この間、ひょんなことから浮上してきた「東苑」の存在。 正式名称、御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)。 まだ行ったことのない首里界隈、ということで行ってみました。 ■御茶屋御殿(東苑)跡■ 御仮屋に身を寄せて数日が過ぎたある日、 雅博は王宮の東苑で組踊を観劇しないかと誘った。 東苑に設えられた組踊用の舞台は、 簡素でありながらも、舞台装置や美術、大道具など 『テンペスト(上) 361-』 (池上永一著/角川書店)より …と、テンペストにもあるように、 御茶屋御殿は様々な芸能を行い、 しかし沖縄戦で破壊され、現在は建物の影も形もなく、 現在は首里カトリック教会になっています。 ちなみに御茶屋御殿は首里城内にあるのではなく、 さて、沖縄戦で跡形もなく破壊されてしまった御茶屋御殿ですが、 しかしがけ崩れの恐れがあり、 御茶屋御殿跡地からちょっとだけ(150Mくらい?)離れた 1677年に作られた石造獅子。 きっと、御茶屋御殿に組踊を見に行った真鶴さんと雅博も
能楽と歌舞伎の中間の形態をしている。
演目に合わせて自由に演出される。
また冊封使たちを歓待した場所でした。
石碑と案内板が残っているのみ、です。
(↑写真左端)
少し離れた場所にあります。
唯一、石造獅子が残されていました。
「雨乞い御嶽」のところに移動されたそうです。
この獅子を見ていたでしょうね
昔ながらの小道で入り組んでいて車では分かりにくいですよね。
ワタシも最初、御茶屋御殿!?
って思いましたが、ネットで調べてみて訪れた次第です。
小学校方面から上がると分かりやすいですね。
(気づかずに裏から上がりました。途中で儀間真常のお墓発見)
雨乞い御嶽は今はちょっとした公園になっています。
そこから、龍譚池とは真逆方面から見た首里城が見えてなんだか新鮮でした★
>この位置にURLをいれることを考えて撮ったんですか?(゜o゜;
いえいえ~(^-^;
基本、URLのことはまったく考えずに撮ってます。
URL入れるときにどこに置くかはちょっと考えますが…。
たまにこの辺りを散策してましたが…
ん、こんなところに「御茶屋御殿」なんてあったっけ??
と写真をよく見たら…
石碑と案内板が残ってるだけだったんですね(!)
(…気づいてない…( ̄▽ ̄; )
「雨乞い御嶽」はたぶんあそこかな?
とイメージできそうなんですが、
こんな立派な獅子があったっけ…と驚きです☆☆
最後の写真がまたカッコよく撮れてますね~!
この位置にURLをいれることを
考えて撮ったんですか?(゜o゜;
絶妙にハマってます☆