌は米国政府をユダヤ系金融資本が支配するFRBを介してユダヤ人が乗っ取る第一次ユダヤ革命という性格を持っていた。2001年のブッシュ政権成立と同時多発テロの自作自演はネオコンが米国政府を乗っ取る第二次ユダヤ革命とも言える。ロシアでの革命に十年余り遅れて米国で革命が起きるというユダヤ革命の歴史が繰り返されている。

 

(以上、阿修羅掲示板:カテゴリー ホロコースト2より転載しました)

 

 


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其の1:元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。

2024-06-27 13:17:38 | 歴史

元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/884.html
投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 4 月 30 日 00:11:49

 


元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌

ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
──元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌──

1993年夏

 旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イワノフ氏は、1993年夏に日本を訪問しました。そして全国各地で講演を行ない、これまでのロシアでは何が起きていたのか、今のロシアで何が起きているのか、そもそもロシアのユダヤ問題とは何であるかについて、熱を込めて語りました。

イワノフ氏はモスクワ大学を卒業し東京大学大学院を修了した、日本事情にも詳しいロシア人外交専門家です。彼の講演には、私たち日本人がおよそ耳にすることのなかった驚くべき内容が数多く含まれていました。彼は私たち日本人に、知られざるハザール=ユダヤ人とロシア人の戦いの歴史を余すことなく語ってくれたのであります。

以下は、彼が行なった講演内容をまとめたものです


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第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国

8~9世紀、ロシア人はハザール王国と戦った

6世紀後半、中央アジアのヴォルガ川流域に強力な民族が台頭しはじめた。のちにハザール(カザール)王国を形成するハザール民族である。「ハザール王国」は7世紀にハザール人によってカスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。一方、当時はロシアもまだ帝国としては存在していなかったが、ロシア人はすでにキエフなどに定着していた。

6世紀から8世紀にかけて、ハザール民族はカスピ海の北方に進出すると、ロシア人とたびたび衝突するようになった。ハザール人はロシア人を支配下におき、奴隷にして、カスピ海の北にあるイティルというハザール人たちの首都に連れて行った。イティルでは当時、ロシア人の奴隷がいとも安価で売買されていたという。

 8世紀になり、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗し、ハザールはユダヤ国家になった。そして彼らは自らをユダヤ人と名乗るようになったのである。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハザール人の子孫である。

8世紀から9世紀にかけて、ロシア人とハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ついにロシア人がハザール王国を占領した。そして、首都イティルをほとんど壊滅させてしまった。それ以来、ハザール国家は再びかつてのような強国となることはなかった。

13世紀に入ると、タタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させた。ユダヤ教徒ハザール人、すなわちアシュケナジー・ユダヤ人たちはロシアが近かったので、その多くがロシア領内に逃げ込んだ。

ロシアのユダヤ教徒ハザール人たちは、すでに12世紀に、ロシア国家の中でロシアに対する陰謀を画策するようになっていた。そして1174年、彼らはロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺したのである。当時のロシアは多くの国々の集合体だったので、それぞれの国の皇帝が集まり会議が行なわれた。その結果、彼らはロシアにいるユダヤ教徒ハザール人を弾圧することに決定した。そして、多数のユダヤ教徒ハザール人が殺されることになったのである。

ポーランドへ移ったハザール=ユダヤ人

ヨーロッパの歴史を振り返ると18世紀の末、1772年から3回にわたって、ポーランド分割が行なわれている。ポーランドは3つに分けられ、当時の強国であったロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドに、ハザール=ユダヤ人たちが「国家内国家」を形成していたのである。◆

大規模なユダヤ・コミュニティは、15世紀まではスペインの中にあった。もっとも、このスペインにいたユダヤ人は、そのほとんどすべてが聖書でいう本当のユダヤ人、すなわちスファラディ・ユダヤ人であった。1492年、スペイン政府がスファラディ・ユダヤ人を国外に追放したことによって、スペインの中のユダヤ国家は消滅した。スペインを追われたスファラディ・ユダヤ人たちは主に、北アフリカ、オランダ、イギリスなどへ渡って行った。  

一方、ロシアから追放されたユダヤ教徒ハザール人たちは、そのほとんどがポーランドに移っていた。そのため、15世紀にはユダヤ教徒ハザール人たちの政府はポーランドの中に設けられていたといってもよい。

15世紀の終わりから16世紀にかけて、ポーランドのユダヤ人たちはポーランド人よりも強大な力をもつようになっていた。彼らは実際、ポーランドの国内に自分たちの政府、自分たちの国会、自分たちの教会などをつくっていた。

一般のポーランド人たちはもちろんのこと、ポーランド政府でさえも、そうしたユダヤ人たちの国家内国家に対しては、一切手をつけることができない状態にあった。 

■■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール=ユダヤ人

ロシアは18世紀の終わりに、こうしたユダヤ人の国家内国家が存在するポーランドの領土の一部を自国の領土としたのであった。領土を得たのはよかったが、領土とともにユダヤ人の政府をも取り込んでしまったのである。このときにロシアは、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。

こうして、18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになったのである。◆

ロシアのユダヤ人問題は昔も今も、最も難しい民族問題である。それは、ロシアにとってのユダヤ問題が、10世紀以来のロシア対ハザールの確執を含んでいるからである。ロシアが抱え込んだユダヤ人は、スファラデイ・ユダヤ人ではなく、アシュケナジー・ユダヤ人であり、彼らはユダヤ人ではないにもかかわらずユダヤ人と称する人々である。つまり彼らがユダヤ教徒ハザール人であるところに、この民族問題の複雑さがある。

その当時、ロシアに入ったハザール=ユダヤ人は300万人ぐらいであった。そのほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たちである。

それでも、ユダヤ問題は18世紀には、まだそれほど大きな問題ではなかった。19世紀の終わり頃から、ロシアのユダヤ人たちは熱心に革命運動に参加するようになった。革命運動を指導していた政党、社会民主党や社会革命党などのリーダーおよび活動家たちは、ほとんどすべてがハザール=ユダヤ人であった。◆

古来からロシア人は戦闘的、革命的な要素をもたない民族であった。一方、ユダヤ教徒ハザール人にとってロシアは敵国であり、ロシア文化は敵国の文化であった。したがって、彼らはロシア国家に対しては常に戦闘的、革命的であった。

ユダヤ教徒ハザール人たちは、古い過去の歴史をすぐに引き合いに出す。現在の歴史と古い歴史を同じように並べたて、3500年前の「出エジプト」(エジプトで奴隷となっていた古代ユダヤ人がモーセに率いられてエジプトから脱出した)の事跡などを持ち出してくる。

ユダヤ人は過去の歴史の中に生きているといってもよいだろう。だからこそ、ユダヤ教徒ハザール人は、かつてロシア人がハザール王国を崩壊させたことをよく覚えている。そのためユダヤ人の中には、常にロシアに対する復讐の思いがある。ロシアで革命を起こし、国家を転覆させることは、ユダヤ教徒ハザール人にとって最も重要な課題であった。◆

当時のロシアの知識人の中には、すでにそうしたユダヤ教徒ハザール人の動きをキャッチしていた人々がいた。たとえばロシアの作家、ドストエフスキーの著作を読むと、彼は繰り返し「ユダヤ人は革命を起こすだろう、ユダヤ人はロシアの中に入った毒であり、悪魔だ」と強調している。ドストエフスキーは「必ずユダヤ革命が起きる」と断言していた。

しかしロシア政府は、そうした動きをまったく感知していなかった。そして、ほとんどのロシアの知識人たちは、ユダヤ人と戦わずにユダヤ人と一緒になって革命を準備したのだった。 


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第2章:ロシア革命はユダヤ革命だった

日露戦争を画策したハザール=ユダヤの狙い

1905年、日露戦争が勃発した。日露戦争はユダヤ人の画策により、隣同士の2つの国が衝突することになった戦争である。当時、イギリスのユダヤ人が挑発的な行動に出て、日本もロシアも知らないうちに戦争に巻き込まれていった、というのが実際のところである。日本とロシアの歴史的な関係は、決してよい関係とはいえないかもしれない。が、そこにユダヤ人の画策があったことを考慮に入れなければならない。そう主張するロシア人は少なくない。たとえば、ロシアで出ている『日露戦争におけるユダヤの役割』という本なども、そうしたユダヤ人の動きを論じたものだ。

日露戦争当時、ユダヤ人たちは「ロシア政府の敗北」というスローガンを掲げて革命運動を展開した。このスローガンによって、ユダヤ人の革命家たちは、ロシア政府の敗北を望む日本やアメリカから革命資金を導入することを容易にもしたのである。日本の資金力はそれほど大きなものではなかったため、主にアメリカの資本が投入された。アメリカの大資本家であり、アシュケナジー・ユダヤ人であるヤコブ・シフが、ロシアのアシュケナジー・ユダヤ人の革命家たちに多額の援助を与えたことは知られている。

こうして第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲ったが、1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を構成した。

このストルイピンという人物は、民族主義者・国家主義者であったため、強固な反ユダヤ的な政策をとって革命運動を鎮圧していった(そのためレーニンもジュネーブに亡命している)。ストルイピンは「強いロシアをつくろう」というスローガンを掲げて、今日のロシアの「改革」とはまったく異なる、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めていった。

 しかし残念なことに、1911年9月、ストルイピン首相は暗殺されてしまった。ストルイピンがキエフに行った際に、ニコライ2世とともに劇場でオペラを見ていたときのことである。彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。彼は反体制派、社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあった。彼はストルイピンの席近くへやって来るや、ニコライ2世の面前で、ピストルを2発、ストルイピンめがけて撃ったのである。◆

