新着情報/県内各九条の会の催しのお知らせ

あいち九条の会ホームページに県内九条の会活動を紹介するコーナー

新城・奥三河九条の会が坂田雅子監督を迎えて-「花はどこへいった」の上映会を開催します。

2009年07月27日 | Weblog
 新城市や北設楽郡など奥三河の町村の人たちで結成している新城・奥三河九条の会が8月23日ドキュメンタリー映画「花はどこへいった」の上映会を行います。

 ベトナム帰還兵でフォトジャーナリストだったグレッグ・デイビスさんが2003年に肝臓ガンで亡くなりましたが、グレッグさんはベトナム戦後も枯葉剤の問題を取材するためベトナムを訪れたりしました。

 「自分はガンで死ぬ」と死を予期していたといいます。

 海外の写真を日本の雑誌などに配信する写真通信社に勤めていた妻の坂田雅子さんは夫の死が枯葉剤の影響によるものではないかと疑い、映画製作は全くの素人でしたが、アメリカの映画スクールで映画製作の手法を学び、夫が従軍中駐留していたベトナムのロンタン地区を訪ね、双頭の男の子など枯葉剤の被害を目の当たりにするなどして、枯葉剤の悪を広く人々に訴えることを決意しました。

 映画は4年がかりで完成しましたが、夫の鎮魂にとどまることなく、受難を引き受けたベトナムの人々の家族愛と平和への思いを画き、戦争や枯葉剤の実態に静かに迫ります。

 昨年6月に東京の岩波ホールで公開され、大きな反響を呼びました。渋谷の劇場でも公開された他、各地の高校や大学で自主上映会や坂田監督の講演会も開かれています。

 新城・奥三河九条の会の花はどこへいった」の上映会は

   日 時   8月23日(日) 午後2時から(1時30分開場)

   会 場   新城文化会館小ホール

   協力券   一般1,000円、高校生以下500円、障害者500円

   映画の上映後、坂田雅子監督による講演もあります。

   問合せ先 0536-23-2511 長谷川 喜一様方

 なお、新城・奥三河九条の会は、2006年4月に結成以来、毎年夏休みに平和の催しを行っており、2006年には「リトルバーズ」、2007年には「日本の青空」、昨年は「ガラスのうさぎ」の鑑賞会を行いました。

 そして毎月会報を発行していますが、会報の表紙には国連の紋章の上に勾玉に似せたデザインの9の字が浮かび、「憲法9条は勾玉のような世界の宝」の文字が添えられています。

 A48ページの7月号では、新城で行われる(現在では行われた)女優6人による「夏の雲は忘れない」の朗読会のお知らせや「小さな戦後史 供出の割り当て(Ⅱ)」など会員の方の原稿が沢山掲載されています。



父は沖縄で戦死したと知った-平和の礎で見つけた父の名前~九条の会・尾張旭ニュースから~

2009年07月27日 | Weblog
 九条の会・尾張旭の会報に載っていた話を紹介します。
 桜ヶ丘町の舛井和憲さんが「父、母についての雑談」という文章を投稿されました。

 それによりますと、舛井さんのお父さんは当時熊本に住んでおられましたが、桝井さんがお母さんのお腹にいる時に出征され、長崎港から南方へ向かいました。

 お母さんは見送りに行きましたが会えなかったそうです。どこへ向かったのかも分からなかったといいます。

 父の戸籍では「昭和18年9月30日、61部隊戦死」となっていますが、どこで戦死したのかはわからなかったといいます。それ以後兄弟3人は母親の細腕で育てられました。

 舛井さんは長崎大学卒業後、愛知県で就職しましたが、定年退職後ご夫婦で沖縄を旅行なさいました。

 その時首里城やひめゆりの塔を見学し、ガイドさんの案内で平和の礎に行きました。

 ガイドさんの「この公園には、沖縄県民で亡くなった人だけでなく、内地から来た兵隊さんで戦死した人の名前も刻まれています」という説明で、熊本県のところを見たら父親の名前があるのを見てびっくり。

 父は長崎港から南方へ行ったというが、それは沖縄だったのです。おかあさんは言いたくないのか、戦争を語らなかったといいます。

 乗っていた船が魚雷で沈められたということでしたが、それが沖縄の海だったのです。

 この投稿は、前の月の会報に沖縄戦で部下を大勢死なせた責任を感じて自決なさった父親のことを書いた投稿が載り、これを読んで舛井さんは「語り継がなければならない」とご自分の体験を投稿なさったそうです。

 なお、九条の会・尾張旭は5月24日に澤地久枝さんをお招きして講演会を行い1000人を超す参加者がありましたが、8月23日には「戦争体験を聞く会」を行い(中央公民館)、名古屋市緑区在住の仲直敏さんに長崎での被爆体験を聞くことにしています。

 仲さんは学徒動員の魚雷工場で被爆されましたが、被爆体験には長い間口を閉ざしておられました。ところが、「戦争と平和の資料館ピースあいち」の開館を知り、自分の体験を受け止めてくれる場所だと感じて被爆体験を自作の紙芝居を使って語りはじめたそうです。

 九条の会・尾張旭の会報は、毎号会員の方からの投稿が沢山載り、ページ数も多いのが特徴ですが、7月号も「疎開体験」や「ピース合唱団に参加して」「益川敏英さんへの手紙」など9人の方の投稿が載っています。

 事務局の筒井洋さんは「これまで語られることのなかった市民の方の体験や思いが、こうした形で滲み出すように表現されるようになってきている」といいます。

第6回 尾張旭 戦争体験を聞く会

2009年07月27日 | Weblog
 この夏も九条の会尾張旭のみなさんから「戦争体験を聞く会」のご案内をいただきました。

 第6回を迎える今回は、仲直敏さんをお招きして長崎における被爆体験をお伺いします。

 日時・場所はつぎのとおりです。
 また、チラシも掲載しておきますので、こちらも参考にして下さい。

  日  時  8月23日(日) 13:00分開場 13:30分開会

  場  所  尾張旭中央公民館3階 第4研修室