がじゅまるの樹の下で。

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久米島の具志川グスク

2013年10月03日 | ・琉球歴史/文化風景

久米島史跡、まだまだあるある。

写真整理がなかなか進まない久米島フォト、
今日は具志川グスクです。

糸満市喜屋武にある具志川グスク
関連があるグスクとも言われています。

このグスクは島外(沖縄本島?)から渡来した
真達勃(まだふつ)按司によって築城されました。
しかし、その子、真金声(まかねくい)の代に
伊敷索按司の次男・真仁古樽(まにくだる)按司によって落城、
のっとられてしまいます。

真金声は沖縄本島に逃れ、
糸満市喜屋武に同名の具志川グスクを築いた。

というもの。

(相関図はこちらから

でも「沖縄戦国時代の謎」(比嘉朝進著)では、

三山時代、南山の達勃期(たぶち)は南山の按司連合軍に攻められたとき
糸満市喜屋武の具志川グスクにいた。
そして久米島に逃れると、名前に「真」をつけて「真達勃」とし、
久米島に同名の具志川グスクを気づいたのでは


というのもありました。

【達勃期】
他魯毎の父ちゃんである汪応祖の兄。

達勃期は南山王・汪応祖を殺し王位に就こうとしたが、
すぐさま南山按司連合に制裁された。
按司連合は汪応祖の子である他魯毎を擁立し、王とした。
詳しくは琉球戦国列伝で。

伊敷索按司についても、
糸満にある伊敷グスクの伊敷按司が尚巴志の南山攻略の際に
久米島に落ち延びてきたのか、

ともあります。

南山と久米島、色々繋がりがありそうですね。


今読んでる「琉球王国の真実」(伊敷賢著)にも
南山とのつながりがつらつらと…。

そのうち紹介しますが、この本、めっちゃ濃い…

 

具志川グスク、
野面積みなのに、
入口の方はレンガ見たいに面がめっちゃ揃ってて
なんだか不思議でした。
(復元部分なんだろうけど)

↑写真の真ん中左のイシバシと呼ばれる場所。
君南風さんがここに座って祭祀を行うのだそう。


↑クリックで拡大

案内板。

通用門や脱出経路のような場所もあるみたいですが
実際には草に覆われて確認できませんでした

海のそばに立つ具志川グスク。

かっこいい

 


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