ストルイピンが亡くなったことによって、ロシア人によるロシア人のための改革も終わってしまった。

その頃、ロシアの資本主義経済はかなり強くなっていた。すでに、世界の資本主義諸国の中でも、決して引けをとることのない資本主義国家になっていた。当時のロシアの経済成長率は11~15%で人々の生活水準も高かった。それは10月革命以前のことである。

 ユダヤ人が担ったロシア10月革命

ストルイピンが暗殺されると、ユダヤ人たちはもう一つの革命の準備に入った。1917年11月6日の「10月革命」である。

この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。いうまでもなく、革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた。アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。ユダヤ人金融業者ヤコブ・シフは、アメリカ・ユダヤ人の中心的存在だった。ロシアのユダヤ人革命家たちに多額の援助を与えた。

そのときロシアは、ドイツとの戦争の真っ最中であった。第一次世界大戦である。ドイツの方面からも、レーニンのグループがロシアに入った。このグループもまた、ほとんどがユダヤ人だった。10月革命は、アメリカとドイツの金によってユダヤ人が実行した革命であった。

 それにしても、ロシア革命はなにゆえにひと握りのユダヤ人指導者の下に、容易に推し進めることができたのだろうか。ロシア人は黙って見ていただけなのだろうか。当時の革命政府には、ロシア人はほとんど参加していなかったのである。レーニン自身がその事実を述べている。

10月革命が起きてのち、ロシア人は新政権の成立にはほとんど関わることをしなかった。ロシア人としては、このような反民族的なシステムには入りたくなかったのである。

 レーニンは、政府の官僚として誰を起用するかをじっくりと考える必要はなかった。当時は戦争中だったので、西側からユダヤ人が続々とロシアの中央に移って来た。ソ連の新政権にユダヤ人は約150人参加した。そして、政府のトップ・クラスの人々はすべてユダヤ人であった。政権内部のロシア人は2~5%ときわめて少なかったのである。

レーニンの祖母はユダヤ人だった。レーニン自身がユダヤ人とのハーフだったのである。ロシア10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。しかし、アメリカとドイツからロシアにやって来たユダヤ人たちは、革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。◆

その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという。

 10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたのである。やがてそうしたユダヤ人の中に摩擦が生じるようになった。

1920~1930年代、アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に、激烈な闘争が巻き起こったのである。革命家たちはユダヤ教を信仰していないため、ユダヤ教徒たちは共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。

レーニンやトロツキーたちとともに来た人々は、この戦いでほとんど消えてしまった。革命政府の中心にあった者たちは、ほとんど殺されてしまったのである。こうして第二次世界大戦勃発以前に、このユダヤ人の間の闘いには決着がついたのであった。 


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 第3章:ハザール王室直系の子孫、カガノビッチの暗躍

スターリンを操ったモンスター、カガノビッチの正体

10月革命以降、特に1920~1930年代に、ユダヤ人はロシアで「国家内国家」をつくっていった。それはまさしく、8世紀~10世紀ごろに栄えたハザール王国の再現であった。

ロシアにはハザール王国の皇帝の子孫がいたのである。スターリンは傀儡であり、ユダヤ人たちのロボットであった。スターリンは表向きの指導者であって、ユダヤ国家には陰の指導者がいたのである。その陰の指導者がすべての実権を握るほんとうの支配者であった。

それは誰か。 世上、スターリンの片腕といわれたユダヤ人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉で、ユダヤ教の宗教の指導者、皇帝などを意味している。ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示している。

ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのである。

 スターリンは共産党書記長というポストについていたが、カガノビッチはただの書記にすぎなかった。しかし、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取り仕切っていた。スターリンはこのカガノビッチの政策の執行者にすぎなかった。

ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)のほかに、実際の政務を行なうビャク(執行者)があった。その意味でも、当時のソ連政府はまさしくハザール王国の再現であった。

一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だったのである。この事実は決して触れられることがない。 

ハザールの王・カガノビッチがロシアを支配した

カガノビッチはどのようにしてロシアの国家内国家、すなわちユダヤ国家を指導していったのだろうか。共産党によったのではない。共産党も表向きの形式にすぎなかった。実際には裏の組織があった。それが国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)である。国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。

国家保安省にはベリヤというきわめて危険な人物がいた。彼はユダヤ人とのハーフで、グルジアの北コーカサス出身のユダヤ人であった。ベリヤはカガノビッチの従兄弟にあたる。カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していったのであった。 

またその頃、ユダヤ人は国家保安省の中に収容所という新しいシステムをつくった。ソルジェニーツィンの著書『収容所群島』には、このシステムについて詳しく述べられている。各収容所の所長は9割がユダヤ人だった。収容所システムを初めに導入した人物は、フレンケルというユダヤ人の革命家である。収容所はロシア人の奴隷を収容するためにつくられた施設だった。

革命が成功すると、ユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとした。そのためにはロシアの「頭」を切り落とさなければならない。「頭」というのは日本でいえば天皇であるように、ロシアでいえばツアー、すなわち皇帝であった。

 ユダヤ人はまず当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺した。革命の翌1918年7月、ユダヤ人はウラル山脈のエカテリンブルグ(現在のスベルドロフスク)のある家の地下室で、ツアーとその家族をすべて銃殺に処した。

そして、その家の壁にサインを書き残したのである。それはヘブライ語で「皇帝は暗殺された、国家は破壊された」と書かれていた。私(イワノフ)はそのサインを自分の目ではっきりと見ている。

エリツィン大統領は当時、その町の第一書記だったが、このエリツィンの命令によって、ツアーが殺害された家は完全に破壊されてしまった。今はもう誰もこのサインを見ることはできない。家も壁も残されていないからである。


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第4章:ロシア文化を徹底的に破壊したハザール=ユダヤ人

革命はロシアの頭脳を流出させロシアの文化・宗教を破壊した

ロシアの「頭」はこうして切り落とされた。では彼らの次の目標は何か。その次に彼らは何をしなければならなかったのだろうか。

ロシアの伝統、習慣、歴史と、それを存続させている貴族を殺すこと、それが彼らの次の課題であった。が、ロシアの貴族はそのとき、幸か不幸かほとんどが国外に亡命していた。少なくとも300万人の貴族がアメリカやヨーロッパなどに脱出したが、彼らはいわばロシアの頭脳ともいえる人々だった。要するに、革命によってロシアの頭脳が全て国外に流出してしまったのである。◆

アメリカには世界でも有数の技術を発見した学者たちが多くいる。あまり知られていないことだが、それらの学者たちの中にはロシア人が最も多いのである。少なくとも彼らロシア人が20%を占めている。

たとえばヘリコプターの発明者のシコルスキー、ノーベル賞をもらった経済学者ワシリー・レオンツェフ、また作曲家のラフマニノフなど、挙げていけばきりがないほどだ。ロシアの頭脳はほとんどアメリカに行ってしまったのであった。アメリカは革命によってロシアの頭脳を獲得したのである。

優秀な実業家、デミドフ、ストロガノフ、エリセエフなども外国に行ってしまった。ロシアはユダヤのために優秀な実業家たちをすべて失ってしまった。ロシア人の「頭」の代わりにユダヤ人の「頭」が、ロシアの体、すなわちロシア人の国家の上に乗せられたのである。◆

さらにロシアの古い伝統、習慣、文化をもっているのは誰か。農民である。彼らは個人の農地をもっていた地主であった。しかしユダヤ人は革命を推し進めるためには、農業システムを破壊しなければならないとして、各地にコルホーズ(集団農場)やソホーズ(国営農場)をつくっていった。その結果、ロシアの農業システムがすべて破壊されたのである。

こうして、文化人も、優秀な実業家も、伝統的な農民もロシアからいなくなった。全部ユダヤ人のやったことである。またロシア正教もほとんど壊滅の状態にまで弾圧された。ロシア正教はロシア人にとって最も神聖な宗教である。少なくとも1000年の歴史をもっており、ロシア人に大きな精神的影響を与え続けてきた。しかし革命後、ユダヤ人はロシア正教会の90%を破壊してしまったのである。

 ロシアでは10~11世紀にかけて、ロシアの伝統的な建築技法によって美しい多くの教会が建てられた。今では12世紀に建てられた教会が、わずかに破壊されずに残っているが、古い教会のほとんどがユダヤ人によって破壊されてしまった。破壊されたものの中には、建物以外に絵画や9~11世紀のイコンもたくさんあった。

こうした破壊はロシアにとっては耐えがたい残酷なる悲劇であった。 

軍幹部と知識人の粛清

第二次世界大戦が始まる前に、ユダヤ人たちはもう一つの陰謀を企てていた。それはロシア軍隊の幹部たちを粛清することだった。少なくともその当時、約3万人の将軍や将軍クラス、大佐クラスの軍人が殺された。彼らはちょうど第二次世界大戦が起こる1、2年前に殺されたのである。◆

ユダヤ人たちはヒトラーからの侵略の脅威を感じなかったのだろうか。ロシアを外敵から守る必要がありながら、なぜ優秀な軍人を殺すことに躊躇しなかったのだろうか。

彼らにとっての問題は国外ではなく国内にあったからである。ロシア人の将軍や大佐などが赤軍を指導し、反ユダヤ感情が高まってきたために、ユダヤ人たちは危険を感じて軍隊の幹部たちを殺した。実に第二次世界大戦が起こる直前のことであった。それら将軍の中にはユダヤ人も交じっていたが、ユダヤ人であろうとも、不穏な動きを一掃するためには無差別に殺されていったのであった。◆

