5月30日、
さあ、今年もやってきました護佐丸の日!
中城村が2009年に制定した、
正真正銘の記念日であります。
今日は各々、護佐丸について思いを馳せ
SNSなどでつぶやいてみてください。
#護佐丸の日
#ごさまるの日
【護佐丸の日企画、及び護佐丸の日記事】
'12 https://bit.ly/2HGWebO
'13 https://bit.ly/2WdaO3S
'14 https://bit.ly/2wxpFql
'15 PC故障につきお休み
'16 https://bit.ly/2EGPybN
'17 https://bit.ly/2XfeLBA
'18 体調絶不調につきお休み
’19 https://bit.ly/3espYGU
’20 (なし)
今年は中城村観光協会や
中城村内企業、
中城村ゆかりの芸人兼ミュージシャン(その名もMC護佐丸!)が
ごさまるの日に合わせて企画や取り組みをしてくれています♪
本当は中城グスクや護佐丸歴史資料図書館(開館5周年記念日)で
イベントごとができればもっとよかったのだけど(実際、企画はされていた)、
このコロナ禍でグスクも資料図書館も臨時閉鎖になって
それができくなってしまったのが残念ですが…
是非来年、リベンジしてほしいです!
そして願わくば、読谷村や恩納村も一緒に、
村を超えて盛り上げてくれたらもっといいなと思います。
さて、
というわけで、
琉球戦国列伝リテイクシリーズも護佐丸で。
人間味あふれる護佐丸が描きたいなと思い、
「盛親を抱くの図」
にしてみました。
孫にデレる爺のように見えると思いますが、
孫ではなく息子です。
護佐丸60代後半にして
最後につくった子になります。
1458年に阿麻和利に攻められ、
護佐丸と共に自害した息子たちもいましたが、
赤子だった盛親だけは
乳母らによって城から脱出。
糸満の国吉で隠れながら暮らしていたが
第二尚氏時代になって首里城に出仕、
出世、繁栄し、三司官(大臣)を多く輩出する
琉球の三大名門(毛氏)になっていきます。
現在も、「護佐丸の子孫」は多く、
10万人以上とも言われていますが
琉球時代の繁栄がベースにあるということですね。
阿麻和利に攻められたのが中秋の名月の頃、
ということなので、
盛親が生まれたのはそれより前、
8月~9月頃かな?、
ということで護佐丸の羽織はなしに。
オーバサーという深緑色の芭蕉衣をイメージした
服装にしてみました。
(本当はもっと透け感があるはず…だけど^^;)
1453年の証言記録(『瑞宗実録』)で
「尊者は袖口及び衣上に五色の糸を以て獣形を繍す」
にあることから、襟と袖口に装飾を入れています。
衣上っていう書き方が気になりますけどね。
アシャゲコムネ(アシアゲコムネ)みたいに、
胸部にどーんっていう可能性もあるのか…
どうなんでしょうね。