◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

最近分かった事など (メモ)

2009年02月20日 | 今泉章利
詳しく書く時間がないのですが、最近のメモです。順不同です。渋川明雄さんには資料をはじめ大変にお世話になっております。

1.湯河原襲撃を受けた牧野伯爵の3月1日に東京に帰るまでの足取りがわかりました。
2.ビリヤード場にいた警察官の動きも少しですがわかりました。
3.水上さんの作業用の年表を改定しています。
4.直心道場の大森曹玄さん(後の臨済宗妙心寺派 花園大学学長)の事件とのかかわり、渋川善助さんのかかわりなど、ご自分でインタビューに応じた筆記録を渋川様よりいただきました。大森さんは日大に入られ、関東大震災の時に中退されました。直心道場の渋川さんと水上さんの関係解明に一歩、ほんの少し近づきました。
5.綿引正三さんの小菅の話を読みました。
6.国家主義者で様々な提言を行っていた永井了吉さんという方の自伝と筆記録読みました。永井さんは浪人人生を送っておられましたが、水上さんが日大におられたころ、日大総長の依頼によって日大の教授(土木)をしておられました。直接は関係ないかも知れませんが、この頃の日大で、水上さんは様々な影響を受けられたと思います。もう少し、日大の資料を調べたいと思います。
7.埼玉挺身隊事件と不穏事件の水上さんの役割は、やはりキーだと思います。水上さんは、かなりかかわっているのです。
8.法要が終わったら、湯河原に行き、山本寅太郎さんへのインタビュー、現場のレビューをしたいと思っています。
9.東京地検へはなかなか行けません。なんとか頑張って、河野大尉の憲兵調書だけでもきちんと写したいと思っております。
10.デカブリストの妻たちは、澤地さんのものとは異なり、ネクラーソフというロシアの詩人による格調高い叙事詩で、トゥルベッカーヤ公爵夫人とウォルコンスカヤ侯爵夫人をうたったものでした。ウォルコンスカヤ侯爵夫人は、目の大きな美しい人でしたが、夫の流刑地のシベリアまで、冬の道を気の遠くなるような努力をしてたどり着き、流刑地の刑務所の中に駆け込み、地下の作業場で働く夫の元に行ったのでした。農奴解放を主張した夫は、爵位を剥奪され、死刑の身であったのです。
(1825年12月14日の、正義感にあふれた若い貴族たち反乱で、彼らは蜂起したのが12月であったことから、12月を意味するロシア語のデカブリストと呼ばれていました。)

(今泉章利)

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