戦争が始まった。優れた司令官をすでに失っていたロシア軍は、はじめの1、2年間は敗北を重ね、モスクワまで撤退して敵を迎え撃つ戦法をとることにした。そして、後のモスクワ戦線では激烈な戦闘の結果、最終的にロシアが勝利を収めたのだが、そのときには、ようやく世代交代がなされ、次世代の優秀な軍人たちが指揮をとっていた。それらの指令官の中でも、最も優れた司令官がジューコフ元帥だった。◆

1941年10月、ドイツ軍はモスクワ大攻撃を開始した。それに対して、その年の12月、ジューコフ元帥の率いるロシア軍が大反撃を行なったのである。これをロシアでは「モスクワの祖国戦争」という。戦争は1943年2月まで続いたが、ついにドイツ軍は降伏し、ロシア軍の勝利の第一歩が印された。ジューコフ元帥の果たした役割は、すべての戦争において最も大きいものだった。

 戦争が終わると、急速にロシア人の民族的自覚が高まっていった。ドイツとの戦争で勝利を勝ち取ったからである。ユダヤ人はロシアを恐れた。

危機を感じたユダヤ人は1948年、ロシア人に対して攻撃を開始した。優秀な政治家たちを次々と裁判に送り、ロシア人知識階級を殺していったのである。カガノビッチがそれらの指揮をとっていたが、スターリンもそれに同調していた。 


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其の2に続く
 

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【動画】33Mystery of JapanMystery of Nintoku仁徳陵の謎byはやし浩司

2024-05-27 07:40:25 | 歴史

歴史

33Mystery of JapanMystery of Nintoku仁徳陵の謎byはやし浩司

 

368+126 大仙陵(仁徳陵)の謎(日本の謎の原点)byはやし浩司Mystery of Japan

 

701+368 大仙陵はギザとつながっていた(Secret of Daisenryo Mound, Osaka, Japan)

はやしひろし氏の数々の考察の凄い事には10年ほど前に見て驚きました。中でも私は銅鐸についてと、銅鏡についての考察も気に入っています。

私たちは教えられた歴史だけではなく、何かの直感からこのように新しい考察へと導かれていると思います。

ミステリーとも言えるこれらの不思議に魅了される人もいるでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

堺市の観光ガイドより

YOU TUBE動画紹介 https://youtu.be/CysnXQOYt8I

クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓、5世紀中ごろ築造とされ全長約486mの日本最大の前方後円墳。百舌鳥耳原三陵の一つで、墳丘は3段に築成され三重の濠がめぐり10基以上の陪塚があります。

エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっていますが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土しています。
昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土し、古墳が造られた年代を知る資料として話題になっています。明治5年(1872年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。出土品は再び埋め戻されたといわれていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。
日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことがわかっています。

所在地

堺市堺区大仙町

アクセス

JR阪和線「百舌鳥駅」下車 徒歩8分

駐車場

大仙公園仁徳御陵駐車場/乗用車105台(2時間まで200円、以降1時間毎に100円追加、5時間以上600円)、バス18台(1台1回1,000円)

※なお古墳の中には入ることは出来ないです。こちらに、見やすい場所が紹介されています。

https://www.sakai-tcb.or.jp/spot/detail/126#:~:text=%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%95%E7%8E%8B%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89,%E3%81%9F%E3%81%A8%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

♫この古墳は堺市では「仁徳天皇陵」と紹介し、また全国的にも「大仙陵古墳」と名前が変わっています。

作られた時期から考えると、私はこの古墳は聖徳太子の古墳ではないかと思っています。そして周りの古墳の数に

ついても不思議なものを感じますね。大阪南の四天王寺は聖徳太子によって建立されたものです。何度も火災に会いながら、

復興されてきたのです。そして大阪南では「てんのう寺さん」と親しみを持って呼ばれているようです。

仁徳天皇陵の名前ですが、今の天皇の名前は徳仁ですよね。

 


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【歴史】科学者が説明できない6つの驚くべき考古学的発見

2024-05-24 15:28:09 | 歴史

科学者が説明できない6つの驚くべき考古学的発見


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【歴史】Pre-Historic Mega Structures of Japan & Unexcavated Giant Tombs

2024-05-19 17:54:58 | 歴史

Pre-Historic Mega Structures of Japan & Unexcavated Giant Tombs

♫たまたまテレビで、鋸山に上る番組を見ました。「低名山」そこでもこの山の切り方がクローズアップされていました。切り方が普通では考えられないほどの高度な技術であったことと、どうしてそんな風に切っていったのかも、不思議でした。

お城の石の削り方も、組み合わせも、見事ですよね。

花崗岩の表面がガラスのように見える現代の切り口は、器械で加工しています。

 

 


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#58 なんだこりゃ! 聖徳太子の時代の刀! これが元祖日本刀?

2024-05-19 11:00:41 | 歴史

#58 なんだこりゃ! 聖徳太子の時代の刀! これが元祖日本刀?

♫「かぶつちの刀」という物だそうです。非常に興味深い話ですね。


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【歴史】鹿島神宮の宝 展示解説その1 国宝「直刀」

2024-05-19 10:33:46 | 歴史

鹿島神宮の宝 展示解説その1 国宝「直刀」

♫この刀について、別のところで私は10年ほど前に読んでいました。この刀はエジプトでの出土品でも言われている、宇宙からの隕石の鉱物が使われているとありました。ですから、ピカピカに今でも輝きを失っていません。そしてその長いことも。

私たち日本人の体格からすると、あり得ない長さです。ガリバーのような人達が実在した世界があったのかもしれません。

 


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8億年前の地層に眠る未来人のミイラか!? ロシア「プリンセス・ティスルスキー」の謎

2024-04-03 22:24:30 | 歴史

8億年前の地層に眠る未来人のミイラか!? ロシア「プリンセス・ティスルスキー」の謎

文=遠野そら

https://web-mu.jp/history/37895/


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【歴史】12本のDNA鎖のうち10本を切断すると、私たちの能力は麻痺した

2024-03-24 20:10:03 | 歴史

12本のDNA鎖のうち10本を切断すると、私たちの能力は麻痺した

重要; このエッセイはユニークで、まさに目を見張るものです。
この情報を心に留めてメッセージを広めてください。
あなたはその種類のひとりであり、あなたが思っているよりもはるかに有能です。

 

 ************

人類の本当の歴史

プレアディアンは、あなたをより高い意識レベルに連れて行くために、有益な話をすることがよくあります。

 

今回彼らは人類の真の過去の素晴らしい物語を語ります。よくある話ですが、ついに真実の完全な話がここにあります。実を言うと、これが彼らが地球に来た理由です。

 

先史時代には、多くの壮大で高度な文明が地球に住んでいました。これらの文明のほとんどは人型でしたが、これらの古代人類の種族のどれもが地球起源ではありませんでした。今日、地球上のあらゆる文化の知恵の守護者たちは、星から地球にやって来た自分たちの祖先について同じ話をしています。

 

何百万年も前、5次元スターピープルの小グループが地球に移住しました。地球への最初のスタートラベラーは、プレ・アダマイトとして知られています。彼らは先史時代からレムリア人やアトランティス人として知られる印象的な存在であり、プレアデス星団から、そして最終的にはこと座星系から来た高度な人類型存在です。

 

地球にやってきた最初の人型生物は、地球の元祖テラフォーマーでした。彼らは、エレクトスとネアンデルタール人の祖先である高度なヒューマノイドを導入し、後にアヌンナキによって現代のホモ・サピエンスに進化させました。

 

これらの元の高度なテラフォーマーと世界計画者は、数百万年前にさまざまな時期にさまざまな理由で地球を去り、5 次元に戻りました。

 

 

5次元の人型種族

これらの星の生き物は、高度な知識、スキル、テクノロジーを備えた 5 次元の人型種族です。彼らは肉体の中で何万年も生きることができます。DNA のテロメアは決して分解されないため、体細胞は永遠にコピーして複製することができます。彼らは、自分自身の幹細胞と融合した生命のワインを飲み、白い単原子金の粉末ケーキである生命のパンを食べることによって長寿を達成します。

 

一部の宇宙人は人類の遺伝子操作を助けましたが、アヌンナキはその後、12本のDNA鎖のうち10本を切断して人類の遺伝学を破壊し、人類を奴隷にしました。

 

切断された鎖は、主流の科学者によってジャンク DNA と表現されています。つまり、事実上、私たちは能力のほぼすべて、少なくとも大部分を失い、より多くの奴隷を生み出すように遺伝子的に再調整され、残りの2本のDNA鎖上でのみ機能し、存在することになったのです。

 

私たちの 12 本の DNA 鎖がすべて最終的に復元されると、私たちは本当に驚くべき能力を手に入れることができます。私たちは再び、本来の神の設計に従って私たちの脳を100%使用できるようになります。

 

対照的に、現在、大多数の人は自分の脳の 12 パーセントしかアクセスして使用することができません。

 

確かに、宇宙人は私たちの創造力と適応能力を備えた DNA を欲しがります。彼らは、私たち全員が持っている神の火花を羨望しており、それが私たちの霊を不滅にします。聖書にあるように、私たちは創造主である神に似せて造られています。イエスが奇跡を行ったとき、イエスは「あなたたちにもこれらのことができる」と言い、アヌンナキが私たちの12本のDNA鎖のうち10本を切断して私たちを奴隷にする前に、人類がこれらのことを行うことができることを示唆しました。https://cinemaphile.com/watch?v=qpcfZzx8xY0

 

これが、陰謀団が私たちの超能力を破壊するために、私たちの飲料水にフッ化物を入れて脳の松果体を石灰化させた理由です。私たちは「信念体系」を押し付けられ、嘘をついて生きてきました。

 

私たちが自分たちの遺産についての真実を知るとき、私たちは「知識システム」に移行し、今後の啓示によって動き始めます。

 

知識や科学を無視した次元間魔法

答えるべきもう一つの質問は、さまざまなスポッター専門家によって何度も観察されているように、地球外生命体、そして同様に物理的な宇宙船はどのようにして形状を変えることができるのでしょうか? これらの地球外生命体は、明らかに私たちの現在の知識と科学を無視する次元間の魔法を使用しているようです。それらは、異なる波長のラジオ局のように、私たちの目には検出できない平行次元に隠れる次元間ポータルを使用して、私たちの目の前から消える可能性があります。

 

私たちの惑星がフォトンベルトを通過すると、12本のDNA鎖の再活性化が可能になります。

質問: 何が期待できますか?また、それはどのように機能しますか?

