◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

水上源一さんのこと

2009年02月10日 | 今泉章利
話が飛んでばかりいて、一体、水上さんの論文はどうなったのかと渋川さんから叱られそうなので、状況(頭の中のですが)を書いてみます。私は、水上さんのことを片時も忘れていません。考えているのです。

1.水上さんの生い立ち(本籍は仙台士族)今金、函館の時代まで
2.初子様の生い立ち 前沢、 ご親戚の佐藤さん(紫雲荘) 状況
3.東京での戸籍。住所。二人の出会い。結婚。お金のこと。宣子さんの誕生。
4.日大時代 専門学校と大学 授業の内容。 大学での成績。
5.昭和はじめの状況(その1:不況と共産主義)
6.昭和はじめの状況(その2:政治の腐敗と絶望)
7.昭和はじめの状況(その3:国家主義、様々な右翼運動、捨石運動へ)
8.昭和はじめの状況(その4:栗原中尉との出会い。)
9.昭和はじめの状況(その5:渋川善助さんとの出会い、直心道場)
10.昭和はじめの状況(その6:埼玉挺身隊事件とその詳細、水上さんの行動)
11.二・二六事件(その1:事件の概要) 
12.二・二六事件(その2:東京地検の資料から。水上さんの供述)
13.二・二六事件(その3:湯河原襲撃事件再現、東京地検の資料、及び湯河原町の証言)
14.二・二六事件(その4:陸軍軍部と軍事法廷。その法的再考。政治的再考)
15.二・二六事件(その5:湯河原班裁判の構成、法務官、判士、匂坂資料、松本清張資料)
16.二・二六事件(その6:湯河原班 求刑と判決)
17.二・二六事件(その7:獄中の水上さんと奥様、刑の執行)
18.二・二六事件(その8:未解明事項、今後の研究課題)
19.残された家族 「妻たちの二・二六事件」再考と水上家同穴の誓い
20.牧野伸顕について
21.水上源一と二・二六事件(まとめ)

こんなものでしょうか。。まだまだ資料も不十分。手が届かないのです。
一番の難関は、当時の右翼とは何であったのかと云うことです。今の街宣車、一回いくらの集団と違って居ることはわかります。生き様だという松本健一先生の言葉もわかります。でも、、わからないのです。水上さんを右翼だと切り捨てるなら、当然、栗原さんも、磯部さんも香田さんも安藤さんもみんな右翼です。この事件は右翼テロ運動だったのでしょうか。一君万民を言う片倉さんは右翼ではなかったのでしょうか。水上さんは確かに政府の作った右翼リストにありますが、当時の、平均的な一君万民思想を持った国民のほとんどは右翼だったのでしょうか。今の私たちは左翼なのでしょうか。波多江さんが、小生におっしゃった、、あななたちには理解できないと思います。どんなことよりも国のことを考えていた人たちの気持ちはわからないと思います。でも私にはあなたたちの気持ちがわかりません。平気で総理大臣を辞めるようなことは想像もできないのです。と云う言葉を、ここブラッセルでかみしめているのです。。 (今泉章利)

注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
コメント

Revolt in Japan (日本の叛乱)

2009年02月10日 | 今泉章利
こちらでのハードワークを終え、最後に、仲のいい友達と二人きりで話をしました。

ベン・アミ・シロニーさんの「日本の叛乱」の原著を見せました。この人は、日本の歴史に興味があって、とても感動する話だといっていました。

Revere the Emperor, Destroy the Traitors (尊王討奸)
armed with this slogan, on February 26, 1936, rebellious Japanese troops led by member of the Young Officers' Movement (青年将校運動)seized the center of Tokyo and murdered several prominent officials.
The Young Officers wanted a "Showa Restoration" (昭和維新)where by political and economic power would be restored to the Emperor and poeple.
The privileged classes (特権階級)were to be abolished, wealth redistributed, and the state, rather than big business, was to control the economy.
Although the rebelion was surpressed in four days, it dramatized ideological clashes and factional strife within the Imperial Army and the tentions between civil and military authorities.

