平針九条の会(名古屋市天白区)は3月21日に半田市の戦跡巡りを行いました。
13人が参加し、会員の乗用車4台に分乗して朝9時に平針を出発。
半田市の雁宿公園で半田空襲と戦争を記録する会のガイド役の方2人と合流し、説明を受けながら公園内の平和祈念碑などを見学。戦争中に大勢の学徒が動員され、空襲や東南海地震で大勢の犠牲者を出した中島飛行機の工場跡などを見学して回りました。
また半田市にある童話作家新美南吉の記念館も見学しました。
このツアーにはご夫婦で参加した方が3組あり、そのうち1組は小学生の子供さんも一緒でした。参加した人たちは有意義な企画だったし、会員の交流も深まったと好評でした。乗用車分乗ではなく、お金は多少かかっても、マイクロで皆一緒に行くことも検討しようという声もありました。
参加した人からレポートも届きましたので、紹介しましょう。
半田の戦跡めぐりに参加して (H.K)
平針九条の会の企画で、半田市の戦跡めぐりと新美南吉記念館に、小学校1年生の子どもを連れて行ってきました。まず、集合場所でもらったパンフレットの充実ぶりにビックリ!! さすが「九条の会」。
雁宿公園の「平和記念碑」には、空襲で亡くなった方々の名前や「○○家5人」「兵士」などの他、強制連行で徴用された朝鮮人の方々も朝鮮名で刻まれていました。この記念碑は空襲の実態や被害を調べ、後世に伝えようと、市民たちによって建てられたものであり、平和運動の思いがよく表れた記念碑でした。
旧カブトビール工場を、中島飛行機半田製作所が衣料倉庫として使用した「赤レンガ建物」は概観しか見られず、数年後には館内が見学できるそうです。戦跡というだけでなく近代産業遺産でもあるこの建物は、近代日本の繁栄とその末路の象徴でもあります。次回、見学するのが楽しみです。
中島飛行機半田工場には、多くの学徒が動員されていました。
1944年12月の東南海地震と1945年7月の空襲により甚大な犠牲者がでましたが、全てが秘密にされ、戦後すいぶん経ってから、市民たちによって被害が解明されたそうです。自然災害も戦禍も、全てがお国のために隠蔽され、一般民衆は我慢と犠牲を強いられたのです。
今回の企画は、半田空襲の被害実態を長年にわたって調査されてきた市民の方々がガイドで、多くの資料を用意してくれました。戦争のための飛行機工場をつくるため、広大な農地を強制的に買い上げ、工員向けの町がつくられ、全国から学徒や朝鮮人の方々が集められたそうです。衣料倉庫だった「赤レンガ建物」は、戦争を支える工員の生活を支えるインフラの一翼を担っていました。
戦争のために町がつくられた話は、戦争をする国へと準備を進めつつある今の政治状況を考える上で、非常に示唆的でした。
飛行場の遺構が残る草はらには、つくしんぼがたくさん。つくし取りに夢中のわが子を見ながら、あの時代を取り戻そうとする政治を許してはならない。そんな思いを新たにすることができました。