これらの追加の 10 本の鎖には、自然な霊的状態の間に多次元意識の能力を仲介するという、より高い目的があると言われています。本質的にエーテル的な第二のニューラルネットワークの発達につながる、多次元意識と超心理的能力を目覚めさせる能力。

この 2 番目のニューラル ネットワークにより、私たちは同時に複数の次元で生活できるようになります。私たちはこれらの次元で聞いたり、見たり、他の人とコミュニケーションしたりすることができます。10本のDNAの非活性化鎖は、ワンネスからの孤立感を引き起こし、低い意識レベル、つまり低エネルギー振動に留まります。

 

DNA の再活性化には 9 つの連続したレベルが含まれており、それぞれのレベルで感情の浄化と精神的な成長が必要です。活性化とは、以前は活性化されていなかった 44 個の DNA コードを活性化することを意味します。DNAを徐々に活性化するプロセスは、エーテルレベル、人間の発光体の領域、特にクラウンチャクラで起こります。

 

DNA はホログラフィックであるため、生涯にわたっても変更、接続、活性化することができます。

 

12 本の DNA 鎖の再活性化は 3 つのステップで行われます。

 

  1. クラウンチャクラの活性化。これをクラウンチャクラのかゆみや圧迫感として感じるでしょう。頭皮のかゆみとは違います。
  2. ソース、ハイヤーセルフとのつながりが活性化されます。
  3. 松果体を活性化します。松果体は普遍的な翻訳者であり、周波数の思考形成として法則を普遍言語で受け取り、送信します。

 

人の DNA の活性化の進行は、オーラの写真や、停滞した感情やその他の破壊的なエネルギーが消失した霊体の状態によって確認できます。

 

DNA の活性化は、動物を含む地球全体が経験している自発的なプロセスであると予測されています。

 

私たちの太陽系全体と天の川銀河は現在、宇宙の高度に帯電した部分に入っています。私たちは、強い光が続くフォトンベルト(メンセル放射)の中にいます。私たちは 1990 年代後半にこの地に入りましたが、今後 2,000 年間はここに留まるでしょう。この注目すべき時期に、フォトン ベルトのエネルギーが地球上の生命の完全な変革を開始しています。

 

光子光エネルギーは、地球上のすべての生命をより高い周波数の次元に引き上げる能力を持っています。私たちの体の構造は、これらの上昇する周波数に合わせてゆっくりと再調整されています。

 

私たちは現在、炭素の原子周波数とスピンに対応する三次元の体から、ライトボディと呼ばれる五次元以上の結晶体に移行しつつあります。結晶の原子周波数とスピンに対応するもの。

 

動物、植物、地球上および地球上のあらゆるものの体、さらには銀河系全体も同じプロセスを経ています。

 

ライトボディを再構築するプロセスが続くにつれて、私たちは自分たちがより意識的で多次元化しつつあることにゆっくりと気づき始めるでしょう。最終的に 12 本の DNA 鎖がすべて完全に活性化されると、私たちは多次元性を常に意識しながら人生を経験することになります。

 

この意識レベルでは、私たちは高次元の領域の存在とのつながりや関係を維持しながら、三次元で生きることができるでしょう。私たちは今日のように他の次元から切り離されることはなくなり、慈悲と無条件の愛の状態で活動することになります。

 

現在、ほとんどの人は、絡み合った二重らせんで表される 2 本の活性な DNA 鎖を持っています。一部の個体はすでに 3 本以上の余分な DNA 鎖を開発して統合しており、多くの新生児 (クリスタル チルドレン) は出生時からすでに多くの DNA 鎖が活性化されています。

 

12 本の DNA 鎖はそれぞれ、多次元意識の 12 の側面の 1 つを表しています。

 

3 本の DNA 鎖は肉体を表し、支配しており、別の 3 本は感情体を扱い、さらに 3 本は精神体を、残りの 3 本は霊体を扱います。

これらすべての側面は私たちの体に表れており、独自のエネルギーと神経経路を持っています。それらは体の内分泌系によって接続され、栄養を与えられます。これらの腺は、私たちの体のエネルギーセンター(チャクラ)と連携して機能します。

 

すべての神経経路がチャクラ システムと効果的に連携すると、高次の領域へのアクセスが提供され、多次元意識の知識が得られます。

 

私たちの DNA – アップグレード

臨死体験をした人の多くは、3本、4本、さらには5本ものDNAを持って戻ってきます。オーストラリアでは、死後1時間45分が経過した男性が遺体安置所で目覚め、検査したところ6本のDNA鎖が見つかった。

 

闇の彼らが私たちに教えてくれたことは何も真実ではなく、私たちが本当の人間であることについては何も教えてくれませんでした。肉体は魂のホログラフィックな痕跡である物理的形態です。魂が受胎時に体と結合すると、ホログラムが作成され、それが私たちそのものです。

 

私たちは本当に邪悪なシステムに囚われている注目に値する霊的存在であり、誰もがそのことに気づき始めています。私たちは今、多くの矛盾を目の当たりにしており、私たちが望んでいないことも目にしています。それは別のことですが、私たちは本当に望んでいることに取り組まなければなりません、それが今の私たちの本当の仕事なのです。

 

  • 新しい世界秩序を望まないなら、
  • 医療マフィアを望まないなら、
  • 世界政府を望まないなら、
  • それを望まないなら

 

次に、自分が何を望むかを決める必要があり、それに集中し始めなければなりません。なぜなら、あなたはほんとうに、あなたは強力なクリエイターだからです。

 

私たちは次元を創造することはできませんが、現実を創造することはできます。必要なものは何でも作成できることを知っておく必要があります。私たちは無知によって虐待され、思考を制限する信念体系によって奴隷化されてきました。

 

私たちが今日地球上で使用しているすべてのテクノロジーを取り除いて、文明の心理学だけに焦点を当てた場合、ほとんどの場合、私たちは中世のレベル、私たちがお互いを見る方法、つまり私たちの考え方やお互いの扱い方のレベルで立ち往生しています。 

 

私たちは、人類を管理し操作する政府機構やその他の種類の機構によって統治されています。これらすべては、私たちを抑圧し、抑圧し、分断し続けるために、意図的に、意図的に行われています。

 

したがって、シューマン共鳴を追跡している人は、10,000 年間は 7.85 MHz でしたが、現在では新しい標準が 23 ~ 28 MHz であり、ピークが 200 MHz を超えることも珍しくないことをご存知でしょう。一方、40 MHz は 5次元のエントリー標準です。

 

そして、そのピークが発生するたびに、アンテナとして機能する私たちの DNA は拡大し始め、その後再び収縮しますが、そのピークに達するたびに、私たちは自分の中にさらに多くの光を保持することを学びます。そして、私たちが保持できる光と周波数が多ければ多いほど、私たちのDNAにかかる圧力は大きくなり、それも拡大します。

 

ですから皆さん、気づいているかどうかに関係なく、たとえ信じていなくても、地球がアセンションしているので、あなたの体もアセンションしています。地球は拡大し、開いており、崩壊することなく、より多くの人々を支えるために成長しています。地球は私たちで終わりではありません、私たちは地球の敵ではありません、私たちはウイルスではありません、ウイルスは地球にとって寄生するエイリアンです。

 

注: 今日、多くの健康な新生児は、もう 1 つのよく知られた秘密である 5 次元の世界への準備をすでに整えています。

 

出典: https://celostnivzdelavani.cz/dalsim-nejvice-strezenym-tajemstvim-je-to-ze-mnoho-deti-se-dnes-uz-rodi-s-tretim-vlaknem-dna

 

いよいよ新時代が始まります!政府が時代遅れであることは明らかです。抑圧も貢献も何もしない、謎めいて破綻した現在の制度を続けるのは無意味である。Telegram サイトで毎日新しい開発に関する最新情報を入手してください。

https://t.me/thefinalwakeupcallchannel

多くの人は「いつ?」と尋ねるでしょう。農民、トラック運転手、国民、タクシー運転手、その他現在活動している人々の抗議行動が世界中で継続的に現れ続ければ、この3月末には突破口が訪れるだろう。

https://finalwakeupcall.info/en/2024/02/23/severing-10-out-of-12-strands-of-dna-crippled-our-abilities/


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【歴史】グレートタルタリー1

2024-03-24 19:31:37 | 歴史

グレートタルタリー1

 

 

歴史から抹消された世界最大の文明

大タルタリーは高度な技術と知識を備えた先進国でした。宝石、金、銀などの天然資源が豊富にあり、主に鉱業に使用される紙幣、絹、紙、火薬などの工業生産も確立されていました。

 

その発展により、この力は世界の他の国々の手が届かないものになりました。たとえば、マルコ・ポーロは、商人が金や銀のディルハムを紙幣に交換する両替所について説明しています。彼らは 13 世紀にはすでに紙を使用していました。

 

大タルタリアの破壊は、自然災害と魔法技術による大惨事と、核兵器や熱核兵器に類似した高エネルギー兵器の使用によって始まりました。

 

