◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「昭和ー戦争と天皇と三島由紀夫」◎

2006年02月20日 | 末松建比古
小さな本屋さんには申訳ないことだが「大型書店に行かないと出会えない本」があるのも事実。
ウオーキングの途中で、さいたま新都心駅前の「紀伊国屋書店」へ。予感が適中して、2冊の本に出会えた。
言霊に招き寄せられ(膨大な書籍の中から)3冊だけを手に取って そのうち2冊に「末松太平」発見。直ち購入 歩行再開。
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●「昭和ー戦争と天皇と三島由紀夫」朝日新聞社、2005年12月第1刷発行、1500円+税。内容は対談の4本立である。
①半藤一利×保阪正康「昭和の戦争と天皇」
②松本健一×保阪正康「二・二六事件と三島由紀夫」
③原武史×保阪正康「昭和天皇と宮中祭祀」
④冨森叡児×保阪正康「戦後日本を動かした政治家たち」

●(②の中から、松本健一氏の発言を御紹介)
(前略)私は北一輝のことを書くようになり、二・二六事件のことを書くようになってから、青年将校の代表的な人物の一人であった末松太平さんと深く付き合うようになりました。末松さんには「私の昭和史」という三島さんも推賞している有名な本があります。この人とたくさん手紙をやりとりするようになりました。これは世の中に全く出しておりませんが、三島さんは「憂国」や「英霊の声」を書くときに、二・二六事件のこと、青年将校のこと、当時の軍事のこと、そういうものを全部、末松さんに取材して書いたのです。やがて三島さんが深入りしていく。そして「武人として死にたい」というようなことを言い始めた。末松さんは青森連隊にいたということもありますが、最終的に事件には加わっていない。きわめて知的で、冷静な距離のとり方をする人で、最後には蹶起に加わらないという立場をとった。(以下省略)

「きわめて知的で、冷静な距離のとり方」という評価は、長男として感謝感激。
但し「蹶起に加わらない立場」は事実誤認の解釈で 訂正が必要。末松太平は(加わらなかったのではなく)事前に「何も知らなかった」というだけのこと。
(写真説明=賢崇寺の法要。関係資料の公開)
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