この本の表紙の折込のところに書かれた文章です。 さらに この事件は多くの日本人の心を揺り動かし、1970年に切腹した三島由紀夫についても言及しておりました。
時差で、眠れず、体はきつく、、還暦の身にはこたえます。
なお、この本は、シロニー氏の博士論文で、プリンストン大学から1971年に出版されました。(今泉章利記)

注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
コメント

禁断の書 人類進化の研究 丘浅次郎 大正4年

2009年02月10日 | 今泉章利
この本をご存知の方は珍しいと思います。この本が好きな人は、少し問題かもしれません、、
いやあ、禁断の書ですね。読んではいけません。
人類の進化です。
支配するものとされるものの立場から、キリストもモハメッドもみんなばっさりです。
「精神的思想的方面の自然の復讐」
「人類の将来」
「生命の寿命」「団体の生存競争」「文明の弊の源」
「動物生活と戦争」「死に関する研究」
「動物の千里眼」
「生物学上より見たる民族の闘争」

強制信条(注:思想統制)を行った場合の結果。、、権力者が支配するためによく用いる思想は、土着の神への信仰がおおいこと。この強制信条を行うには、逆らうもの弾圧すること。そうすると、人々の間に強いプライドと自惚れが生まれる。

批判を許さない神様を強制的に信仰させられると、人々は「触らぬ神にたたりなし」と云うことになるが、本当にたたりはないのか、、放っておくとどうなるか、、、

その答を、「年賦でたたる神様」の項で述べている。即ち、つけが廻って 異常なプライドの高まりと他の民族との軋轢が生ずる。

大正4年の本です。丘さんが捕まらなかったのは不思議ですが、これだけぽんぽんと明快に、言っているのに、大正4年の今は明治憲法下で何でもいえるいい時代だと言っているのも不思議です。。。

北一輝はこの本を読んだとのことです。 私の買った古本にメモがあり、これは日本の敗戦を予期したものか とありました。(今泉章利記)

注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)



注:ネットWikipediaからの引用です。
丘 浅次郎(おか あさじろう、明治元年11月18日(1868年12月31日) - 昭和19年(1944年)5月2日)は、動物学者。遠江国掛塚(現・静岡県磐田市掛塚)生まれ。帝国大学理科大学選科修了。ドイツ留学ののち、山口高等学校教授、1897年高等師範学校教授、1929年東京文理科大学講師。

蛭、ホヤなどの分類、発生について研究し、カンテンコケムシ Asajirella gelatinosa Oka, 1891などに学名をつけている。また、進化論の啓蒙活動に貢献し、旧制中学の生物学教科書を多く執筆した。1925年帝国学士院会員、日本動物学会会頭。『丘浅次郎著作集』全5巻がある。

東京文理科大学が母体の一つとなった筑波大学の生物学類標本室には、ホヤ類の正基準標本が20点ほど所蔵されている。




コメント

光風荘のこと(6) 牧野峯子訊問調書から(その3)

2009年02月10日 | 今泉章利
。。。

在宅者中間違いのあったのは、皆川さんの死亡と看護婦の森さんの負傷で其他は、異常なく脱出致して居ります。

然し私は皆川さんの顔付きは少しも存じません。

而して私共は一緒に山の上の方に避難致しましたが XXXXXXXXX
湯河原町XXXXXの家に参りましたが、其の分 誰人であるか存じませんでした。そして、今朝迄 其の家に居りましたが、主人は安全を期する為、XX不明ですが、夜明け前、警察Xから自動車が参り、主人単独で何れかに参られました。XXXの行き先は只今の処、私共家族も存知居りません。

其の内私共は、當湯河原町宮上旅館天野屋に参り、只今、滞在中であります。

尚、参考迄申し上げて置きますが、事件の前夜、伊藤屋旅館に起居し通勤して居りました炊婦 田附モト と云う女中が廃物を棄てる為 外に出ました際、見知らぬ男がモトに対し、湯殿裏は他に通行し得るやと尋ねたそうです。

此の旨を亡くなりた皆川さんに申し上げたそうですが、あとから考えXXX何かご参考と存じ申し上げて置きます。

牧野峯子(自筆、拇印)

XXXXや ○は、調書が、ペン書きでかつ草書で、かつ、修正箇所が多くあり、今の時点でよみきれ無かったものです。

今後、光風荘の山本保存会長とお目にかかり、現地の方のお話を聞き取りたいと思います。

今、小生は、ベルギーに居ります。久しぶりに時間が取れて、一気に書くことができました。教会の鐘が鳴っております。ブラッセルはとても寒く、雪が、、ほんの少しですが降りました。  (今泉章利)


注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
コメント