◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「新版/年表・末松太平」/(19)「政経新論」編集主幹◎

2023年03月27日 | 年表●末松太平
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《「年表・末松太平」1960(昭和35)年/末松太平=54歳~55歳/私=19~20才。》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◎所謂「60年安保」の年である。
・・・前年、大学受験(国立大学一校だけ)に失敗して「一浪」だった私は、二浪を避けて「国立2期校」も併せて受験。/結局(当時は2期校だった)東京学芸大学に入学。国会デモに連日でかけるようになる。

◎末松太平に「安保」関連の動向はない。
・・・1960年6月頃、私も参加していたデモに「維新行動隊」のトラックが突っ込み、暴れた。
・・・その数日後、石井一昌氏(維新行動隊・隊長)が、末松太平宅に現われる。/維新行動隊は「護国団」の若手組織。佐郷屋嘉昭氏(護国団代表)と末松が「親しい仲」なので 石井氏来訪も不思議ではない。しかし、末松から「期待した発言」が得られず、石井氏は失望して立ち去った。私も少しだけ同席し、場違いな発言で石井氏を怒らせた。

◎1960年6月15日夜。全学連は国会議事堂の南通用門から突入。東大生の樺美智子さんが死亡した。
・・・私は(突入する意義が理解できず)南通用門の「外側」にいた。騒乱状態の中で、私は(終電車を気にして)現場を立ち去った。まさに「ノンポリ」そのものだった。/私は友人の戦利品(機動隊員の雨具一式)を、面白半分に持ち帰った。末松太平は「くだらないことをするな」と激怒。後日、警視庁に返却にいった。/「右翼」として(公安に)監視される立場だったから、警視庁にも「友人」がいたわけである。

◎1960年秋。衆議院議員選挙。
・・・私は学友(「社青同」が多かった)に誘われて、社会党候補の選対本部に(押しかけ応援で)泊りこんだ。
・・・選対本部は立川市内にあり、家庭教師のバイト先は千葉市内にあった。私は大学(小金井市内)の授業が終ると、千葉市に向い、バイトを終えて夜中に立川市に戻った。/「立川駅~千葉駅」という長距離区間を電車を乗り継いで往復し、選対本部の2階で深夜のビラ作りに励む。選対の3階には万年床が2組あって(男性女性を意識せず)一緒の布団で熟睡していた。



◎1960年11月18日、夜。私は「公職選挙法文書違反現行犯」として逮捕された。
・・・武蔵野署の取調べに対し 私は(立候補者に迷惑をかけぬため)黙秘権を行使。8泊9日の留置場生活(身柄送検、起訴猶予)となった。/留置中の武蔵野署に「右翼」のA氏が(末松太平の依頼で)激励に現れ、刑事は「左翼学生に何故右翼?」と驚いた。

◎1960年。雑誌「政経新論」発刊。
・・・政経新論社は「千代田区丸の内3丁目 三井仲4号館5号」にあった。編集兼発行人は片岡千春氏。当時「その世界」では顔の利く人物だったと思う。/片岡氏には 一度だけお目にかかったことがある。末松太平のお伴で「政経新論社」を訪れ 近くの喫茶店に案内された。片岡氏が「ステテコ姿」で 丸の内のビル街を歩いたので 吃驚した記憶がある。
◎末松太平の肩書きは「政経新論主幹」で 編集の傍ら「二・二六事件異聞」を連載しはじめる。
・・・この時点では この「連載」が後日「1冊の書籍」になるとは想像していない・・・筈である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《「年表・末松太平」1961(昭和36)年。/末松太平=55歳~56歳。私=20歳~21歳。》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎1961年。雑誌「新勢力」2月号掲載。末松太平「そこに革新するものがあるから」
・・・この号には 河野司(仏心会代表)も書いている。
・・・この頃から「河野+末松」の名前が目立ち始める。
・・・「政経新論」連載中の「二・二六事件異聞」では  カットも自分で描くようになった。

◎1961年7月12日。処刑場跡で「刑場跡慰霊祭」及び「26回忌法要」。
・・・斎場跡に「慰霊柱」を残す。当時は未だ「処刑場跡」は「米軍施設内」であった。
・・・米軍施設内への立入人数を制限されて、約50名が参列。末松太平が参列したかどうかは不明。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《「年表・末松太平」1962(昭和37)年。/末松太平=56歳~57歳。私=21歳~22歳。》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎「政経新論」1962年2月号。/「二・二六事件特集号」。
・・・「二・二六事件異聞/蹶起の前後(その2)」
◎「政経新論」1962年6月号。「二・二六事件異聞/映画『脱出』について」。
◎「政経新論」1962年8月号。「二・二六事件異聞/刑場の写真」。
・・・この2編は、その後《「軍隊と戦後の中で」1980年・大和書房刊》に収録されている。
・・・東映映画「脱出」は、事件当日、首相官邸から岡田啓介首相を脱出させる過程を描いた作品。
コメント    この記事についてブログを書く
« ◎「新版/年表・末松太平」/... | トップ | ◎「新版/年表・末松太平」/... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。