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「歴女必見!今、琉球史が熱い!鬼鷲―琉球王 尚巴志伝―」
の記事を書いたので、せっかくなので関連史跡紹介をば。
舞台にも登場する、尚巴志のお墓。
そしてその一帯を指す「佐敷森(さしきむい)」
『琉球国王・尚巴志』
その佐敷森には、
「屋比久之子(やびくぬしー)」と「平田之子(ひらたぬしー)」のお墓もあります。
この2人が何者かというと。
1469年、金丸(派)によるクーデターで、
それまで首里にあった第一尚氏王家の墓、天山陵も焼き討ちにあいます。
その際、尚巴志らの遺骨を持ち出し、
クーデターの火から逃れ、ここに隠した第一尚氏王統の家臣がこの2人。
(「翔べ!尚巴志」の舞台にも登場しています♪)
2人の墓は、尚巴志のお墓より、さらに手前にあり、
まるで、王の墓前を守っているかのようにも見えます。
こちらが平田之子のお墓。
うーとーとー。
そして、更にすこし離れた場所に、
もう一人の家臣、屋比久之子のお墓が。↓
この時代、
崖下(もしくは洞穴)風葬だったことが良く分かります。
それにしても、
尚巴志、阿麻和利、そしてここ平田之子と屋比久之子という、
読谷村にあるこれらの歴史的人物のお墓。
…の墓前に書かれている文字。
(コンクリート板に引っかくように文字が書かれている)
…同じ人が書いてるっぽいよなぁ…。
スマンがお世辞にもキレイな字とは言えない
いくらなんでも手作り感溢れすぎだ
まあ、そんな所にも注目してみると
面白いかもしれない。
という話。
2人のお墓のすぐ麓には、
サシジャー(別名、イーヌカー)がある。
この湧き水は水量・水質ともに良好で
主に飲料水として利用していたのだそう。
今でも定期的に地区で清掃を行い、利用され続けているのだそう。
実際、ワタシが佐敷森に行くたびに、
このサシジャーの前には人がいて、
水を汲んでいたりする風景(業者か?くらい)が見られました。
サシジャーについては、
また別記事でUPするかも(!?)。
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琉球史跡関連記事は同ブログ、『テンペストを読ム』『百十踏揚を読ム』カテゴリにも多数ございます。
しかも、手前にあった墓二つについても。
村役場で聞いても、何も教えてくれなかったんで・・
勉強になりました。
はじめまして。
ご訪問&コメントありがとうございます(^-^
尚巴志のお墓について、お役に立てたようで嬉しいです♪
こっちの記事にも尚巴志について書いてるのでよかったらどうぞ☆
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/ca1edf0e95ee875bde7ddfe30668f49b
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/640cf85f413177a17a21409cfbb4d00a
読谷は、他にも阿麻和利やアカインコや泰期、そして護佐丸など
魅力的な歴史上の人物のゆかりの地なので探索するととても面白いですね。
役場は教えてくれなかったんですかー。
うーん、電話にでた人が分からなかっただけでは…(´Д`;)
あ、ちなみに、佐敷森は「伊良皆」に当たりますよ(^-^♭
ご参考までに☆