鬼大城めぐりから、
越来城下の歴史スポットをもうひとつ。
尚泰久の側室、
越来村の娘、世利休(せりきゅう)のこと。
尚泰久の妃は護佐丸の娘ですが、
例にもれず側室もいました。
それが尚徳の母にあたる宮里阿護母志良礼、
そして世利休。
(伝承では江洲ノロも)
その世利休と尚泰久のゆかりのスポットがコチラ。
尚泰久は世利休とその息子のために
ここに家を建てさせ、
みかんと白椿の木を植えたそうな…。
門の側にあるのが、
子孫である川畑家の方々が
ずっと守ってきたという椿の木。
しかし、白椿はめずらしいということで
近年になって挿し木のために
マニアが切りすぎてしまい、
とうとう枯れてしまったのだそう。
今あるのは、別の場所でかつて挿し木されて生きていた
椿なのだそうです。
(でも挿し木によって白椿になる確率は低いらしく
残念ながら今の椿は白じゃないそうです…)
尚泰久が王になって首里に登るとき、
世利休は一緒に連れて行かれなかったようですが、
一説によると息子は江洲王子になったとも
言われています。
(ってことは五男かな?)
沖縄市ゆかりの女性ということで
沖縄市は尚泰久妃や百十踏揚よりも
世利休推しのようです。
コザ十字路に制作中の壁画にも…
尚泰久(王子)と世利休。
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