東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

アンソニー・バージェス,『マラヤン・トリロジー』,1964

2007-12-18 20:17:34 | コスモポリス
邦訳なし
Anthony Burgess, The Long Day Wanes A Malayan Trilogy, Norton Paperbacks, 1992
『ザ・ロング・デイ・ウェインズ』というタイトルで、三作がひとつにまとまっている。以下、マラヤ三部作と呼ぶ。

バージェスの作品は、超有名な『時計仕掛けのオレンジ』をはじめ、かなりの数が翻訳されているが、この処女作を含む初期3作は未訳。
"Time for a Tiger" 1956 (略称「タイガー」)
"The Enemy in the Blanket" 1958 (略称「ブランケット」)
"Beds in the East" 1959 (略称「ベッズ」)
独立を目前にひかえたマレー半島の架空の州、架空の都市を舞台に、各作品に主要登場人物10人ほど、ヨーロッパ人、さまざまのマレー人、インド各地からの移民、華人がいりみだれるブラック・コメディである。
中心人物、全作品に登場するのがヴィクター・クラブという教師(のちに教育関係官庁の官職をつとめる)、そのまわりの人間たちが、お互いにいがみあい、憎みあい、けなしあい、時には愚痴をこぼしあう、という話。
ストーリーはべつにどうでもいい。登場人物の行動もいきあたりばったり、短いエピソードが連続して、小さい事件がおこり、適当に収まるという結末。

さて、この490ページ近くの小説、第3部の途中でほったらかし中、かなり難易度がたかい。
わたしが小説を読みなれないせいもあろうが、会話文のニュアンスがつかみにくいし、意味のとれない文もけっこう多い。どんどんとばして読んでも、人物のキャラクターはつかめるので、それだけでもおもしろいが、くっきり情景が結べないシーンもあるのだな。ははは。

かといって、バ-ジェスが研究書をだしているジョイスのような一行も読めない作品ではない。
『時計仕掛けのオレンジ』のような難解な作品でも翻訳されているのに、この作品が未訳なのは、題材が受けないからか。
英語圏・東南アジアの英語読者の間では、かなり有名かつ評価の高い作品であるようだ。(もちろん批判もあり。)
東南アジア研究を学科にもつ大学の推薦図書に挙げられたり、旅行ガイドブックのおすすめ本にも挙げられている。

てっとりばやく知りたい人は、英語版wikipediaにも項目がある。(ただし、ネタバレが多く、これから読もうとする人は見ないほうがいい)
シンガポール国立大学のTamara S. Wagner という人物による紹介が
www.scholars.nus.edu.sg/post/uk/burgess/allusions.html

にあり。その他、アマゾンなど書店サイトにも簡単な紹介やレビューあり。
Malayan Trilogy Anthony Burgess でサーチせよ。

プラムディヤ,『ガラスの家』,コメント2

2007-12-18 20:10:53 | フィクション・ファンタジー

プラムディヤ・アナンタ・トゥール,『ガラスの家』の構造についてのコメントとして、〈ビッグ・ブラザー〉の訳語について。

オーウェルの『1984』(「一九八四年」"Nineteen Eighty-fore")の〈ビッグ・ブラザー〉の訳語についての話だが、山形浩生が書いてる記事があった。
cruel.org/jindex.html
≪オーウェル『一九八四年』をはじめた。やってみると、ビッグブラザーがカタカナなのがちょっとかんに障る。これは「兄貴」と訳すとか(あーっ!版)、「お兄さま」と訳すとか(萌え版)したいところだが、まあこれはいずれ。(2006/9/25) ≫

このジョークは、すでにアンソニー・バージェスの小説に原型があるのだが、山形浩生さんは、これを読んでいるのか?(あの人だから、読んでいそうだが……)

「お兄ちゃんが見てるぞー!」というと、なんか萌え系のセリフみたいだが、これはバージェスの小説中では、
Si-Abang Memandang Awak
というマレー語として登場する(小説の時代ですでにマレー語に翻訳されていたわけではないだろう)。マレー語のニュアンスでは、「お兄ちゃんが見てるぞー」にしかならない。独裁者のスローガン「ビッグ・ブラザー・イズ・ウォッチング・ユー」も、マレー語にするとこうなってしまう、というジョーク。(このバージェスの小説は、全編ブラック・ユーモアとパロディでマレー半島の架空の州を舞台に、独立直前のドタバタを描いたもの。)

マレー半島の架空の州の長官、スルタンに次ぐ位にあるアバンは、国中に自分のスローガンを載せたポスターが貼られる状況を夢見る。
しかし、彼の住民は、ポスターの意味を理解できないだろう。国民意識がない状態では、独裁者になる意味はない。スローガンは、マヌケな意味しかもたないだろう。

オーウェルが監視する側を人格のない無色透明の存在にしたことは、この作品『1984』を、なんにでも適用できる、普遍的な作品にする結果になった。そういう意味ではみごとだ。

一方、プラムディヤの『ガラスの家』は、監視する側を語り手にし、その葛藤を描く。
付録としてはさまれているしおりに、白石隆による「パンゲマナンとは誰か」という小文が載っている。
白石隆によれば、小説の時代である1910年代に、パンゲマナンのような存在、思想調査、政治警察のような組織は存在しなかったという。つまり、この『ガラスの家』のパンゲマナンという人格はフィクションである。ミンケの存在が早すぎた民族主義者であるように、パンゲマナンも早すぎる監視者である。

このように、フィクションとしての思想警察・政治警察のトップに、ミナハサ出身でフランスのソルボンヌ大学へ留学した〈混血児〉を設定した、というのがこの作品の視野をどーんと深く、広い世界へひろげる。
この監視者は、無人格の血の通っていない冷血漢ではない。単純な倫理主義者でも啓蒙主義を信奉する人物でもない。自身のコンプレックスを隠すため、暴力行為にはしるテロリストでもない。
それどころか、プリブミの覚醒を呼びかけるミンケを師とあおぐ。ミンケのまわりのイスラム同盟のプリブミや東インド協会のオランダ人よりもずっと深くミンケを理解する人間。
そのパンゲマナンは、開明的な政策を宣伝する東インド政庁の内部で、汚れた仕事を担う。
政庁にとって危険な民族主義、ジャーナリズム、労働運動を監視し、しかるべき手段を講ずるのが彼の任務である。

タイトル『ガラスの家』とは、植民地権力による監視の網、透明なガラスの中を示す。
植民地政庁の内部のパンゲマナンの上司たち、彼らはさまざまな意味でプリブミに理解を示すヨーロッパ人である。その中でパンゲマナンはひとり卑しい汚い仕事を受持つ。しかしまた、彼こそが一番パンゲマナンを理解しようとし尊敬している。内心の葛藤がこの第4部の焦点である。

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バージェスの小説は邦訳なし。1956年から59年に発表された。
Anthony Burgess, The Long Day Wanes A Malayan Trilogy, Norton Paperbacks, 1992
『ザ・ロング・デイ・ウェインズ』というタイトルで、三作がひとつにまとまっている(まだ全部読んでいないので詳細はそのうちに)