◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「新版/年表・末松太平」/(22)慰霊像除幕開眼式◎

2023年03月27日 | 年表●末松太平
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《「年表・末松太平」1965(昭和40)年。/末松太平=59歳~60歳/私=24~25才。》
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◎1965年2月26日。渋谷宇田川町、処刑場跡地に「二・二六事件全殉難物故者慰霊像」建立。
・・・現地において藤田俊訓師を導師として、慰霊像除幕開眼式ならびに「30回忌法要」を行う。
・・・式の後、渋谷公会堂食堂で「記念祝賀会」が開催された。



★参考資料★・・・・・・・・・・
《高橋正衛著「二・二六事件」中公新書。1965年8月25日初版。》
「高く掲げられた日章旗は風に音を立ててはためき、参列者の合唱する『君が代』が風の中を流れていった。式は、この慰霊像建設にあたって献身的な努力をした河野司氏の挨拶に始まった。司会は末松太平氏。午後1時42分、序幕の綱は引かれ、紅白の幕が下に落ちた。除幕の綱を引いたのは栗原勝子さん(栗原中尉の母)である。/参列者は 記名をした人400人、記名しない人や偶然参列した人も含めて、約700人であった。」
「遺族席=香田清貞大尉未亡人、安藤輝三大尉未亡人、丹生誠忠中尉未亡人、対馬勝雄中尉の母、相沢三郎中佐未亡人。/事件連座者=大蔵栄一大尉、柳下良二中尉、志村陸城中尉、今泉義道少尉、堂込喜市曹長、門脇信夫軍曹、北島弘伍長・・・」



★関連資料★・・・・・・・・・・
《末松太平の「遺品」から。撮影日時不明の写真》
…写真左から、某氏、末松太平の次男(征比古)、末松太平、某氏、河野司。
…私が初めて「慰霊像」を訪れたのは、末松太平が死去した後であった。

◎1965年8月。《高橋正衛著「二・二六事件」中公新書》発行。
★関連資料★・・・・・・・・・・
《同書の「まえがき」から》
「末松太平氏は、常に私のよき助言者であり、特に青年将校の横断的結合という点について教えられることがあった。本書執筆の動機のひとつは、山口一太郎氏、西田初子さん、末松氏に伝わる、反乱将校の考え方や気持を、もう一度考えてみたいということにあった。」

◎1965年。雑誌「人物往来」2月号(特集二・二六事件)に「青森連隊の呼応計画」を掲載。
・・・これば、後に大和書房「軍隊と戦後の中で」に再掲。さらに後日「目撃者が語る昭和史」第4巻にも再掲されている。
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