東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

なかがわ みどり・ムラマツ エリコ,『ベトナムぐるぐる。』,JTB,1998

2010-09-18 22:43:24 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
文庫は角川文庫,2005 (加筆があるようだが未見)

イラストや絵本、キャラクターグッズのデザインを共同でやっている女性2名による旅行記。書き下ろし。著者たちのサイトは

http://rose.ruru.ne.jp/kmp/

1997年暮から98年のテトにかけての長期旅行ながら、前作『エジプトがすきだから。』より旅行期間は短いのだそうだ。

マンガ風イラストと細かい文字と写真を組み合わせたタイプの旅行本で、同じような体裁のものが続々と出版されているが、本書は高品質の部類。最後に著者たちの旅行中の記録やメモが載っているが、本文の脱力&きままなムードとは違ってかなり几帳面に記録をとっている。ちなみに、この頃はデジカメではなくフィルム写真だろうが、写真を撮るのが目的ではない旅ではきれいな写真を残すのはむずかしいことがわかる。光源が弱い写真やぶれた写真が多い。

最後の「あとがきのじかん。」に、〈ベトナムについては他の本がいっぱいでていて、今さらガイドブック的なこと入れる必要もなかったから、思い切り自分たちの旅や、体験したことをかけったかな。〉という発言がある。え?1998年だと、まだまだベトナムに関する本って少なかったような気がするが。
ともかく、ベトナム自体の変化がはやいのと、旅行書のブームの変化がはやいのがあわさって、本書の記載が当時どれほど新鮮でめずらしいのか、もはや把握できないほどである。

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著者たちとほぼ同じ頃に短期の旅行をしたことがあるが、ふむふむそうだそうだと頷く点も、ちょっと違うだろと思う点、両方ある。

たとえば、p28-29 に載っている安宿の写真だが、知らない人がみると、ずいぶんぜいたくなホテルに泊まっているように見えないだろうか。ベトナムは基本的設備や建付けが悪いわりに写真に撮ると豪華にみえる宿がけっこう多いのである。
あるいは、p-100-102 の食べ物の写真。ふつうのスナップ写真では、うまいものもまずいものも、安いものも豪華なものも、ほとんど判別できない。

暑さにかんしては、わたしは雨季にしか旅行したことがないので、暑いと思ったことはない。著者たちはそうとう暑かったようで、午後は宿のクーラーで涼むという行動パターンであったようだが、雨季はクーラーなんてほとんどいらなかった。

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著者たちが旅行した当時から、ボラれる、シクロは怖い、バイクびゅんびゅん、というのがベトナム旅行のイメージだったのだろうか?

わたし自身の感想としては、ボラれる、というのは東南アジアにかぎらずどこにでもある習慣だとおもう。ご近所の人がカフェでコーヒーを一杯飲む値段とよそ者が飲む値段がちがうのはあたりまえなのだ。ご近所でなくても、怖いヤクザもんや、うるさい政府関係者なら、ご近所値段以下あるいはタダでサービスするのではないだろうか。

ヤクザ者でもなく党関係者でも公安でもない旅行者ならボッタくられるのは当然のような気がする。
たんなる旅行者としては、ヤクザ者や公安料金ではなく、多少ボッタくられるのもがまんすべきではないだろうか。普通の人として扱われているのだから。

ボッタクリ以上にすさまじいのが、海外からの観光客向けのツアーである。とくに、日本語ガイド付ツアーになると信じられないような価格である。
ちょっとバイクの運ちゃんにチップをはずんで10USドルぐらいで済むものが、10倍20倍あるいは50倍の値段になっている。
わたしのような旅行者が数日でばらまく金額だって、都市生活の家族が一か月に使う金に相当するだろうに、日本語ガイド付ツアーなんてのは彼らの年収に相当する金額を一日で使うのである。
ふつうのベトナム人にとってこんな観光客は、非現実的な富をかかえてやってくる宝船のようなものだ。

タイやマレーシアなら、むかしから日本以上に市場経済・異文化移入の波をかぶっているが、鎖国のような状態が続いたベトナムでは大金を持った観光客がおしよせるのはほとんどの人にとって初めての体験だろう。
農村のがんじがらめの習慣にしばられ、外国人に対して疑心暗鬼だったベトナム人がよそ者からボッタくる千歳一隅のチャンスなのだ。

もうすこししたら、ボッタクリもなくなって、なんだかベトナムに来た気がしないなあ、てな感じになるかもしれない。