今日では大タルタリアとして知られる高度な文明。1世紀も経たないうちに歴史の本から姿を消しました。その名残は今でもあちこちで見ることができます。この文明は今日よりも進んだ技術を習得していました。

 

そのジオポリマー コンクリートは永遠であり、時間の経過とともに強度が増しました。ドームと金属の針がその上にある巨大な鉄とガラスの構造物は、あらゆる大陸で見つかりました。

 

水銀と組み合わせることで、彼らはすべての人に無料の大気エネルギーを分配しました。彼らの塔と駅は現在も使用されています。残念ながら、エーテルからのフリー エネルギーの技術は破壊されて「投獄」され、エネルギーを分配して莫大な利益を上げるためのケーブルやワイヤーなどの古い技術が再導入されました。

 

18世紀から19世紀にかけて何百もの戦闘、革命、戦争が行われ、最終的には世界中で大タルタルの遺産を破壊し略奪することを目的として、アングロサクソンの支配下にある西ヨーロッパ人によって組織されました。

 

その後、この帝国は意図的かつ慎重に新しい地図、文書情報源、さらには人類の記憶から消去されました。その代わりに、専制的で偏狭なモンゴル人、つまり黄金の大群について無数の神話が作られました。

 

しかし、何事にも時があり、タルタリアの破滅と忘却の時はすでに終わり、まったく新しい形での見事な復活の時が来ています。私たちはこの偉大なルネッサンスの一員になれることを光栄に思います。

 

これらの大災害のうちの少なくとも 1 つは地球規模のものであり、その後の数世紀の間に、次のような小規模な「大災害」が多数発生しました。戦争、多数の深刻な「原因不明の火災」、謎の伝染病など。

 

気候操作

ツングースカの爆発は、これらの出来事の反響の一つです。原爆の1000倍という謎の爆発。当時、極の移動が起こり、かつてロシアと北アメリカで亜熱帯気候があったタルタリアの土地に、即時凍結と氷地殻と永久凍土の形成を伴う強い津波が発生しました。ブリタニカ百科事典によると、17世紀にはシベリアがヨーロッパへのパイナップルの最大の供給国でした。

 

したがって、現代の気候温暖化は、17 世紀と 18 世紀に外部からの干渉によって破壊された地球上の正常な温度体制の回復にほかなりません。気候変動に関するデマは陰謀団に触発されたものです!

 

この秘密の大災害の痕跡は世界中で見ることができます。数百年前に起こった気候変動によれば、北からの永久凍土の後退速度から地球の融解時期を計算することができます。科学者らによると、2050年までにロシア領土に残るのは現在の永久凍土地域の15~18%だけになるという。

 

しかし、17 世紀のタタール人のほとんどは、災害が始まるずっと前に、なんとか時間内に避難することができました。大カーンの宮廷の魔術師たちは地元のパンを無料で食べたわけではありません。多くの小集団が山頂や洞窟に避難することで奇跡的に破壊を免れました。彼らは、ヤクート、コリマ、チュクチの先住民白人であるユカギール族の創設者となりました。

 

残りは南、西、そしてヨーロッパに突入した。大タタール帝国は 1812 年まで続き、1811 年のタタールスタンの地図が存在する。その結果、「1812 年の愛国戦争」は他のナポレオン戦争と同様、目的を絞った軍事作戦にすぎないと信じる重大な理由がある。気候操作による標的型攻撃によってタタールスタンを破壊したことに対して。

 

無限のエネルギーを再発見

1890 年代後半までに、ニコラ テスラは、エーテルに接続し、いつでも、どこでも、誰にでも無制限の電力を供給するテクノロジーを「再発見」しました。自然の遍在する磁気エネルギーにアクセスするだけで、無料でボート、車、飛行機で旅行することができますが、私たちの強欲と支配による資本主義システムのせいで、今日に至るまで、私たちはこの無料エネルギーをすべての人に享受することを「許可」されていません。権力者たち。

 

フリーエネルギーははるか昔に地球上に存在しました

つまり、10000年以上前から、私たちはすべての人に優しいフリーエネルギーのシステムを拒否されてきました。

 

ウィキペディアによると、発電所は紀元前 876 年にはエジプトのカイロに建設されました。元の形ではエジプト最大かつ最古のものです。タルタリアの大小すべての発電所には、今日「サイマティック」として知られる、音波を通じて人々を調和させ、癒すためのパイプオルガンが設置されていました。

 

私たちが世界中で目にする教会や大聖堂はどれも似たようなデザインパターンを持っており、神聖な音響幾何学で設計されており、振動、音色、共鳴を最大化して癒し、より高い意識をダウンロードするのに役立ちます。タタール人の大粛清後、ロマノフ家が率いる修道会はこれらの驚くべき建造物を長老派、カトリック、聖公会、モルモン教のシナゴーグ、モスク寺院などに再建しました。

 

ロシアの学者アナトリー・フォメンコは、現代の文字の歴史は西暦1200年のワン・ワールド・タタールまでしか遡れないことを証明しています。

 

バチカン、ロンドン市、ワシントンDCが設立した三国間新世界秩序(NWO)を創設したバカども 米国は、米国法典3002第15条により連邦法人として定義されている。

 

バージニア州に本拠を置くこの会社は、存在しない独立戦争中に、イングランドのグランド・ロッジに仕えていたフリーメーソンの建国の父たちによって米国に変身しました。

 

バージニア会社は、英国王室が北米開拓地のためにロンドン市会社から発行したものです。1213年、ジョン王は金勅令のもとイングランド王国をローマ教皇庁に降伏させた。1215年、教皇の直接の権限の下、ジョン王はマグナ・カルタ(ラテン語で大憲章の意)を発行し、これによりシティ・オブ・ロンドン・コーポレーションと呼ばれる1マイル四方の街区がイングランドとロンドンの主権団体として設立された。

 

ローマ法王庁は公式文書にラテン語を使用し、バチカンは公用語としてラテン語を使用しています。Novus Ordo Seclorum はラテン語で「時代の新秩序」と訳され、アメリカ合衆国の国璽とアメリカ合衆国の 1 ドル紙幣に描かれています。ワシントン DC はバージニア州とメリーランド州の両方にあります。ここは聖母マリアの国です。

 

カトリック百科事典によると、DC はもともと 1669 年にローマと名付けられました。DC はローマ建築のことであり、キャピトル ヒルはローマのカピトリーノの丘にちなんで名付けられました。古代ローマのファセスのシンボルは、連邦の建物や連邦の紋章に見られます。連邦政府はファシスト帝国であったローマ共和国に基づいています。ローマのファスケスは「ファシスト」という言葉の由来です。

 

旧世界秩序は慈悲深いタルタル人でした。彼らの唯一の主要な指示の 1 つは、

 

「自然から得たものは、より多くを返します。

 

彼らの性質/育成は、万物を創造し供給した月の女神イシスに基づいていました。世界中で見られる非常に類似した構造から、それらはすべて共通の言語で生きており、すべてが共通の思考、意図、設計でつながっていると結論付けることしかできません。

 

彼らには動物のための治癒センターもありました。彼らはすべてに愛と慈悲を放射するように意識を進化させてきたため、すべての生命と受動的関係を持っていました。彼らの旗はグリフィンで、それは本物の動物でした。

 

グリフィンは人間、ワシ、ライオン、そして両性具有の雄牛です。彼らの地図や伝説によると、ケンタウロス、空飛ぶカメ、ユニコーンもいたとされています。

 

NWOがタタール技術の使い方を学び、それを使って文化全体を破壊し、現代の歴史書から彼らの存在を消し去ったとき、タタール人全体が滅ぼされたとしか考えられません。

 

治癒技術がそれらを破壊するために使用されたとき、何十億もの歯石が「除去」されました。

 

私たちは、都市や巨大な亡命施設の下に何百万もの骨が埋葬されているのを発見しました。彼らはおそらく大人のタタール人を子供たちから引き離した後、そこに監禁したのでしょう。彼らは奴隷労働として売られ、敷地内に火葬場と大きな墓地を備えた「捨て子列車」で輸送された。

 

つまり、かつて偉大だったタタール人には共通言語があったのです。

 

今日展開している新世界秩序は、おそらくルシファーとサタンの霊的な心と体の支配下で、タタール人を大量虐殺したのでしょう。これらのマインドコントロールされたNWOの一部は、彼らの血液が非RH陰性血統の人間よりも銅含有量が高いため、「ブルーブラッド」と呼ばれています。

 

タルタリアと同じ色のエーテルからエネルギーを取り出す構造物は全て破壊された。タルタリアは全世界でした。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカ大陸はすべて単一の高度文明の一部であり、重要な磁気エネルギーの抽出に焦点を当てた建築がありました。

 

当時、大タルタリアは歴史的にオスマン帝国、ビザンチン帝国、ロス帝国などの文明カテゴリーに分類されていませんでした。これらの変更はその後、モスクワの大クレムリン宮殿の玉座の間、英国国立公文書館、ワシントンの米国議会図書館などの場所に「アーカイブ」された。

 

明確に言うと、

タルタリアは言語と建築デザインが統一された世界だった。

 

タタール人がすべて何らかの形でつながっていなかったら、世界中で見つかった多くのピラミッドが同じ構造やデザインを持つことができたでしょうか?

