◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「新版/年表・末松太平」/(24)それぞれの生き方◎

2023年03月28日 | 年表●末松太平
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《「年表・末松太平」1968(昭和43)年/末松太平=62歳~63歳/私=27~28才。》
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◎仏心会「全殉難者33回忌法要」は、渋谷公会堂地下会場営まれている。
・・・賢崇寺は工事中。賢崇寺本堂の落慶式は、1974年4月である。

◎1968年12月25日。学芸書林「ドキュメント日本人3・反逆者」発行。
・・・「責任編集/谷川健一、鶴見俊輔、村上一郎」。発刊意図「知られざる資料でつづる『日本人』の新しい記録」。全十巻。
・・・「3・反逆者」の顔ぶれは、雲井竜雄、金子ふみ子、古田大次郎、大杉栄、末松太平、磯部浅一、西田税、北一輝、朝日平吾、北原泰作、須田清基、尾崎秀美、以上12名。
・・・末松太平は「青森歩兵第五連隊の記録(自伝)」。本書のための「書き下ろし」である。
因みに「二・二六事件関係者」の内容は、磯部浅一「獄中日記」、西田税「戦雲を麾く」(自伝)、北一輝「北一輝君を憶ふ」(大川周明)。余談だが、西田税氏の題名を記すのに苦労した。読み方は「さしまねく」。

◎末松太平と私。それぞれの生き方。
・・・私は福岡生活3年目。転勤理由「会社の敵」の誤解(事実無根)は直ぐに改称。逆に「優遇」を感じられるようになっていた。/地元放送局(九州朝日放送)に友人が増え、本業(広告会社勤務)よりも「裏のつきあい」を楽しむ日々。放送作家としての依頼が増え、面白半分に「番組に出演」したりしていた。
・・・「ベストン(株)取締役」の末松太平が、仕事で福岡に現れることもあった。ネオン街徘徊で多忙な息子(私)は、父親を「東中洲」に招いたこともある。酒の飲めない末松太平は、居心地が悪そうにしていた。

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《「年表・末松太平」1969(昭和44)年。/末松太平=63歳~64歳。私=29歳。》
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◎末松太平の次男(征比古)が結婚する。
・・・来賓挨拶は、三原朝雄国会議員。防衛庁長官も務めた元軍人である。末松太平とは「満州」以来の親交らしい。/末松太平が(両家代表挨拶で)何を語ったのかは記憶にない。

◎三島由紀夫と「対談」する。



★資料★・・・・・・・・・・
《學燈社「伝統と現代」1969年9月号/「対談・軍隊を語る」。》
・・・「三島由紀夫全集」の類いに「三島氏の対談」が載ることは多い。しかし「末松との対談」が載ることはない。/だから、三島由紀夫の研究家にも「この対談」は気付かれていない。
・・・末松太平と三島由紀夫は「私の昭和史」以来、何度も会うようになった。三島邸にも何度か訪れている。(私以外の)家族も、劇場に招待されたり、会食を共にしている。三島氏と顔を合せていないのは(福岡転勤中の)私だけである。

★資料★・・・・・・・・・・
《學燈社「伝統と現代」1969年9月号/「特集・軍隊」。》
・・・目次には「対談・軍隊を語る」を筆頭に「天皇と軍隊/日本軍隊史/農民と兵隊/軍隊の起源/軍隊組織の構造/戦闘とモラル/戦略戦術論のための序章/軍隊における差別と抵抗/異国軍人行状記/日本軍隊史年表/軍隊綱領集(軍人勅諭・軍隊内務書・軍隊内務令・歩兵操典・陸上自衛隊綱領)」といったタイトルが並ぶ。
・・・グラビア「ドキュメント・軍隊生活」は、写真と「末松太平・文」がセットになっている。



●写真=ラッパ手/起床ラッパは恨めしい。新兵さんも古兵さんも皆起きろ! 起きないと班長さんに叱られる。食事ラッパは嬉しい。「カッコメ、カッコメ」と聞こえる。消灯ラッパは哀愁がこもる。「新兵さん可哀そやな、また寝て泣くのかや」。
●写真=三八式銃の手入/歩兵にとって銃は生命より大事にするよう教育された。ちょっと傷をつけても叱られた。菊の御紋章がついていて、大切にしなければならなかった。
・・・以下省略。グラビア写真「内務班での食事/物干し場/洗濯/敬礼!/観兵式」のそれぞれに「末松太平・文」が添えられている。



◎末松太平と私。それぞれの生き方。
・・・私は福岡生活4年目。左遷同様の「転勤命令」の際は「期限=3年間」を確約させていたのだが、諸事情あって「1年延長」となった。
・・・本業(広告代理店勤務)以外の「遊び=九州朝日放送の放送作家」で忙しい日々。写真はその実例、佐賀博覧会会場での公開ラジオ番組。渡久山巌アナウンサーのパートナー(松坂行子)は、西南学院大学「フォークメイツ」の一員である。
・・・末松太平は、この年も「ベストン(株)取締役」として、福岡に現われている。
「ベストン」については猛勉強していた。末松太平の「遺品」からは「びっしり書込まれた大学ノート」が何冊も発見された。
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