平成19年(2007年)8月14日に亡くなられた白井タケ様のお墓参りに今日行ってまいりました。白井さまは、對馬勝雄中尉の妹様に当たります。
お墓の裏には、清観院貞室慈光竹媼大姉 行年九十七才とありました。
御主人さまは、白井解次様で平成元年十月六日 行年九十七才とありました。タケさまと同じ年でした。場所は、1種(ロ)7号9側4番丙 都立青山霊園 です。
私が梅窓院の隣の青山のお宅をお邪魔したのは、ご主人さまが亡くなったばかりの時だったような気がします。それから本当にいろいろとお話をしてくださいました。
白井さまのご主人は、父の近歩三におられ、父は戦前戦後とずいぶんとお世話になったようです。事件の時は、中橋討つべしの急先鋒で、中橋さんからの父宛の指令を片端から破って捨てていたようです。どこに陣取っておられたのか存じませんが、詳しく父からも解次様からも聞かなかったのは残念に思います。もう少し調べたいと思いますが、、。解次様はしかしその後、今度は對馬様のご遺族として、タケ様と一緒に仏心会のご遺族席におられたようです。
昭和44年、小生が大学の試験を受けるとき、父が、大学紛争もあるし鎌倉から行くのは大変だから白井さまの家に泊まるように言ってくれたのを思い出しております。結局はお邪魔しませんでしたが。
お墓には、白井さまが結構お好きだったお酒をお持ちして、小生も少々頂いてお墓にかけ、ゆっくりとお経をあげ、お参りしました。冬の桜並木越しにもう一度、お墓を振り返ると、黒いきれいな猫がお墓に入ってゆくのが見えました。食べ物があると思ったのでしょうか、、それとも小生の差し上げたお酒を少しなめたのでしょうか。
銀座線の外苑前駅の梅窓院はいまはすっかり変わり近代ビルの後ろに門があり、隣の白井さんのお宅は、紀伊国屋ビルだったかそんな名前になっていました。でも懐かしいエレベーターなどは何となく昔のままのような気がしました。
今日は、春一番が吹いて、すっかり暖かくなり、駅の温度計は15度を指しておりました。(今泉章利)
注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
お墓の裏には、清観院貞室慈光竹媼大姉 行年九十七才とありました。
御主人さまは、白井解次様で平成元年十月六日 行年九十七才とありました。タケさまと同じ年でした。場所は、1種(ロ)7号9側4番丙 都立青山霊園 です。
私が梅窓院の隣の青山のお宅をお邪魔したのは、ご主人さまが亡くなったばかりの時だったような気がします。それから本当にいろいろとお話をしてくださいました。
白井さまのご主人は、父の近歩三におられ、父は戦前戦後とずいぶんとお世話になったようです。事件の時は、中橋討つべしの急先鋒で、中橋さんからの父宛の指令を片端から破って捨てていたようです。どこに陣取っておられたのか存じませんが、詳しく父からも解次様からも聞かなかったのは残念に思います。もう少し調べたいと思いますが、、。解次様はしかしその後、今度は對馬様のご遺族として、タケ様と一緒に仏心会のご遺族席におられたようです。
昭和44年、小生が大学の試験を受けるとき、父が、大学紛争もあるし鎌倉から行くのは大変だから白井さまの家に泊まるように言ってくれたのを思い出しております。結局はお邪魔しませんでしたが。
お墓には、白井さまが結構お好きだったお酒をお持ちして、小生も少々頂いてお墓にかけ、ゆっくりとお経をあげ、お参りしました。冬の桜並木越しにもう一度、お墓を振り返ると、黒いきれいな猫がお墓に入ってゆくのが見えました。食べ物があると思ったのでしょうか、、それとも小生の差し上げたお酒を少しなめたのでしょうか。
銀座線の外苑前駅の梅窓院はいまはすっかり変わり近代ビルの後ろに門があり、隣の白井さんのお宅は、紀伊国屋ビルだったかそんな名前になっていました。でも懐かしいエレベーターなどは何となく昔のままのような気がしました。
今日は、春一番が吹いて、すっかり暖かくなり、駅の温度計は15度を指しておりました。(今泉章利)
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