東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

青木恵理子,『フローレス島におけるカトリックへの「改宗」と実践』,2002

2008-08-16 21:48:00 | フィールド・ワーカーたちの物語
短い論考ながら、貴重で珍しい話がいっぱい。

まず、フローレス島のキリスト教布教史の素描。

16世紀にポルトガルのカトリック、おもにドミニコ会修道士による布教
17世紀VOCによるカトリック布教の禁止。約200年間空白。
1808年、カトリック伝道解禁。イエズス会宣教師が定住開始。
19世紀後半、オランダの修道会「神言会」がイエズス会に代わる。
1910年代、オランダの軍事侵攻、行政の施行にともない、山岳地帯に布教開始。
つまり、20世紀初頭まではキリスト教ともイスラムとも無縁だった地域にカトリックが広まる。
1942年から日本軍政時代は日本人聖職者が配属(!)。
東インドネシア国からインドネシア共和国、1962年に新しい行政区分が導入。

それでは、この地フローレスのカトリックはどういうものか。

神言会は、現地の信仰とカトリックの接点を見出そうとする傾向が強い。
聖書の「神」概念も土地の伝承・創生神話と結びつけられて説明される。
著者が調査したリオ語地域では、イエスの死と復活も死体化生神話に似た作物起源譚によって説明されている。
(以上、こまかい点は略)

フローレス全体の社会の中でのカトリック

海岸部や都市部の華人もカトリックが多数派である。
しかし、彼らは通婚も華人社会内部が多いし、カトリックとして他のグループに親近感を抱くわけではない。
また、華人商店が襲われた事件についても、カトリックがムスリムに襲われた、という見方はしない。怠け者たちが勤勉な者をねたんだ暴動だ、ぐらいの認識である。

一方、エンデ語地域は、海岸部がムスリム、山岳部がカトリック。
山岳部カトリックは、ムスリムとの婚姻もある。
カトリックがムスリムと婚姻すると、ムスリムに改宗するのが一般的、カトリックのほうが経済的に劣位であり、侮蔑の対象にもなる。(交易を通じて外の世界との接触が多い地域がイスラーム、孤立した地域がキリスト教というのは、東南アジアでよくある型である。)
こちらのほうがむしろ、カトリック体ムスリムという反感を「宗教」紛争と意味付ける傾向が強い。(実際は経済格差の問題であることが多い)

高等神学校がマウメレ近くにある。
80年代までは西欧人教員がほとんどであったが、現在は大部分がフローレス生まれの者。
生徒は幼少の頃から寮生活を送り、「故郷」の村の慣習とは違和感を抱きがちで、海外留学など外の世界への道もある。
彼らはカトリックの信仰には醒めた目をもっている。
「カトリックは普遍的な真理ではなく、土着の文化と相互に干渉しあって生まれた文化である」というふうな考えをもっている。

さて、著者が滞在して調査した山岳部の村、約2000人ほどグループである。

この地のひとびとが、「インドネシア」という国家を意識するのは、1965年のインドネシア内乱、共産党撲滅キャンペーンが最初である。
それまで、オランダ政府ともインドネシア共和国とも無縁であった山岳部に、国家内の闘争・内乱が波及する。

ここにおいて、カトリックであること=共産主義者でない=まっとうな国民である、という図式が生まれた。(大雑把なまとめかたなので、各自、自分で読んで点検してください。)

さて、最後に、この村で最後にカトリックに改宗した老人の物語が語られる。
1992年の大地震のあと、改宗した老人の物語。
自然災害のショックによる改宗(これも大雑把な見方なので、各自読んでみてください。)という原始キリスト教的(?)な改宗の経緯が描かれる。

寺田勇文,『東南アジアのキリスト教』,めこん,2002 所収


コメントを投稿