出典: https://celostnivzdelavani.cz/velka-tartarie-1-dil

 

歴史の捏造

地理的および民族的名前の場合、歴史改竄者にとって偽造はおそらく最も効果的な方法であることが証明されています。現代の歴史家が歴史を科学として誠実に信じ、自分たちが生まれる数世代前に公式になった定説に疑問を持たなかったことを責められることはできません。

 

彼らは利用可能なものを利用して働き、彼らの妄想は彼らのせいというよりむしろ彼らの不幸です。自分たちが自然界に存在しないものの研究に一生を費やしてきたこと、そして自分たちの論文や本がゴミ箱に捨てられるだけだということにようやく気づいたとき、彼らにとってはほろ苦い思いになるだろうか。

 

理解しやすく論理的な歴史をある種の混乱と乱暴な憶測の空間に変え、疑似科学を疑似宗教と歪曲して比較し、さらなる不明瞭さを生み出す、有害で人造の根深い神話を暴露しなければなりません。

 

モンゴル人といえば「タタール・モンゴル人」。この場合、歴史家の誤りや妄想の可能性があるという考えの存在は認められません。これは、国民を完全に操作することを目的とした誤った基本的な歴史的「枠組み」を永続的かつ長期的に推進することを目的とした、明白で妥協のない悪意のある意図です。

 

この種の情報は歴史の真実を復元するあらゆる試みを妨害し、陰謀団の目的を頑固に守る人々によって犯罪とみなされる。これは「フリップフロップ法」と呼ばれるもので、嘘は本当の事実であると宣言され、その正当性に対する疑念は陰謀論であり敵対的な「歴史を書き換える試み」であると宣言されます。

 

アジェンダの目的のために私たち国民がどのように誤解されているか考えてみましょう。

 

今後の続報をお楽しみに!

https://finalwakeupcall.info/en/2024/03/12/great-tartary/


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【歴史】グレートタルタリー2

2024-03-24 19:27:46 | 歴史

グレートタルタリー 2

 

 

はじめに、残念なことに、歴史は勝者によって書かれますが、同じことが 大タルタリーの歴史でも起こりました。それは、人類の歴史の中で最も完璧な社会構造の一つであり、その破壊に参加した人々の喉に刺さった骨となった。

権力を握った後、彼らは人々にかつての暮らしを思い出させるあらゆるものを破壊し始めました。人々の生活についての真実を明らかにしたすべての文書は、君主制搾取者階級が権力を握る前に容赦なく破棄された。

 

これらの事実は、タルタリーに関する真実を広めることに興味のない人々が自発的に情報公開に同意し、資本主義社会が最も完璧であるという主張の真実性に大衆が疑問を持ち始めることを可能にするという意味ではありません。

 

寄生国家は国民が満足、快適、自由に暮らすことに真の関心を持たないという真実を大衆が学び次第、寄生体制は必然的に終焉を迎えるだろう。

 

本当の歴史は忘れ去られているにもかかわらず、誰もその過去を破壊することはできませんでした。

 

ロシアの図書館を詳しく調べたところ、大タルタリアの本当の歴史を証言する信じられないほどの量の文書資料が発見されました。18 世紀か 19 世紀の版を手に取り、用語を整理してみましょう。隠されていたすべてがベールを失ったかのように見え、目が開かれ、私たちはついにかつてあったものの本当の意味を発見します。

 

現実には、信じられないほどの量の文書が西側諸国の博物館、図書館、個人コレクションに保存されており、これらによって徐々に歴史上の出来事だけでなく、この国の生活の詳細も詳細に再構成することが可能になり、助けになるでしょう。この巨大な国家に団結した人々や部族に共通した習慣、生活、技術を評価するためです。

 

異なる部族の平等な共存

歴史は変化し、変異し、時には強くなり、時には 弱くなりますが、現代の歴史家が私たちに提示するものとは程遠いローマ帝国や中国帝国とは異なり、真に不滅です。

 

大韃靼に関する限り、真実は信じられないほどの量の文書が西側諸国の博物館、図書館、個人コレクションに保存されており、それらによって徐々に歴史上の出来事の一部だけでなく、細部まで詳細に再構築することが可能になるでしょう。この国の生活から得た情報を収集し、この巨大な国家に団結した人々や部族の間で共通していた習慣、生活、技術を評価するのに役立ちます。

 

過去200年間ロシアを統治してきた嫌ロシア派が熱心かつ執拗にロシアの歴史から消し去ったタルタリアに関する真実は、私たちの祖先が選んだ異なる部族や氏族の平等な共存の道が最終的かつ取り返しのつかない形で証明されることになるだろう。単一の組織の天蓋の下では、それは正しく、公正で、実行可能でした。

 

これは、ロシアが依然として存在し、経済的にも軍事的にも非常に強力であるという事実によって証明されています。タルタリアに関する真実がここ 20 年間で明らかになったという事実も、これまで知られていなかった膨大な数の文書をデジタル化し、広く一般に公開することを可能にした情報技術の発展によるものです。

 

ロシアの図書館を詳しく調べたところ、大タルタリアの本当の歴史を証言する信じられないほどの量の文書が発見されました。18 世紀か 19 世紀の版を手に取り、用語を整理してみましょう。隠されていたすべてがベールを失ったかのように見え、目が開かれ、私たちはついにかつてあったものの本当の意味を発見します。

 

いわゆるインド・ヨーロッパ語族のすべてに共通の基礎があると言う人は驚かないでしょう。しかし、「科学」が独断的な仮説を強く主張していた時代があり、それによると、アジア、北方、ヨーロッパの言語は別々に発生し、互いに独立して発展したと考えられていました。

フィン・ウゴル語、スラブ語、ロマンス語、アングロサクソン語という独立した言語グループがあったと理論化されています。しかし、わずか数十年が経ち、非道とみなされたものがすでに教科書に掲載され、科学はヨーロッパ、ほとんどのアジア、インド、アラビアのすべての言語と方言に共通の基盤を認識することを余儀なくされました。そして、そのような言語は、おそらく最後の話者の一人であるチンギス・ハーンによって話された言語であると考えられます。

彼の治世中、そこでコミュニケーションをとることができる人はほとんどいなかったので、彼はムガールと呼ばれていました。しかし、多くの古代資料を研究した後、多くの人は、スラブ語グループのすべての言語が、偉大なムガル人によって話し書きされた言語であるムガール語に最も近いという結論に達しました。

それは、今では「死んだ」サンスクリット語の形でほとんど歪みなく保存されていました。したがって、サンスクリット語を学んだインド人は、ロシア語を話す環境に非常に快適に感じます。簡単なロシア語の単語の多くは翻訳する必要がありません。

彼らは、女性、羊、小屋、嫁、臼、お金などが何であるかを知っています。さらに、ネイティブロシア語であると考えられていた膨大な数の単語が、そのままモーグル語に存在していました。

今日、タタール人の名前の多くはヨーロッパ起源であると考えられています。たとえば、グナルのようなラトビアの一般的な名前は、タタール人の間で非常に一般的でした。そして、「チュク」や「エンコ」などの元々ウクライナの姓の語尾は、実際の歴史上の人物、キャラバンの宿屋、大タルタリヤの総督の名前の最も一般的な語尾でした。もちろん、同様の例は他にもたくさんあります。

 

真実はもう隠すことはできない

大韃靼は過去に存在した時からすでに現代ロシアにとって非常に強力で揺るぎない基盤を築いており、本当の歴史が忘れ去られているにもかかわらず、誰もその過去を破壊することができなかった。国の名前と政府の形態は意のままに変わるかもしれませんが、その基盤は破壊されないままです。

タルタリアの真実は、私たちの祖先が単一の組織の天蓋の下で選択した、さまざまな部族や氏族が平等に共存する道が正しく、公正で、実行可能であったことを、最終的かつ取り返しのつかない形で証明することができるでしょう。

 

人々が教育を受けず、病気で、雇用主を富ませるために奴隷労働をすることは、エリートにとって有利である。世界を支配する人々は、自由な市民による公正な社会の存在はユートピアではなく自然な事実であるという考えを抑圧しています。

 

ここで公表された真実が人々に受け入れられると、彼らは決定的に権力を失い、自由な人々に寄生して労働を搾取する能力を永久に失うことになる。

 

だからこそ、エリートたちは、人々に、主人や将軍や司祭がいなくても自由になることは可能だということを忘れさせるために、できる限りのことをしようと懸命に努力するのである。

 

権力を握った後、彼らは人々にかつての暮らしを思い出させるあらゆるものを破壊し始めました。人々の生活についての真実を明らかにしたすべての文書は、君主制搾取者階級が権力を握る前に容赦なく破棄された。

 

真実はもはや隠すことはできず、残忍な法律の強姦とローンの利子請求によって依然として世界を支配している人々が、大韃靼に関する真実の漏洩と戦う唯一の手段を持っています。それは信用を 傷つけることです。真実の情報 と真実を人々に伝えようとするすべての人々。彼らは情報が広がらないように努め、彼らを嘲笑します。残念なことに、このテクニックは、深い情報催眠術にかかり、呆然とし、メディアに夢中になっている人間の羊に対しては効果的であることが多い。

 

大韃靼の批判者たちが言うように、今日のロシアの領土には何も存在しなかった。しかし、この国には古代ギリシャ人、ローマ人、シュメール人、ペルシア人の文明があったはずです。しかし、そんなことは何も起こりませんでした!

