◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎二・二六事件と千鳥ヶ淵緑道◎

2006年02月08日 | 末松建比古
2月7日(火)靖国神社。
宮崎県日向市在住の「歩友」山本氏夫妻が上京。リクエストに応えて「都内ウオーク」を企画した。
池袋駅で待ち合わせて、靖国神社へ。本日=北方領土の日。九段下駅の周辺は騒然とした雰囲気だった。
大音響をガナリたてる街宣車とは異なり、靖国神社に参拝する「制服の集団」のマナーに感心する。
リーダーが「一般の方々に迷惑をかけるな」と、厳しく注意。整然と並んだ大集団の「参拝姿」が 快かった。



靖国神社から「千鳥が淵戦没者墓苑」へ。
山本氏の父上は南方の戦場で戦死した。遺体も遺品も山本家には戻らなかった。山本家の墓には「魂」だけが納められている。
心を込めて献花。皇居東御苑を経て、皇居外苑(楠公レストラン)で食事。国会前の憲政記念館を見学、永田町駅から帰路へ。有意義な「山本氏夫妻歓迎ウオーク」でした。

千鳥が淵戦没者墓苑に「墓苑周辺の歴史散歩」という印刷物(無料)が置かれていた。きめ細かい内容で、勉強になった。
豊富な項目の中から「二・二六事件関連」の部分を引用しておきたい。
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◎「二・二六事件と千鳥が淵緑道」
美しい千鳥が淵緑道沿いのこの地の一角で、昔、大がかりな流血の惨事が発生したことを知る人は、今日では稀である。
(中略)その時の侍従長官邸は、現戦没者墓苑の隣の宮内庁三番町宿舎の所にあって、表門は、墓苑東門入口を緑道側から十m程入った右側に、裏門は鍋割坂に面する宮内庁宿舎の所に開いていました。
安藤大尉以下二百名の兵員は麻布の連隊を出発、午前五時頃、侍従長官邸に到着。表門前、裏門前の道路と玄関先に重機関銃を配置しました。反乱軍は両門から邸内に侵入。
(中略)反乱軍は、敬礼を捧げた後、隊列を組んで壕端通り(現在の千鳥が淵緑道)を半蔵門方向に退去していきました。
(中略)因みに、宮内大臣官邸と秘書官官舎は、当墓苑内に建てられていました。
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