東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

兼松保一,『貧乏旅行世界一周』,秋元書房,1961

2010-09-11 18:53:31 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
覆刻版が日本ユースホステル協会,1990
文も写真もまったく同じ覆刻と思ったが、NDL-OPACによればページ数が異なる。原本未見だが、たぶん文章の部分に修正や変更はないみたいだ。
ちなみに小田実『何でも見てやろう』と出版年同じ。

著者は1927年生まれ1998年死去。
国際ユース・ホステル連盟執行委員などつとめる。
1954年パート・ギャランティ渡航。パート・ギャランティとは、渡航費用は自前だが、受入れ先の大学などで滞在費用が保証されるもの。フロリダ州立大学修士課程でレクリエーション学専攻。この時点ですでに日本に妻子あり。

アメリカでのユース・ホステル運動の創始者となるモンロー・スミス夫妻の援助・協力により、帰国途中にヨーロッパ・中東・アジアをまわる旅行が可能になる。
1956年9月5日カナダのケベック発、57年4月3日、帰国。

予算はどうしたかというと、カナダからヨーロッパまでは大学研修の一環としての船とトラックでの移動。この間モンロー氏の助手というかたちで、大西洋横断航路の旅費のみで参加した。一行とローマで別れる際に、モンロー氏から400ドル(約144000円)もらう。この資金で中東・アジアをまわり帰国する。

かなり珍しい、ラッキーなケースである。
当時の日本の物価からみて、1ドル360円というのは、現在の5000円ぐらいの価値があると思っていいだろう。しかしそれぞれ国の物価がよくわからないので、400ドルという金額がどの程度すごいのかどうか、よくわからない。当時はアメリカ合衆国だけが圧倒的に金持ちで、敗戦国のドイツやイタリアも、中東の国も日本もたいして変わらなかったのかもしれない。

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われわれの世代からみると、ユースホステルなんてのは内務班と民青をたして二で割ったような(←こらこら、若いもんにわからない喩えを使うな)、規則ばかりうるさくて、たいして安くもない宿泊施設というイメージである。
しかし、ヨーロッパと北米の間でも事情は異なるようだし、1950年代の日本では、ヨーロッパ的な憧れの施設だったのかもしれない。いずれにしろ、安いとか貧乏旅行向けというより、中産階級の青少年向けという感じかな。

そういう時代であるので、著者の写真も実際に旅行中も背広をきてネクタイをしめるというスタイル。その後のバックパッカーとかヒッピーとはまったく異なるのである。

さて、著者はどんな国へいったと思います?
これが驚くのだ。おそらく1957年の時点で、これほどの地域・国へ行けたのは稀有ではなかろうか。

ヨーロッパはフランス・ルクセンブルク・西ドイツ・オーストラリア・スイス・スペイン・ポルトガル・イタリア。それにモロッコにも。

ひとり旅になってからは
レバノン・ヨルダン・国境のエルサレム・シリア・イラク・アラビア湾を渡ってパキスタン(西)。陸路でインド横断。

さらにカルカッタから航空便で、
ビルマ・タイ・イギリス領香港のあと、なんと中華人民共和国

なぜ中共(と表記、日本と国交なし)に行けたかというと、周恩来首相あてに、世界各国の体育事情を視察しているのだが、中国の事情も見たいと手紙を書いたのだそうだ。(ローマから発信)
すると、入国許可の電報がカルカッタに届き(アメリカン・エキスプレスの事務所)中華全国体育総会の負担で旅行できることになった。香港から中国旅行社の係員の指示に従い入国。広州・上海・天津・北京などを国賓待遇(?)で視察できた。

中華人民共和国内では体育活動・スポーツ施設の見物が多いが、ほかの国でもその種の写真が多い。
たとえば、ダマスカスでの女子軍事教練、スカートをはいてバレーボールをするバグダッドの少女たち、イラクのガールスカウトなど貴重な写真もあり。

各国の査証の値段や移動方法もちゃんと書かれており、そうとうに珍しい旅行記である。

しかし、現在の立場から文句をいうのもなんだが、これほど珍しい地域・国へ行けたのだから、もっといろんなところを見ればいいのに、読んでいて歯がゆい。
スエズ動乱直後のエルサレムとか、アラビア湾を船でバスラからカラチまで航海、ラングーンとバンコックにも滞在。

そう、東南アジアはラングーンとバンコクだけ数日の滞在。ああ、もったいない。
中国の招待旅行で行くところが制限されるのはしょうがないにしても、ほかの国ではもっとおもしろいところがありそうなのに、観光名所だけなのである。

つまり、1950年代というのは、金銭的にも貧しかったが、それ以上に知識が乏しかったのだ。情報が限られているため、今からみるとありきたりの観光地しか見てないのである。