 

それどころか、1世紀にロシア人がトロイア皇帝の軍団をどのように破ったかについて信頼できる情報があります。コンスタンティノープルはロシアの付属国であったことが知られています。

 

スキタイ王アリアントがペルシア王キュロスの軍隊をどのように破ったかも知られています。ダレイオスさえも敗北し、ローマはアッティラ王子を讃えた。本当の歴史的背景を理解することで、ロシアの永続的な侵略という神話が打ち砕かれます。結局のところ、偉大で豊かなタルタリアに比べれば、ヨーロッパは小さな小人でした。

 

ロシアの資源を獲得する

ロシア人がヨーロッパにたどり着いた理由は毎回ただ一つ、 それは、彼らを支配しようとしてロシアの土地を破壊しようとしていた敵を、彼の隠れ家で仕留めなければならなかったときだった。

 

ヨーロッパは、ロシアが持つ膨大な自然の富をロシアから奪うことを常に夢見てきた。そしてこれは、今起こったすべての歴史的出来事によって完全に確認されています。それはいつもそうであり、今日もそうです。

 

西側諸国は依然としてロシアの資源を獲得することを夢見ている。もう一つの隠された事実は、中国は 18 世紀初頭には独立国家ではなかったということです。シベリアや他のアジア地域と同様に、タルタリヤの一部でした。

 

オビ川の河口に、ロシア人はその昔、オビという大都市を建設しましたが、現在は廃墟となり断片化しています。当時のシベリア王国の名前は、シベリア川と、同じく破壊されたシベリアの都市に由来しています。これは、有名なオビ川近くの、その名前で地図化されたエリアです。また、その他の多くの地域も含まれており、その大部分はロシア国外の北部と東部にあり、さまざまな王室の統治下にあります。

 

したがって、オビとカスピ海以東のすべての土地はヨーロッパではタルタリアの名前で知られています。

 

何度か、シベリアからパミール高原、ヒンドゥークシュ山脈に至るトルキスタン全土が鬱蒼とした森林で覆われていることが、執拗な示唆によって裏付けられた。これらの森には、通りすがりの商人からキャラバンを奪う強盗が隠れていました。森には野生の鳥獣がたくさんいたため、裕福な貴族やカーンも森で狩りをするのが好きでした。

 

しかし、カラクム地域には木がほとんどなく、耕されていない土地がたくさんあり、土地を耕してパンを焼いて保存するよりも、地面から掘り出した甘い根を食べることを好む部族がいたという記述がありました。動物。

 

最も荒れた森はヴォルガ川の下流にありました。それは今日のカルムイク草原の場所でした。ここの輝く森は特に野生動物が豊富でした。生き残った情報によると、ジンギスカン自身もそこで狩りをするのが好きだったそうです。

 

土地はひとつだった。ヨーロッパでは、それは大タルタリーと呼ばれていました。なぜロシアではないのでしょうか?ただ、当時のロシア人の土地は、ロシア人がタタール人と呼んだ人々の土地よりも面積がはるかに小さかったのです。チュド、ヴォッド、クリヴィチ、タラフ、ヴャティチ、スロベニア人などがロシア人の部族に加わったとき、彼らは最も強力なロシア人となった。ロシアの支配者たちはタタール人から税金を徴収し始め、タタール人のほとんどはロシアの一部となった。

 

気づかないうちに、私たちは今でも大韃靼文化の遺産を日常生活の中で利用しています。たとえば、家に入るときに上履きを脱ぐ習慣。

 

西洋文明の代表者らは、(アパートの玄関先で)家着に着替えるロシア人のこの習慣を野蛮であり「未開」を示すものだと考えている。しかし、私たちにとってこの状況は逆に捉えられています。

 

野蛮とは、きれいな家に入るのに、路上にある土をすべて集めた靴を脱がないことです。アウトドアシューズで家の中を歩き回るのは、食事の前に手を洗わない、寝る前に足を洗わない、1日2回歯を磨かないのと同じです。

 

靴を履き替えるこの習慣は、大韃靼時代からロシアで守られてきました。マルコ・ポーロは、フビライ・ハーンの宮殿を訪れた回想録の中で、宮殿に入るとき、訪問者は全員靴を脱ぎ、持参した白い柔らかい革のスリッパを履いたと述べています。

 

胸に笛を吹いた警備員のような忘れられた現象も覚えておく価値があります。この現象がロシアのどこから来たのか知っていますか? 大カーンの誰がこの法令を発令したかを判断することはもはや不可能です。しかし、すべての村や町で、誰かが強盗をする誘惑に遭わないように、責任者が夜道を歩き回り、笛を吹いたり、木槌を叩いたりしなければならなかったということは、絶対に信頼できる事実である。

また、人気のタルタルソースは、かつてタルタルからヨーロッパに持ち込まれたことからその名前が付けられました。旅行者がロシアから流行を持ち込むまでは、サラダさえヨーロッパでは一般に知られていなかった。

 

アジアの文化においてのみ、食べ物を刻んでスープやサラダに混ぜるという伝統がありました。現代ヨーロッパ料理で非常に有名なパイやケーキも、タルタリアン料理に由来しています。ロシアではケーキが単一のレシピに従って作られていたのは事実です。高く積まれたパンケーキの間には蜂蜜がたっぷりと塗られており、この甘い料理は、粘性のある甘い含浸剤で接着された何層ものパンケーキからなる、垂直にスライスされたピースの形でテーブルに提供されました。

 

しかし、ヨーロッパでは常に非常に高価で希少だった蜂蜜は、その後他のお菓子に取って代わられました。最初は調理されたリンゴ、プラム、梨でしたが、それらはジャムのような粘稠度を持っていました。

 

続きます、お楽しみに

 

 

 

 

https://finalwakeupcall.info/en/2024/03/22/great-tartary-continuation-2/


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【歴史】 英軍兵士たちに知らせずに原爆の人体への影響を実験した

2024-03-11 22:45:56 | 歴史

 

♫世界中の原爆実験は悲惨さを物語っています。

日本のヒロシマ長崎の原爆も、実は日本製で地上爆破でした。特許取得者の公表をぜひトランプ大統領にしていただきたいですね。原爆実験の特許者はその後の原子力発電の特許者にもなるようです。莫大なお金が入って来ているでしょう。


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長崎平和公園の平和の像についてのバフォメット疑惑

2023-11-22 20:06:03 | 歴史

 


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【地球の歴史】アトランティスの崩壊 パート 2 (かつて地球に存在した光の国)

2023-11-13 10:28:03 | 歴史

 

アトランティスの崩壊 パート 2

重要な質問; アトランティスの崩壊は、少なくとも私たちの多くにとって目を見張るものとなるはずですが、残念ながらまだそうなっていません。私たちは今、遠い祖先が今日の私たちの何千倍も高度で教育を受けていたことを理解できないほど、遺伝的に遅れているのでしょうか?

 

  • アーリア島とその工業団地
  • 一なるものの法則とベリアルの息子たち
  • 植民地戦争
  • 大西洋統一会議
  • 和を願う会
  • 誘惑と裏切り

 

≪アーリアン島と工業団地≫

アーリア島は大西洋諸島の中で最大で、最も人口密度が高い島でした。アーリア人は商業の中心地であり、経済、農業、軍事の観点から最も大きな影響力を持っていました。「第二の大洪水」の後、アーリア人は大きな被害を受けた。この混沌とし​​た段階でインフラを再構築する必要がありました。

 

この過程において、州はエリートで繁栄した「白人」人種によって管理され、島国の経済、軍事力、政府を掌握したが、先住民の大部分は青銅人または赤人人種であった。

 

アーリア人からは、「一なるものの法則」を解体し、大西洋の技術を悪用して世界を支配し、結晶エネルギーを兵器に利用し、遺伝子科学を利用して労働者や労働者として働く劣等人種を開発し保存しようとする腐敗した権力に飢えた貴族階級が成長した。兵隊。

 

遺伝子工学はアーリア人のメルヴィアに局地化されました。それはもともと、半人半獣の怪物に突然変異した肉体に転生した人々のための高度な物理媒体を開発するための、善意の目的のために使用されていました。遺伝的研究はアーリア人で開発および実行され、付属器官、爪、羽、爬虫類の皮膚、鱗を除去するために使用されました。これは、一種の専門医療センターであるTemple of Purificationで行われました。繰り返しになりますが、アトランティスの以前の黄金時代に強調されていたように、その使用は常に本質的に良性でした。

 

遺伝的進歩は大きく、責任ある倫理的利益に基づいて改善を図るために、クローンの作成や物理的制限の修正について大きな理解が得られました。

 

レコンストラクション期の混乱の中で、遺伝子工学は「ベリアル」(悪魔)グループの支配下に置かれ、その後、貪欲と権力の利益のために腐敗した用途に追いやられました。

 

遺伝子工学は、労働奴隷の種族や人間動物のハイブリッドの創造など、闇の目的に使用されました。ナチスドイツと同様に、それは「純粋な(アーリア人)品種」の発展として大衆に伝えられました。

 

実際、多くの遺伝子科学者は当初、自分たちの研究開発の仕事が何のために行われているのか、実際に辞めるには手遅れになるまで知らされていませんでした。皆さんの中には、この仕事の結果として、今でも大きな罪悪感を感じている人もいます。

 

≪一なるものの法則とベリアル(悪魔)の息子たち≫

遺伝子操作された使用人クラスの使用は、「一なるものの法則」に従うアトラ・ラ神権主導のポセイダ種族と、「ベリアルの息子たち」として知られるアーリア人種族との間に大きな亀裂をもたらした。彼らは産業上の出来事による物質主義的な野望に夢中になり、前の黄金時代にアトランティス大陸を支配していた精神的倫理を見失いました。

 

文字通り、何十万ものハイブリッド突然変異体と怪物が、「マスター」から与えられたロボットのコマンドによって制御された精神で畑を動かすために作られました。その結果、アーリア人の農産業社会は彼らに大きく依存するようになった。

 

魂は、感情的な能力を排除するために、遺伝的ロボトミー手術とセクシュアリティを備えた「物」と「存在」と呼ばれるクローン体に閉じ込められました。怪物のような、または準知性の両性具有の人間の体に閉じ込められた多くの魂は、高度な学習、精神的な成長、感情表現を許さない肉体的な肉体に閉じ込められたという恐ろしい痛みを今でも抱えています。

