◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

御酒が飲めなくなりました。

2009年04月06日 | 今泉章利
硬い文章ばかり、、少々疲れました。歴史学なんて、というきでずっといたのですけれど、結構、やっぱり大変な社会なんですね。
身の丈に合わせた自分に尺度を移したいと思います。

話は変わりますが、最近、明かに体質が変わってきているような気がしています。肌の表面に潤いがなく、風呂を出てクリームでも塗らないとカサカサになってしまうという思いを初めてしました。かゆくなるのです。
それから、お酒を飲むと、夜中に頭が痛くなってくることです。なんとも情けないことなのですが、思い当たる節はあります。私は、お酒が飲めなかったのです。、40年近く前に会社に入った時には、お酒が飲めなくてほんとうに苦労しました。飲むと頭が痛くなったり、二日酔いになったり、苦しい思いをしました。それを会社の仕事だというわけで、一生懸命に飲むように努力をして、今日まで来たような気がします。。そして最近、急に、元に戻って、お酒がのめなくなったのかもしれません。。

(今泉章利)

注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
コメント (1)

竹山護夫さんのこと 二・二六事件の分析に対する方法論

2009年04月06日 | 今泉章利
竹山道雄さんの息子さんである護夫さんは、昭和44年に「陸軍青年将校運動の展開と挫折」-天皇・国家・軍隊・自我の四つの象徴をめぐってーという論文を書いた。注目されるのは分析に対する方法論である。きわめてわかりにくい表現なのであるが、小生の理解した範囲では、要は、大きく分けて二つある。静的な分析と動的な分析である。

静的な分析にはさらに二つあり、ひとつは、唯物史観に基づいた分析方法である。即ち、この事件は、資本主義が崩壊する過程の一つで、日本のファシズムが生まれるための必然的な運動であり、この運動のために日本のファシズムが生まれたのである。というわれわれ世代がが教科書で教えられたもので、今もこの見方が支配的である。(教科書で習うがなんだかさっぱりわからない教えである。)もう一つは、主観的な見方に基づいた分析で、体験談などはこの部類に属する。貴重なものではあるが、この見方だと全体が見えてこない。

動的な分析にも二つある。ひとつは、事件を構成する要素をひとつひとつ時間とともに捉え分析し、さらに全体として組み上げて分析するという手法である。これは途方もない努力を必要とする。もう一つは、事件の中核をなした人たちの出発点、つまり、この運動にかかわったいきさつ、動機など、活動の起点になるものを研究するというものである。勿論、派閥といわれるものの動きなども研究しなければならないが、とりあえず、竹山護夫氏は、中核をなした人たちの原点を論文にまとめた。

この考えは、経済分析などでは当たり前であるのだが、歴史分析で言われてみると、哲学的なものも含めて、言われてみるとそうかと思う。

彼は、青年将校運動のルーツに、大岸頼好と西田税をのべて分析をはじめてゆく。内容は、興味のある方は、ちょっと覚悟して論文を見ていただきたいが、小生の頭の中にあったばらばらのものが、面白言うように整理されてゆく気がした。竹山氏は、末松先生のところでかなり教えてもらっており、それがこの論文をして明解ならしめている。

竹山護夫氏はその後、山梨大学の教授になられたが44歳で亡くなられた。
北一輝の研究、戦時内閣と軍部、大正期の政治思想と大杉栄 などが残されているが、上記論文は、彼が25歳のころ、つまり東大の修士課程の時に書いた論文である。末松先生は、その時、彼とどのような対応をされていたのだろうか。

(今泉章利)

注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
コメント