 

あなたがサスカッチと呼ぶ存在は、アーリア人による重労働のために作られた、遺伝子操作された人間とゴリラの変異体の残骸です。

 

明確にするために; サスクワッチは、体長 2 ~ 4.5 メートルの霊長類で、二本足で直立し、しばしば悪臭を放ち、静かに動き、甲高い叫び声を発するとさまざまに説明されています。見つかった足跡は長さ60センチ、幅20センチにもなる。

 

商業目的の遺伝子操作は、スピリチュアルなアトラ・ラーと「一なるものの法則」のポセイドンによって強く反対されました。「一なるものの法則」は、これを残酷な奴隷制の一形態であり、道徳的に非難すべきものであるとみなしました。アーリア人は上流階級が支配する強力な軍事企業社会に成長する一方で、「一なるものの法則」は育成的で母系的な精神文化として残りました。

 

何千年もの間、これら 2 つのイデオロギーは正反対のままであり、政府機関は微妙な行き詰まりに陥っていました。ポセイドン人は、アーリア人と戦おうとするにはあまりにも文明的で穏やかな性質を持っていたため、習慣を変えるよう教育し、霊的に影響を与えようとしました。アーリア人はポセイドンよりも 3 対 1 で数で勝っていましたが、ポセイダを攻撃する勇気はありませんでした。さもなければ、国家を動かしている結晶エネルギーを無効にするだけでした。

 

≪植民地戦争≫

彼らが伝統的な関係を断ち切り、独自の独立政府を樹立したとき、アーリア軍と、以前は地中海のアトランティスの旧植民地として知られていたアトランティスとの間で戦争が勃発した。

 

植民地、特にギリシャとトルコの植民地は、ユートピアのアトランティスからアーリア人の支配下にある軍事ファシスト国家への変化を目の当たりにし、離脱を試みた。アーリア人が軍事的に優位に立っていたにもかかわらず、地中海諸国は屈せず、どちらの側も他方を支配することができない地域戦争が激化した。

 

アーリア人種内の派閥は、敵を鎮めるためにより多くの「クリスタルエネルギー」を使用しようとしました。しかし、これはアトラ・ラ神権とポセイダの「一なるものの法則」の人々によって決定的に否定されました。

アーリア人はポセイドンの人々を恐怖に陥れる試みを何度か試みましたが、失敗に終わりました。彼らは報復としてクリスタルから供給される電力システムを無効にし、アーリア人を追い払った。アリアン人は食糧供給と工業製品の供給を停止することで対抗した。こうして、かなりの膠着状態が続いた。

 

≪大西洋統一会議≫

「統一計画」を装った壮大なでっち上げで、アーリア人はポセイドンに対し、ますます緊迫する両者の相違を解決し調和させるため、アトランティスで新たな国民会議を結成するよう持ちかけた。

 

一の法則の代表者とベリアルの息子たち(悪魔)の代表者が参加した。議会は両党の同数の代表で正式に成立した。短期間のうちに、より強固な調和を約束する一種の連邦が形成されました。何十年もの間、その国民会議からの変化と改善の約束はよく伝わったようでした。

 

ポセイドンたちは勇気づけられ、彼らの多くは警戒を緩めました。しかし、アトラ・ラ科学者神権は依然としてこれらの動機に警戒しており、欺瞞を疑っていた。

 

当初、国民会議は関係を改善し、団結を約束する多くの小さな表面的な法律が可決されました。しかし、主要な対立点である「遺伝子奴隷制」と「クリスタルエネルギー管理」は未解決のままだった。

 

アーリア人の「ベリアルの息子たち」からは、アトランティスの大衆を誘惑し、アトランティスをかつての黄金時代の名声と豊かさの栄光に戻す答えであると信じ込ませた催眠術のようなカリスマ的指導者が現れた。このグループの指導者は、ヒトラーやヒムラーとして知られる魂たち、まさに第二次世界大戦のナチス至上主義者たちでした。

 

偉大な軍国主義軍団が形成され、政治的説得と権力において優位性を獲得しました。ハイブリッドミュータントは、アーリアンとオグで敵を恐怖させるために使用されましたが、時折、これもポセイダで試みられましたが無駄でした。

 

強力なアーリア人の「ベリアルの息子たち」は操作とメディアの達人でした。彼らは、自分たちの真の意図を覆い隠し、相互の妥協を約束する、よく考えられた議論を考え出しました。このプロパガンダは表面的にはかなり実現可能であるように見え、穏健派やポセイドン「一なるものの法則」陣営の一部を含む多くの人を納得させた。

 

≪調和を願う会≫

解決への絶好のチャンスであるように思えた。これまでアーリア国家が管理していた遺伝子工学を連邦管理下に置き、その代わりにクリスタル・ポーザー・フォース・システムを共同政府機関の管理下に置くという法律がアーリアン・ベリアル・グループによって提案された。全国的な厳しい監視の下で、激しい議論と議論が行われました。この計画を導入するための投票が行われたが、議会では否決された。

 

≪誘惑と裏切り≫

しかし、アーリア人の「ベリアル・グループ」の狡猾な指導者によって影響力のある妥協案が提示され、5人のポセイドンと4人のアリアンからなる評議会が新たな連邦管理庁を率いるという条件で法律の可決が可能となった。結晶エネルギー。一の法則グループが評議会で明確な過半数を獲得したという事実により、この計画はポセイダの人々にとって有望なものに見えました。

 

この法律は、評議会過半数の合意がなければいかなる変更も行うことができないことを認めていたが、ポセイダのアトラ・ラ神官職は部門長の地位を維持するものの、もはや政府の管理から免除されないという警告も含まれていた。

アトララ以外の双方のエンジニアが訓練を受け、複雑なエンジニアリングを教えることができる訓練プログラムが確立されました。当初、アトラ・ラーの消極にもかかわらず、このシステムは機能し、より良い調和をもたらしているように見えました。

 

しかし 2 年以内に、地中海では戦争が再び本格的に勃発し、反乱軍の植民地が有利であるように見えました。国家安全保障を装ってクリスタル光線を戦争目的に使用するという圧力が高まった。

 

政府評議会では議論、討論、投票が予定されていた。操作された愛国心という見当違いの感覚が国を覆い尽くしたため、国家安全保障がもてはやされた。

 

その後、欺瞞が始まりました。ポセイドンたちはショックを受け、残念がりましたが、評議会の「一なるものの法則」のメンバーの一人が立場を変えました。彼はアトラ・ラーにも黄金種族にも属していなかった。彼はカリスマ的な指導者として政治的に台頭し、一なるものの法則に忠誠を誓い、彼らの完全な信頼を勝ち取った信頼できる交渉人でした。彼はアーリア人に狙われ、誘惑され、最終的には彼らの野望の餌食となりました。

 

その余波で、この唯一の魂は大いに後悔し、自分の間違いを正すためにその後の人生を費やしました。彼は明らかに、権力と地位の約束に盲目的に妥協することによって自分の行為がもたらす破滅的な結果を予見していなかった。

 

覚えて; それは今や権力の幻想です。誰かが力を獲得したとき、正しいと思われるものは多くの場合、エゴの幻想である可能性があります。マスタリーへの道を進む誰もが、最終的には力と愛のどちらかを選択しなければなりません。ヒトラーと呼ばれた人でさえ、マスターレースのシナリオは、最終的にすべての魂が転生できる唯一の種族となる全能の物理的具体化により、地球のより良い未来を可能にし、病気を減らし、人種隔離を排除する可能性があると考えていました。たった一つの「マスターレース」。

 

あなたが聖書のたとえ話でユダと呼んでいる人でさえ、イエシュア・ベン・ジョセフ[イエス]を拘留することによって、自分の「神聖な力」を使って自分のマスターを世界に明らかにすることを強制されるだろうと考えていました。実際、矛盾しているのは、あなたが「力」と呼ぶものは、多くの場合「愛」の反対であるということです。

 

エゴと権力がいかに誤解を招くかわかりますか?あなた見えますか?エゴと自己美化は高度に進化した魂さえも誘惑し、必然的に彼らの破滅につながります。

 

そのため、「合法化された」政府の管理を通じて、クリスタル・パワー・コンプレックスとグリッドの使用はアーリア人の「ベリアル(悪魔)の息子たち」の政府管理下に置かれることになりましたが、残念ながらこれを覆すことはできませんでした。

それについて深く考えて、それがどのように起こるかを理解してください。今日のいくつかの事実。

 

  • 無価値な貨幣システムが人々を束縛する
  • 製薬会社は人々を病気にさせ続ける
  • 兵器メーカーは戦争を続けている
  • メディアは真実が公表されないようにする
  • 政府はすべてが合法的に行われることを保証します

 

これを理解すれば、あなたはすべてを理解し、真に目覚めることができます。

 

あなた自身の歴史についてのこの魅力的で目を見張るような記事は今後も続きます。

これに従い続けて、このアトランティス シリーズを可能な限りあらゆる場所に広めてください。

 

 

ニコラ・テスラ: 「それはあなたの振動を新たな高みに引き上げるでしょう」

ニコラ・テスラは、結晶に固有の生命原理の存在について熟考したときに、示唆に富む概念を導入しました。「結晶の中に、生命の形成原理が存在するという明確な証拠があり、結晶の生命を理解することはできませんが、それでも結晶は生き物です。」と彼は言いました。

 

NIKOLA TESLA: "It Will Raise Your Vibration to New Heights"

 

ピーターBマイヤー

https://finalwakeupcall.info/en/2023/11/11/the-fall-of-atlantis-part-2/


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